ネブラスカで見てきた黒人同士のストIII3rd

確か25歳の頃だから遡ること14年、俺はストIII3rdの日本代表としてアメリカに遠征した。そして北米代表チームと日本代表チームの5on5の中堅として戦いアルカディアに白黒写真で紹介された。

・・・という武勇伝を自慢したいわけではなくて。

現地に行って、日本のゲームがどう遊ばれているのかということを伝えたい。

14年も前って今更だよねと思われるかもだが、対戦格闘ゲームのタブーに触れる問題なのと、何が行われているかをビデオではなく文筆で説明するためのボキャの問題でずっと黙っていた部分なんですよね。

日本で放送される日本人プレイヤーと海外プレイヤーの戦いは普通に対戦して日本人が勝ったら特にクローズアップされるんだけど、フルコンタクトで両者が相手を倒すことを目的とした所謂ガチ対戦と黒人同士の遊び方は全く違うんだよね。

たとえば、ネクロ対ダッドリーという対戦カードで、ネクロはトルネードフックを狙う時、相手に当たるように出すのが当たり前だし、ガードされたら二段目を赤ブロッキングしてダッドリー側は大キックからEXマシンガンアッパーを決める。これは将棋で言う最善手みたいなものなんだよね。

でも、ネブラスカのプレイヤー達は先ず相手と呼吸を合わせてブロッキングが決まるようにトルネードフックを出す。合図を送ったり、タイミングを決めておく。そしてトルネードフックを2段ブロッキングして、相手に反撃するのも硬直中に確定ヒットを狙うのではなくEXショートスイングなどの多段技をブロッキングが間に合うように出してネクロ側はそれを3段ブロッキングする。

そうして、互いにコンビネーションを出して多段ブロッキングしてからターンを交代してまた相手の技を多段ブロッキングするという演舞を延々とやり合うんだよね。

この演舞はそれ自体二人一組で息を合わせた見世物で、展開はいつもだいたい同じで観客はちょっと見飽きている。日本からも5人行ったので、みんなその様子は見たはずなんだけど、日本のプレイヤーはみんなガチ過ぎて意味不明に見えたのが残念。

そして彼らは彼らでいきなりいつも遊んでいるゲーセンに外国人が大量に来て、白人がわけの分からない難しい英語を話して5人ずつに分けられて、ゲームしたらみんな合図も何もなく技を出し合って勝ったほうが表彰されて、ワケが分かってない。

大会というワケのわからないイベントが終わったら、外国人(日本人も含む)たちはギルティギアに夢中になったので、また二人で組んでブロッキング合戦の演舞をしている。

ゲームのプログラムがどういう判定で何をしたら勝ちというルールが決まっている固定観念を持ってみると、全くふたりとも意味不明の動きかもだけど、何もゲームのことを知らないという目線で見たら彼らの演舞はけっこう格好良く映るだろうなと思った。

怒りを抑えるのが上手になると悟っちゃって頑張れない

「昔はなんであんなに頑張れたのだろう」と振り返ると怒りや嫉妬に満ちていたことを思い出すんです。最近はムキにならなくて、それはそれで良いんだけど負けん気のようなものが湧かないんですよ。それはもう、性格が変わったと言って良いほど。

全く何も腹が立たないほど悟りきった訳ではないのですが、ことゲーム全般に対して「勝つまでやる」という姿勢では無くなりました。何に腹が立っているかということを見つめ直したんですよね。ゲームの腕前に対して「こうありたい」と思うレベルに自分が達せない自分に対しての怒りなのか、ゲームプログラムが「こうあってほしい」という仕様に対する不満なのか、対戦相手がルールを守らないことに対する怒りなのか、勝負に託つけて無礼な野次を飛ばすものに対する怒りなのか。

昔はこれらが全部ごっちゃで「とにかく勝ってやる」と思ったものだし、勝ったらみな黙ったんですよね。それが勝負のルールだったから。そして、ゲーム大会に勝ってゲーム雑誌に写真が載った時に俺のゲーム生活は「あがり」だという自己判断を下したんですよ。

それなのに自分に対して偉そうな人がいるのが許せなかった。それがゲームに無関係な会社の上司とかが偉そうなら諦めはつくんですけどね。それよりゲームをあがってみても何かが手に入ったわけではなく、付き合う人を変えると「たかだかゲーム強いくらいで自慢なんて」という人のほうが多い。

そういう人に対して「ゲーム強いのは偉いんだ」という筋で話を進めていくと、ゲーム強いのは偉いと認められた時に「俺も雑誌に乗ったのかもだけどウメハラとかその論理に従えばもっと偉くなるでしょ」という現実に対するもどかしさが付きまとってきたんです。それで、再び熱くならずに一人用でコンボの練習とか地道にやるようになったんです。

それでも、もう昔のようにエネルギーをゲームに変換できないんですよ。文句を言われたら、ゲームの腕ではなく文句で解決しようとする頭になっちゃったんですよね。

対戦する人は自分で戦うから、自分で勝った負けたが起点になっていて、だから序列があるんです。だけど、強い人に託つけて自分ではやらないで野次るサッカーのサポーターみたいな人には本当に話が噛み合わなくて。もう、自分は部外者で無敵でお前はプレイヤーの方だろという立場のバリアがあるんですよ。

そういう現実の前に「ゲームで頑張る」って方法は効果あるんだろうかって考え始めちゃったんですよね。

国際分業という考え方を推し進めるとどうなるか、考え中

農業を軸に考えると地域の気候によって特産物が変わるので、世界の各国が自国の特産品を作り貿易をする。日本は農産物の自給率が低くハイテク工業とバイオ産業を得意としている。

日本が工業国であるという観念はNHKスペシャル「電子立国ニッポン」などで後押しされているが、たとえば東京工業大学卒業で上場企業勤務と言うと、日本では給与水準としては高い方に属するだろう。それがアメリカンな考え方だと「機械作っている人」になり、スーツに白襟を着た政治家よりも作業服の身分が低い人間というイメージになる。これはつまり、貿易で勝つのはアメリカであり、日本人はみんな作業服を着て機械作っとけばいいというところまで論理が進む。

しかし、現実はこうだろう。ハイテク工業だろうがバイオ産業であろうが、垂直分業のロウレベルの作業は全て植民地に委ねて先進国はみんな遊ぶだけというヒエラルキーの国際化が現在進行中であると。

消費者は1台しかないから「このアプリどっちで出るの?」とか「どっち買えばいいの?」という問題になるんだよな。家計でひとり1台しか持てないから二者択一になるけど、「選挙の時にどこに入れたら日本が良くなるか」という問題に大半の国民が関心を持たないからiPhoneAndroidどっちが良いかという問題でiPhoneが勝つんだよな。

iPhoneが勝つとはどういうことか。「iPhone部品が日本産だから日本の工業は優秀」という論理で語る記事を読むと「そうなのか」と思うけど、それって「日本のラーメンの小麦は中国産だから中国の農業は優秀」って言われても「へ?」てなる。そのうち部品は中国産になる。日本の工業はたぶん違う形になっていく。

そうすると、日本って国際的に見てどれくらいの国なの?良い国なの?悪い国なの?国際化社会において国籍ってそんなに大事なの?個人でもお金持てば飛行機に乗ってどの国にでも飛べるんだから、勉強したりスポーツ勝ったりすれば国際人として成功できるんじゃなかったの?というような疑問が増えてくる。

分かることは日本の工業の国際競争での分が悪くなるということくらいで、それがひいては国民全体にどういう影響を与えるかまでは分からないよね。

 

 


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