AmazonとGoogleが生活をゆるやかに苦しめているわけだが不可抗力すぎる

学校で習った「国産を買えば国益になる」という論理は正しいのか。

単純明快な論理で説得力はあるが、国産品をスーパーが高く売るので国産品を買うとスーパーの儲けにはなるが家計の支えにはならない。外国産が安いのは現地の労働単価が安いことが原因だが、品質が低いからと論理をすり替えて国産は品質が高いから高価格に設定される。しかし、国産である以上は輸送費が安いのでそれが高いということは生産者の農家かスーパーが儲かっているということだ。

スーパーが儲かるのは良いことなのか悪いことなのか。儲かったら利益還元セールが行われるかもしれないし、スーパーのレジ打ちの雇用が生み出される可能性もある。だから誰かが独り勝ちを狙うのではなく、地域の協力をどのレベルで行うかの問題とも言える。

この反対のことがネットで起こってきた。

ソフトバンクのヤフーがインターネット普及期にポータルサイトとしての囲い込みを狙い、俺はそれに違和感を覚えて検索にはグーグルを使ってきた。グーグルが会社になる前からだ。そして何も情報が無かったインターネットにくだらない文章を投稿してきた。プログラムが組めるのでインターネットサービスを始めることも考えたが、サーバーを立てるだけのお金はなく、無料サービスを利用してネットライフを過ごしてきた。

「ネットがカネになったらな」と思ったことは何度もあるが、それが現実になったのはアマゾンのアフィリエイトのおかげだ。タダで書いてタダで読まれるネット上の無数のやりとりに通販サイトアマゾンの広告を挟むことで書き手に一定の報酬を与えるアソシエイト・プログラムをアマゾン社は開発した。

アメリカの最下層民は労働収入が低く最低限の暮らししか送れないということを何かで聞いたり読んだりしたことはないだろうか。アマゾンのアソシエイト・プログラムは生産手段を持たない物書きには副業のひとつとして有難がられているが、実は売上に対して3%しかマージンを産まないということは相当に部の悪い仕事のひとつと言える。

ネット副業で月3万というと主婦には魅力があるかもだが、利益率3%で月3万稼ぐということは売上で言うと月に100万売り上げている計算になる。月に100万も売り上げたら、普通の商売なら20万円は儲かるだろう。それだけ、仕事に対する対価が少ない条件の悪い契約なのだ。

それでも、在宅で出来て拘束時間もなくてアルバイトのような時間給ではなく成果単価である点が一部の人間には良い条件であることは間違いない。それだけ暇をしている人がいて、家でパソコンで打ち込むくらいの仕事なら出来るが適切な副職が見つからない所にアマゾンのアソシエイト・プログラムがハマっている。いくら不利と喧伝してもそれに人が流れるのは不可抗力だとも言えるだろう。

それで辛くなったのは日本の卸売業と小売業になる。ハッキリ言ってアマゾンで買えるものはアマゾンで買うのが安い。そうでないのはスーパーの生鮮品くらいだ。安いし楽だからアマゾンで買う。その売上をアメリカの会社に取られるのが国益という尺度で考えると、ダメなことは間違いない。

しかし日本がニートに何か支援ができるかというと引きこもり脱出プログラムと称して職業訓練校への通学を進める程度の紙切れ1枚のプログラムしかない。もっとこう、プログラムというのだから、アマゾンのアソシエイト・プログラムのようなコンピュータプログラムで雇用を産むことは出来ないのだろうか。

ネブラスカで見てきた黒人同士のストIII3rd

確か25歳の頃だから遡ること14年、俺はストIII3rdの日本代表としてアメリカに遠征した。そして北米代表チームと日本代表チームの5on5の中堅として戦いアルカディアに白黒写真で紹介された。

・・・という武勇伝を自慢したいわけではなくて。

現地に行って、日本のゲームがどう遊ばれているのかということを伝えたい。

14年も前って今更だよねと思われるかもだが、対戦格闘ゲームのタブーに触れる問題なのと、何が行われているかをビデオではなく文筆で説明するためのボキャの問題でずっと黙っていた部分なんですよね。

日本で放送される日本人プレイヤーと海外プレイヤーの戦いは普通に対戦して日本人が勝ったら特にクローズアップされるんだけど、フルコンタクトで両者が相手を倒すことを目的とした所謂ガチ対戦と黒人同士の遊び方は全く違うんだよね。

