格闘ゲーム掲示板

20世紀のインターネットには「やるなら極めろ」と「ファイティングゲーマーズ」という格闘ゲームの掲示板がありました。Wikiがまだ無かったので、情報は集約されておらず掲示板での情報交換とその過去ログがネットの主情報で、しかし時間が経ってみて価値のある情報はどちらかというとお絵描き掲示板の過去ログのほうかなと。「絵は残る」というのは学生時代の進路で情報系の学部でも「データベースとか自作するよりグラフィクスやったほうが後に残るよ」と言っていたのが美術系の先生なので信用した俺もアンポンタンなんだけど、言い得ているかもしれないなと。


過去ログを今になって見ると、いかにも学校とゲーセンしか知らないバカな学生同士の論議で出てくる言葉の引き出しも全然幅がないんですけど、ああやってバカな言い合いを繰り返すうちに鍛えられた事もあるわけだし、俺にとってインターネットはあって良かったなと。街じゃひとりも友達が出来ない偏屈でもインターネットのおかげで言った言葉が誰かに拾われて、俺にもモノが言えるんだって事が分かったんですよ。口に出して言っても誰も聞いてくれないような事でも、文章にして残しておく事でタダの口喧嘩で終わらずに読み返して自分の間違いや相手の本心が分かる事もある。


絵は残るってのは子供の時に描いた絵を大人になっても見れるってことで、子供の話なんてのは大人になって読めたもんじゃないんだけど、それは画力の向上よりも言葉巧みさのほうが大人のほうが数倍上手になるからで、言葉の選び方ってのはどんな仕事をしていても大人になると伸びるものだから言葉って残して置きたいって言うより可能ならば塗り替えてしまいたいことに満ちているんですよね。プログラムなんてのも言葉だから、同じかも知れない。


それでいくと格闘ゲームなんてのはボタン押せばパンチが出るので子供でも大人でも変わらないどころか暇な子供のほうが強くて、それで大人を負かしたら自分のほうが大人より上だと思っているような単純な心理の子供が寄ってたかってインターネットと言う最新技術で文句の言い合いをしていたという、どうしようもない狭い世界だったけど、まあ、アイツらは今何をしてるんでしょうね。良い大人になってんですかね。俺は良い大人になれてんかな。


朝のテレビを見ていると南フランスの景色が映っていて、これを消して「ボディがお留守だぜ!」とかカンフーを映そうとするんだから子供の価値観てのは本当に価値を生み出されるまでの労力を度外視した自分勝手なものだと思いますよ。ゲームをするとしたら昼時のランチを映すバラエティになった時くらいですかね。良い景色でも毎日映ってると退屈して他のものが見たくなるから、幸福で退屈でその幸福が他人から、それも親の苦労、先人の知恵、世の中で働く様々の人の世話に気付かないでゲームばかりしてたんですよね。


でもまあ、ゲームってそのためにあるんですよ。考えて思い巡らせてもどうしようもないことは世の中にはいっぱいあって、そんなこと考えても考えなくても毎日メシにはありつける。そのメシとメシの間に現代人のできることのどうしようもなさをゲームは忘れさせてくれる。そのゲームを退屈だとかつまらないと思っちゃったら、もう本当にどうしようもないですよ。


対戦ゲームにしたって勝ったほうが勝ちはもちろんだけど、楽しんだほうが有意義ですよ。そういう意味で楽しんだモノ勝ちですよ。後に残るかどうかは後になってみないと本当のところは分からないですよね。南仏の画商の物置に誰も見ない絵が埋まっているのも考えたら当たり前の話かもしれないし、少なくともその程度以上にはゲームって残って来てると思うんですよね。」


と、ゲーム系の先生が学生に勧めているというお話。