夢が叶っている(進行形)


ドラクエを自分で作りたい、そして今作っている。夢は現在進行形で叶っている。乗るも反るも自分次第だ。


プログラムは実はまだ200行未満。音楽再生に100行以上書いてVB2010の基本機能で音が鳴ると知り4行程度に収縮。しかし音楽が鳴っている時にコマンドを選ぶ「ピッ!」という音を出すと音楽が止まってしまう。難航。


ダンジョンズ&ドラゴンズとかソードワールドとかノベルゲームってヤツは結局パソコンが買えない貧民の娯楽なのですよね。子供のときよく近所の本屋でそういうの見たけど、パソコンあったら絶対ベーマガ読んでたろうな。


そして面白いコンテンツは画面の絵かレベルや攻撃力のパラメータなのか文字で織りなされるシナリオなのかというのは切り分けて考えちゃ答えの見えないもので、マンガはネームが出来てアシスタントが丁寧な絵に仕上げたりするもんだけど、読む人は絵と文字を渾然一体と受け取ってマンガを脳内アニメにして楽しんだりするもんですよ。流し読みでストーリーだけ追ったりするとそういう想像で補完する余裕が無くて見失う。ゲームも攻撃するとき大きな数字が出たりゲージがモリッと減るようになって強いってのを感じる。戦いの繰り返しから百戦錬磨の達人を想像する。ヒットポイントが999になったから強いんじゃなくて、ヒットポイントが10増えるのを99回見たから強いって信じられるんですよ。制作者が遊ぶ人の目線を忘れて神の視点でモノを言い始めたらつまんないよね。


作ってるゲームが思い入れのあるものだけに、そういう遊ぶ人目線が心の中によみがえってきて、豊かな想像に育(はぐく)まれた少年時代だったなと。


ドラクエの町の音楽を聴いていて子供の頃に母親にドラクエIIのパスワードを書いてもらおうとしたことを思い出した。「おかあさん、めんどうだからこれ書いてよ」「いいわよ」「ぱここぺ、こなめち、るえんご」「もう、なに言ってるか全然わからないわよ」「まちがえた、ろえんご」「どこが間違ったのよ、もう、自分でやりなさい」居間には大きなテレビがあって、床の間に倉から見つけた小さな古いテレビを置いてファミコンで遊んでいた。母親はファミコンから鳴る音をうるさいともいわず見てたんだな。良いお母さんだったな。今は別居してるけど。


仕事としてドラクエを作るってのと、ドラクエでずっと遊んでいたいというのは違うけれど、その動機からすると俺はやっぱりドラクエでずっと遊んでいたいのだ。でもなんか、大人としてしなきゃいけないことをどこかに置き去りにしている感じがして、ドラクエをまた遊ぼうと言う気持ちがわかない。ずっと町の音楽を聴いていたい。飽きたら町の外に出てモンスターと戦う。そうするとお金が貯まって傷を受けて町に帰る。宿屋に泊まって買い物をして人と話をして。そんな箱庭でずっと遊んでいたい。


俺は仕事としてゲームを作って飯を食っている。また、ひとりの客としてゲームを買って遊ぶこともある。その遊んでいる所を取って子供のようだと非難されて苦しむ事がある。しかし、子供のように遊ばないで仕事と割り切ってしまうと、仕事自体が無味乾燥のやりがいのないものになってしまう。今は気持ちを整理しようとしている。好きな事を仕事にすることはきっと楽しいはずなのに、周囲の人間から邪魔を受けるというのは想定外だった。夢を叶えて賞賛されるものだとばかり思っていた。


また、俺はシャープの工場のように誰から見ても会社勤めだと分かる場所で働く事もあるが、大半の時間は在宅勤務なので「ずっと家にいる何しているか分からない人」だ。公園を散歩しても人通りは無く、町は年寄りばかりでパソコンの知識も大してない。流行りのスマホゲーが会社でなく家庭用のノートパソコンでも開発できてしまうということが分からない。たとえば20年前ならゲーム機のゲームの開発に専用の機械が必要だった。今はそうではない。


ゲームの仕事に携わったすぐは、姉がその事を知るとゲームをコピーして欲しいと頼んできた。最初は家族くらい良いかと甘い考えで何本か会社のゲームを姉にコピーしてやった。そうすると主婦の間でゲームがコピーで無料になると言う噂が広がり、在宅勤務から京都まで仕事に行く羽目になった。会社にはカバンの持込を禁止され開発機にはメモリも挿せない。息苦しい時間が続いた。今は姉も事情を理解して子供にWiiU太鼓の達人を買って遊んでくれている。


俺はゲームの仕事でも基礎開発を受け持っているが、その気になればひとりで丸々作って売上げを総取りできないかと考えてしまう。もちろん、そんなことをすると会社から、社会から、隔絶されてしまうリスクもある。リターンは宝くじに当たるような感覚だろうか。そう甘くはないとしても、自己顕示欲は満たされそうだ。プログラマーと言うのは裏方だから、意味はあるだろう。