ストリートファイターも20周年をそろそろ越しているはずで、
シリーズもたくさん出ている。亜流や他社同等品も含めて色々遊んだ。
その中で、新しいゲームに行くほど付き合うゲーマー層は若くなる。
ストリートファイター2の頃はゲーセンに集まる不良の最年少だった。
それで、学年や体格の差無しで勝負が出来るゲームなので、
ゲームの中にある種の公平性を感じて没入していた。
小学校の頃は神童と言われても中学くらいで勉強は落ちこぼれて、
殴り合いつかみ合いの喧嘩やスポーツなどは全然ダメだった。
それがストリートファイターでは負け無しである種優越感に浸れた。
それがSNKからKOF96が出た時に全然勝てなくなった。
小ジャンプという新システムで飛ばせて落とす戦いが出来なくなり、
対応型のキャラは飛び込みまくる小型のすばしっこいキャラに負ける。
SNKが流行っていても旧式のカプコンゲームでずっと遊んでいた。
ゲーセンは対戦ブームが続いてはいたがカプコン派とSNKに分かれた。
それからカプコンもストゼロ3やスト3を作る。
旧来式の戦い方でも始めは勝負になるがオリコンやブロッキングと言う、
ゲームシステムを前面に押し出した戦い方で勝つヤツが出てくる。
キャラを自在に動かせて当たり前で、そこプラスアルファの戦い。
プレステ版がゲーセンに近くなって家で練習してゲーセンに来るヤツも。
そういうことはネオジオという高級機の専売特許であったし、
スーファミ版ではゲーセンと勝手が違う、というところにプレステで、
始めの論法で言うと家で練習出来る分フラットな公平さは増したが、
コンピュータ相手の延長でコンボだけやたら減って返し技は下手、
というような対戦していてアンバランスな感の人が増えたと思った。
そろそろ格闘ゲームも下火で店に行けば人がたかっている状態はなく、
会って遊ぶほうが珍しいのでお互いの遊ぶゲームごとに派閥が出来る。
スト2はオッサンでSNKは不良でストゼロは坊ちゃんという風だ。
(そんな紋切り型にしてしまうと例外も出る。大体だと思ってくれ)
みな上手なヤツには一目置くが下手だと年長でも陰口叩かれる。
自分自身も栄光は過去のものでフルタイムの隙間ではニートに勝てない。
働いているほうが偉いと思うより他無かった。
この感覚は不良の時にゲームが公平だと感じていたのと正反対になる。
ここいらで、ゲームが強いほうが偉いのか、金持ちのほうが偉いのか、
2万くらいで買える制作費のやすいゲーム機に飽きずに没頭するのか。
それいくと将棋なんてプラスチックの駒でも名人は名人だろう。
果たして自分はどちらの了見で人生の舵取りをするべきか決めなくては。
ここで、始めのほうを思い出して考えると、ゲーマーは尊重し合っている。
みな、腕の差はあっても相手の戦い方やキャラクターなどの特徴を、
互いに勝負を通して覚えている。それは名前や顔よりハッキリ覚えている。
一緒にゲームを遊ばなかったヤツからは、単にゲーセンで金を無駄に使う、
喧嘩も弱いのにストリートファイターで勝っていい気になっている、
その程度のことしか思われていないんよね。
社会人になってもゲーセンに通ったのは会社に理解者がいないと思った。
いまは会社にも理解者がいる。
そもそも理解されてなくても労働力としてアテにして雇われている。
社会からの承認として、それで充分ではないかとも思うようになった。
対戦型で遊べることを除くと、ストリートファイターはつまらない。
持ってる3DSのゲームの中で一番つまらないんじゃないかと思う。
それでも、一番長く遊んでいるほうの部類に入っているんだよな。
ネット対戦をすると、オッサンでも不良でも坊ちゃんでもなく、
その腕前から小学生くらいではなかろうかと推測する。
相手は貧乏くじを引いて強いコンピュータと当たった感覚だろうか。
今は社会人かゲーマーか選ばなくても働きながら休みにネットゲー、
もっというとテレビ見ててもブログ読んでても満たされたりするよな。
ストリートファイターにはほかに比べるものが無いほど没入したから。
だから思い出すとあの時は良かったとなる。毎日肩こりで泣いてたけど。