高菜弁当を食べて

食事が肉もの続きで野菜が食べたい時は「ほっともっと」のすき焼き弁当を食べます。鍋物なら野菜多いからね。そのすき焼き弁当が販売終了したので昨日は高菜弁当。揚げ物が多い弁当屋の貴重な野菜メニュー。


ここ数年自炊をしていません。キッチンのコンロが物置みたいになっとる。先日ちきりん先生が「私は大人になってから数学を使わなくなったから数学を義務教育から外そう」という話で炎上していましたが、もし俺が「大人になってから外食や弁当ばかりなので家庭科をやめよう」と言い出すと女性は反発するんでないですかね。ちきりん先生でもクルマは乗ると思うんですよ。クルマはアクセルペダルを踏めば動く。使う人はエンジンの仕組みを知らなくても大丈夫です。でも、どこかにそれを作ってくれる人が居る。中学や高校で将来何に使うかまだ道を決めていない学生に幅広くモノを知らせておくということの大切さは、大人になってから「そういえばやったことあるな」という取っ掛かりのあるなしで違ってくると思います。同じことは繰り返し学ぶと良く身につくので、二度目は無いかも知れないけれど、いちど経験しておくということも大切かもしれません。


もっとも、教育の現場では職業訓練のため喫緊の課題が山積みで、目に見えない将来よりも見えている将来のための勉強が急がれるという可能性もあります。そこは現場に強い人の意見も必要でしょう。浅く広くやっているほうが将来の可能性が広がるというのは高度成長期の悠長な考え方かもしれません。


そんなことを言いながらカルドセプトという3DSのゲームで遊んでいるのですが、もし俺が高校に行かないで中学の頃親にパソコンを買ってもらったとして、ゲームクリエイター1本槍の人生だったら、飯を食うためにスマホのガチャを作って子供から親が困るほどお金を取っていたかもしれません。20代をプログラマーとして過ごして、毎日の生活費を稼ぐのにあくせくして、ふと自分の仕事は社会でどのように役立っているのか、そんな漠然とした事を考えた時に高校の時苦手だった歴史の知識がぼんやり浮かびました。歴史を知らないと「社会とは」というような漫然とした想像はできなかったのではないでしょうか。


そんなことよりオーディンランスが禁止解除されてグレムリンアムルが新しい禁止カードになったのでブックを組み直さないと。そんじゃーね!