相手が欲しいものを見定めるってホントに難しいから

俺の爺さんの葬式は大勢の人が寺に押しかけて結構大きかった。

最近では近所の葬式は寺ではなくレンタルの葬儀会場が多いが、爺さんの時は残った両親と祖母で香典返しを何にするかと集まって悩んでいたのを思い出す。

貧しい人の中には気の利いた贈り物なんかより現金が良いという人だっているのだ。

だが、よく考えると現金が欲しいわけではないと思う。千円札をもらって後生大事にタンスに仕舞って置いておくような人が現金を欲しいなんて滅多に言わないと思う。

つまり、現金が欲しいと思っている人は現金を使って自分の思いのものを欲しいと思っているだけでモノとして千円札や1万円札が欲しいわけでなく、それを使っていつでも買い物ができるお店や、明朗会計で札を渡したらお釣りが返ってくる、そういうお店が欲しいのだ。

だから、知り合いの創価学会の人が亡くなったときお葬式に行って、全員でお経でなく南妙法蓮華経を延々と唱えるその空気には引いたものの、香典返しがカタログショッピングになっていて、これは気が利いているなと思った。その時にもらった皮の名刺入れを今でも使っている。

それと比べたら、自分で何かを選んでそれを相手に気に入ってもらえなかったというのはある意味では調査が甘いとか気持ちが足りてないとか自己責任的に考えて落ち込んでしまったりするのだけど、反対に自分が本当にいつか欲しいと心に秘めているものなんて人から渡されてしまったら、どうやって調査したかとか心が読まれたみたいで気持ち悪い感じがしないだろうかと思うので、贈り物なんてのは受け取ってもらえばそれで良い押し付けのようなものであるし、かといって現金を渡してしまうほど何かの利害を感じさせるのも相手にそれに見合う何を求めているのかと勘ぐらせてしまうかもしれない。

地元の銘菓を持っていくというのは地方税収になっているし、和菓子屋だって儲かっているわけだから、実質相手に渡っているのは餡ころ餅くらいのものであり、それくらいなら田舎でもただで受け渡しされるようなものだから、まずかったかなと思わずに、地元の菓子屋が儲かって食ってもらえたと思っておけば良いなと気を取り直したのでした。