コトノハ

 「生きた言葉」とは何だろう。

 1990年代の日本の音楽シーンを形作っていたのはテレビ、ラジオ、レンタル屋、レコード屋、それに雑誌などの活字メディアだ。

 街中の有線放送などもあったかもしれないが、そもそもラジオのリクエストで無料で聴ける音楽。町中でかかっていて流される音楽。それについて何から学び始めたらよいか分からない身の回りの社会。手に取った本は街にばらまかれた宣伝としての論評雑誌で、新譜を求める大衆と一線を画するために売れなくなるレコードをミュージシャンの活動を大樹と例え「根/ルーツ」として類似の前例を必死で探して結び付け売りつけるために参照リファレンスを膨大に活字化した雑誌がばらまかれていた。

 そこに楽譜などの音楽表記は無く、レコード名や曲名が羅列された活字はよほどのレコードコレクターとならないと意味解釈できないような文字列であった。近所に幸いにしてそこそこ大きい本屋があったのだが、自分の財力ではそこで読んだ音楽雑誌のレコードを全て聴くことなど到底かなわなかった。仕方なく姉がレンタルしてダビングしたものをさらに借りて興味の幅を女性向けまで広げたり、地域の音楽仲間とカセットの交換などしたが、ギターを買う金もなくというと語弊があってゲーム機を買うのを我慢すれば買えた気もするのだが、自分にギターが弾けるようになるとは当時は思えなかった。家にピアノがあるのに弾けなかったからだ。

 その音楽への夢から生まれた新製品がiPodだった。mp3プレイヤなどはもともとあって、iPodも最初は注目されなかったが「何に使うの?」という問いや「ウォークマンとどう違うの?」とからかわれながらも、コンピュータの会社で出来た金で今なら昔に読んだ音楽雑誌のレコードを全部買えそうだが10曲しか入らないプレイヤーにダビングして移し替えてという時間がなく、小型のHDDに全曲入れて手のひらでDJのように曲を変えられるという機能を本当に欲していたのはまあ銀座のアップルストアの客は知らないよ。関西にアップルストアが出来る前から大阪日本橋で小型のHDD音楽レコーダを作れるなら欲しいし、俺が買うということを店に提案したって話なんだ。

 それからのITの興亡とか音楽シーンの変遷はこの際おいておき、音楽を大量に聴いて訪れた変化というのは右耳が難聴で中学の担任から学習障碍児と言われ後に精神病で入院するがそれまでは健常者として社会で働く俺は字を目で見ないと言葉が分からない子だったが、耳から入る言葉の意味がだんだん分かるようになったということ。

 その間には高島俊夫先生の「漢字と日本人」などで日本の男言葉は武家社会や戦争で漢字の音読みを基調とした新造語で出来ているが女言葉にひらがなに残る日本の文化に根差した音言葉というものがあり、漢字言葉は音を聴いて頭に漢字を思い浮かべて意味を理解するが音言葉ならそのステップを飛ばす直感的な言葉であり、英語などはそういう話し言葉を基調としている。まあ文語と口語という説明で分かる人もいるがそれではちょっと足りない部分もある。

 そうすると日本の音楽のルーツが洋楽にあるなんてのはすごい偏見で「やまとことば」があって、万葉集やら新古今があってひらがながあって歌があるわけで、戦後にビートルズが流行ってラジオで国民が英語の歌を聴いたけど、ギターに国語をのせて歌ってきた人々がいて邦楽のシーンが形成されるそのリズムやメロディには洋楽的なモノがあってもコトノハという意味では根はもっともっと民族的に深いものだと考えられる。


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