今日の正論

 俺が旧宮家で住居の周りに左翼の人が嫌がらせに来る。

 何が憎いかは分からないとまで言わないものの貧富の差から来る僻みが出発点だろう。左派思想というのはそういう風に卑しいものである。

 しかしまあ、卑しいと言ってもそうなるには貧しさ以外に病苦や災害などが関係することもあり、衣服がみすぼらしいとか病気を背負っているとはいえひとりの人間である。そこを認めた場合、自身がもし政治家であったらどうするか考えた。ありきたりで申し訳ないが、給付金などの政策がその解決に向かう前向きさを持つだろうか。

 国家をどう指導してゆくかと考えると、給付金を出すのは十分な税収が必要であり右翼の強い働き手が間接的に左翼を担ぐのである。給付金が出せる間は良いが、そろそろ社会保険料が市民の暮らしを圧迫しているという右派からの反発が見られる。

 病人でも戦争なら竹槍一本、経済なら1円たりとも、戦力になるであろうか。

 その意味で左翼政治家というのは貧しいものや弱いものを選挙戦の1票と見做しているしたたかな悪人ではないだろうか。確かに貧しいものにとっては縋るものとして宗教家のような側面があるだろう。だがそれは本当の善なのか。

 世の中が平和で、日本国がある程度の団結力を持ち、選挙や議論が茶番だから右派と左派に分かれて政治ごっこを出来ていた昭和時代の名残なのであろう。

 左派思想というのが何処から出てきたか、哲学の本を紐解くと漫画本しかないので恐縮ではあるが、マルクス主義には「万国の労働者よ終結せよ!」とある。

 資本家に対して労働者が相対的に弱者であって、銀行業など労働と見做さないもので市民が苦しんでいる、金利を取られて働かされているという怨恨が俗にいう「働かざる者食うべからず」(原文は「一日作さざれば一日喰らわず」らしいが日本の左翼を語る上での話なのでこの歪んだ論理を本稿で問題にする)

 そうすると、病人でも貧民でも弱いものでもひとりの人間であり生きていて良いというのはマルクス主義とは随分と乖離していることが分かる。共産党は左翼だが、日教組も左翼で、マルクス主義も左翼思想ではあるが、細かいところが違い、その微妙な差を理解できないと全部左翼なのだが、俺んちの周りに嫌がらせに来ている左翼は天皇制反対みたいな昭和の左翼の成れの果ての年寄りに思想を植え込まれた人なのだろう。

 とはいえ、日本が右派左派団結で良く働き、行きつく先は富国強兵になり外国との戦争しかすることが無くなるなら、適度なところで給付金を出してみんな休むほうが賢いのではないかとも思う。

 そうするとゲームをやってカネをまいて対抗勢力と消耗戦をしているというのは政治的に好ましく、ギターを弾いて歌ってステージに立ち宮家が市民人気を得て復権するというのは左翼にとっても外国にとても望ましくない展開ではあるのだろう。

 正直、ゲームにも既に俺は疲れているので休戦したいというのが本音ではある。そういう風に自身が弱ってくると左派思想にも一定の理解はあるが、自然科学的には老いて弱ったものは病気になって死ぬことで食物連鎖が機能する。老いてもなお壮健であり強いものは絶対であるとしても、病には勝てないもので、それに打ち勝たんとすると臓器移植で貧しいものの命を奪って権力者が生き延びるみたいな昭和の議論が蒸し返す。

 そうすると先日米国であった医療従事者ストライキが記憶に新しい。今の時代はお医者さんも権力者ではなく労働者なのだ。大病院の院長先生ならいざ知らず、かと言って町のお医者さんでもなく、ほぼ公務員となった雇われドクターもお休みが欲しい。

 医師会というと右翼のイメージが強いが、ストライキするとなると完全に左翼だ。

 お医者さんも休みが欲しい、自身が病気である、科学的医療なしには人間は弱って死ぬ。ならば、俺も弱って行くことを受け入れる準備は出来ている。

 宮家は右翼左翼で言うと右の象徴ではあるが、強いから左翼が叩くのであって、公平平等を訴えてお金がもらえたら手の平を返すのが左翼であったように、宮家が弱っても弱者を救うとは言わず追い打ちをかけてくるのが左翼なのである。

 もちろん、そうではない人もいるから、お世話になって生きているのではあるがな。


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