たとえば、ネクロ対ダッドリーという対戦カードで、ネクロはトルネードフックを狙う時、相手に当たるように出すのが当たり前だし、ガードされたら二段目を赤ブロッキングしてダッドリー側は大キックからEXマシンガンアッパーを決める。これは将棋で言う最善手みたいなものなんだよね。

でも、ネブラスカのプレイヤー達は先ず相手と呼吸を合わせてブロッキングが決まるようにトルネードフックを出す。合図を送ったり、タイミングを決めておく。そしてトルネードフックを2段ブロッキングして、相手に反撃するのも硬直中に確定ヒットを狙うのではなくEXショートスイングなどの多段技をブロッキングが間に合うように出してネクロ側はそれを3段ブロッキングする。

そうして、互いにコンビネーションを出して多段ブロッキングしてからターンを交代してまた相手の技を多段ブロッキングするという演舞を延々とやり合うんだよね。

この演舞はそれ自体二人一組で息を合わせた見世物で、展開はいつもだいたい同じで観客はちょっと見飽きている。日本からも5人行ったので、みんなその様子は見たはずなんだけど、日本のプレイヤーはみんなガチ過ぎて意味不明に見えたのが残念。

そして彼らは彼らでいきなりいつも遊んでいるゲーセンに外国人が大量に来て、白人がわけの分からない難しい英語を話して5人ずつに分けられて、ゲームしたらみんな合図も何もなく技を出し合って勝ったほうが表彰されて、ワケが分かってない。

大会というワケのわからないイベントが終わったら、外国人(日本人も含む)たちはギルティギアに夢中になったので、また二人で組んでブロッキング合戦の演舞をしている。

ゲームのプログラムがどういう判定で何をしたら勝ちというルールが決まっている固定観念を持ってみると、全くふたりとも意味不明の動きかもだけど、何もゲームのことを知らないという目線で見たら彼らの演舞はけっこう格好良く映るだろうなと思った。

怒りを抑えるのが上手になると悟っちゃって頑張れない

「昔はなんであんなに頑張れたのだろう」と振り返ると怒りや嫉妬に満ちていたことを思い出すんです。最近はムキにならなくて、それはそれで良いんだけど負けん気のようなものが湧かないんですよ。それはもう、性格が変わったと言って良いほど。

全く何も腹が立たないほど悟りきった訳ではないのですが、ことゲーム全般に対して「勝つまでやる」という姿勢では無くなりました。何に腹が立っているかということを見つめ直したんですよね。ゲームの腕前に対して「こうありたい」と思うレベルに自分が達せない自分に対しての怒りなのか、ゲームプログラムが「こうあってほしい」という仕様に対する不満なのか、対戦相手がルールを守らないことに対する怒りなのか、勝負に託つけて無礼な野次を飛ばすものに対する怒りなのか。

昔はこれらが全部ごっちゃで「とにかく勝ってやる」と思ったものだし、勝ったらみな黙ったんですよね。それが勝負のルールだったから。そして、ゲーム大会に勝ってゲーム雑誌に写真が載った時に俺のゲーム生活は「あがり」だという自己判断を下したんですよ。

それなのに自分に対して偉そうな人がいるのが許せなかった。それがゲームに無関係な会社の上司とかが偉そうなら諦めはつくんですけどね。それよりゲームをあがってみても何かが手に入ったわけではなく、付き合う人を変えると「たかだかゲーム強いくらいで自慢なんて」という人のほうが多い。

そういう人に対して「ゲーム強いのは偉いんだ」という筋で話を進めていくと、ゲーム強いのは偉いと認められた時に「俺も雑誌に乗ったのかもだけどウメハラとかその論理に従えばもっと偉くなるでしょ」という現実に対するもどかしさが付きまとってきたんです。それで、再び熱くならずに一人用でコンボの練習とか地道にやるようになったんです。

それでも、もう昔のようにエネルギーをゲームに変換できないんですよ。文句を言われたら、ゲームの腕ではなく文句で解決しようとする頭になっちゃったんですよね。

対戦する人は自分で戦うから、自分で勝った負けたが起点になっていて、だから序列があるんです。だけど、強い人に託つけて自分ではやらないで野次るサッカーのサポーターみたいな人には本当に話が噛み合わなくて。もう、自分は部外者で無敵でお前はプレイヤーの方だろという立場のバリアがあるんですよ。

そういう現実の前に「ゲームで頑張る」って方法は効果あるんだろうかって考え始めちゃったんですよね。


🄫1999-2023 id:karmen