死んだら何が残るか

「お墓」の誕生―死者祭祀の民俗誌 (岩波新書)

「お墓」の誕生―死者祭祀の民俗誌 (岩波新書)

爺さんの墓が木簡でいたんできて石に替えないかと坊さんが言う。
死んだら何が残るか、今まで生きた中で自殺したいと思ったことはある。
10代はそれで誰か泣いてくれるか考えた。
20代はそのまえに貯金を使ってしまおうと夜遊びに興じた。
30代になってからは今死んだら何が残るかと考える。
テレビで葬式が報じられるような人は普通と何が違うか。
テレビ局が来ないなら自分で何か残そうとビデオを撮っている。
女房や子供がいないもので、家庭があるとそんなことは考えないだろう。
しかし、ないものをどうするでもないので、ビデオを撮る。
はじめはゲームを作ったりゲームのビデオを撮っていた。
ゲームではマニアに受けてもその数は少ないだろう。
そして時代とともに消えるだろう。
ゲームはコピーされて増えるかもしれないが、購入者は少ない。
下手でもギターをかき鳴らして大声で歌うとゲームの何倍も売れた。
それが会社勤めのお給料よりずっと少なくて生活は苦しい。
つまり会社勤めは現世利益のためかもしれない。
前倒しに苦しい思いをして貯まった金で何かを買う。
その労働時間は苦痛が多く、そして給料以外に報酬はない。
プログラムを何万行書こうと会社が有名になっても墓には誰も来ない。
歌をビデオに撮りはじめてからは自殺したくないと思うようになった。
生きている間に1曲でも名曲が出来たらなんて思って眠りにつく。
ブログはいつまで残るだろう。
後の人が読んだら何か思うだろうか。