ネットで出会ったSさんはゲームの好みが何から何まで合う、
不思議な人でした。
ファミコンやメガドライブにPCエンジンの話で意見が合い、
PlayStationは置き去りにセガサターンで遊ぶ。
お金がかかって手が出せないパソコンゲームの話など出て、
いつか、しっかり稼いだらパソコンで新しいゲームを遊ぼう、
そう思って話を聞いている事もありました。
Sさんと話をするようになって、いつしか、Sさんが遊ぶ、
Sさんが面白いと話すゲームは全て自分にとっても良いと、
そういうふうに思い込むようになり、追いかけるように、
同じゲームで遊んでみるようになっていました。
その中で押し殺してきた違和感が、なんだか生活を空虚に、
空虚ってむずかしいなら、むなしい感じ。
つまり、Sさんと意見がピッタリ合わないもので、
意見が合う人がいないという、どこか不安な暮らしが続きます。
テレビゲームはコンピュータを相手にひとりで遊ぶもの、
それでも、同じゲームの話をしすること、2人で遊ぶ事、
それが、よくできたソフトを遊ぶ事より大きな安心感で、
ソフトの良し悪しの探求より遊ぶ相手を探し求めました。
なんだか、その全てが、ちぐはぐになってきている。
もう、話の中心をゲームに据えている事が狂っている。
ゲームを生活の角の方においやることで、ゲームに悩まない。
その生活の中で、ふと、Sさんの意見を否定する気になりました。
たくさんのソフトを試して、その中から何かを選ぶということ、
それは、選べなかった残りを捨てるという事とつながります。
このソフトが他を押しのけて、とりわけ凄いという目を持たない。
そうすることで、より中立で冷静に、ソフトと付き合える。
技術で一歩遅れても、絵柄や音楽や台詞回しに気付いてゆける。
ゆるゆる、書きはじめたのに、書いていると頭が冴えてしまって。
文末になりましたが、残暑お見舞い申し上げます。