巡る思考からどうやって文章を書き起こすか

 まあ随筆というのはkその形式で書かれたものが読まれて何かになるかという計算なく書く物なので、誰でも書けると言われるが恥ずかしさとかを感じる人には反対に書けないのではないかと思うし、だからして随筆を考えるというのは恋愛小説とかを妄想するよりは恥ずかしくないことかも知れないが、今日初めてそんなことを思った。

 いつも昼飯は親父とふたりで食う。スーパーの弁当かマクドのセットだ。今日はマクドの機械が壊れていて肉系のバーガーが食えないということで親父から「どうしよう」と電話が鳴って「フィレオフィッシュにしよう」と返した。それでテレビを十数分か一緒に見て、親父は芸能ニュースが好きでドラマなども役どころと芝居もまぁ見るには見ているだろうが、役者同士の結婚とかが話題興味の第一義である。まあ俺が結婚しないことが関係しているかはわからないが、それはあるだろう。そうして会話で出た芸能人で俺が知らないと「何に出てた人?」などと聞くと「お前アカンのう」と嬉しそうにつらつらとプロフィールをスマホで見ながら説明する。最近ようやくそれを語っても誰も興味が無い事を悟り「ワシも知らん」と言って無駄な芸能ニュースをスマホで日がな調べるのに飽きたようである。

 芸能ニュースで言うと途方もなく古いが日本でスキャットマンジョンという歌手が売れた事がある。ピーダッパッパラッポというスキャットで、歌詞に意味は無いらしいが、そのリズム感は小室哲哉ユーロビートのようである。今思うと、そういうサウンドに乗っているだけで歌詞が入っていない人たちなのではないかということをユーロ圏から素破抜きにされているのが鈍感だから分からずにノリノリな日本人であった。

 言葉が分かると特に漢字が分かると次に面白いのが活字である。今も絶賛ハマり中なのでこうして毎日活字を打つのだ。サイクリングとかドライブが速度感で楽しいのと同様に小学校から苦学してノートに何度も漢字を書かされた身からして、指先ひとつでポチポチポチと数回叩けば画面に漢字が表示され、配らなくてもウェブでどこかに読まれたというのが数字として跳ね返ってくるというのが快感で仕方ないのだ。

 その数の根拠たるやというと、各種ウェブサービスを信用するかしないかというところに分かれて来るが、グーグル社から銀行口座に円で入金が来た時にはそのすべて今までは本当だったのだろうと思うに至った。プロセスとしては執筆(タイピング)投稿、カウンタ計測、入金である。

 昨日は自棄を起こしてキャバクラで飲みまくったことについて書いたが、それは三十代の記憶であり、銀行の通帳から引き出しが月に五十万円あることが裏付けとなるが、まあお金を出したことは分かっても他に何に使ったかというと引き出しなので銀行から銀行に振り込まないと通帳に帳簿的な意味は残せないことに今気づいた。

 写真は今流行りのストロングゼロでSNS飲みの基本テクニックである「缶撮り」

 もともと下北沢あたりでバンドをしていた若手が宴会を写メしていたことに俺が「若いのに生意気だ!缶チューハイ飲んでカネ貯めろ!イマドキ105円でアルコール9%」だぞ!というと「9%って何ですか?」「科学的にアルコールの量がビールの倍でそれだけ酔っぱらえるということだ!」とすると、あちこちの若手ミュージシャンがストゼロやらの缶を写真に撮って乾杯して、ついには麒麟淡麗グリーンラベルにあいみょんやバックナンバーが起用され、そこから俄かにテレビ局の酒CM枠の若手バンドによる乗っ取りは見た目的にはニアミスであるがひょっとすると裏方的には成功かも。

 あいみょんがSNSで祝杯を上げたときにはオンラインで居合わせて楽しかった。


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