「同一労働同一賃金」を成り立たせるには同一環境が必要だよね

 大阪のオフィスで働くのと奈良の工場で働くのでは賃金に差があるわけで、大阪で勉強して奈良に帰ってきて奈良で大阪にいたときと同じ給料を変わらずもらっていると労働組合とかの人に「どうして同じ仕事なのにあの人だけ給料が高いんだ?」言われたりしたんですよね。どうしてかは俺に聞かずに給料決めてる所に聞いてほしいんですけど、パソコンでプログラミングしてソフトを組み込んでいるのと、パソコンでネット見てサボっているのが同一労働と思われたら俺もちょっとやってられない。むしろ時間給ならサボっていても長時間座っていたほうが給料は多いわけだから、むしろこっちの時給上げろやって言ったら、今度は「格差が〜」って言われ始める。

ここでもう一度同一賃金同一労働とはどういう思想なのかってことを考え直したい。

まず、ソフトクリームを機械からコーンに盛るだけの簡単なお仕事を例にとってみよう。都会ではそれだけで人が集まって、たくさん売れる。したがって都会のソフトクリーム屋さんは忙しくクネクネとソフトクリームを盛りまくらなきゃならない。だけど田舎でソフトクリーム屋を開業して、お客さんがひとり来たのでひとつソフトクリームをクネクネと盛ったとしよう。それではひとつ分しか儲からない。これは分かるはず。

それを同一労働同一賃金にするためには都会と同じだけの人数を田舎に送り込むか、田舎でクネクネとソフトクリームを乗せまくってから都会に持っていかなくてはならない。工場の場合は明らかに後者で、同じ製品を決められた数作っているのに、地域の違いで給料が違うということはまず不満の原因になるだろう。

それらが全国民にとって生活必需品であるならば国が生産管理をして販売ではなく配給する仕組みを作らなければ同一労働とは見做せないはずなんだ。

残念ながら日本の一部は自由競争経済で成り立っている。しかし、工場労働者にとっては極めて共産主義的な労働賃金の体系で雇用されている。

どちらが正しいとか、理想をどちらに置くとか、そういう問題の前に現実社会がそういう仕組みで回っている以上、右にも左にも言い分はあろうけど政治介入しなくては回らない産業というのは国家を企業とみなした場合は負債のようなものとなる。

というか、書いてて分かったんだけど自由競争経済の中で自然淘汰されつつあるから政治に訴えているのだよな。その口上として同一労働同一賃金を上げているだけで、言い分としては間違っているけど、見捨てるか助けるかって観点で考えないと、合っているか間違っているかっていう観点で論じてはいけないものかもしれないよ。

最初に書いたように同一労働同一賃金を成り立たせるには同一環境が必要なわけで、ソフトクリーム屋さんのお店の雰囲気だけ同じにしてソフトクリームをいっぱい作っても、それがある街に本当にそれだけ買いに来る人がいるのかって外の世界まで併せて考えないと「同じことをしている」とは言えないんじゃないかな。

俺の例で申し訳ないけど、コンピュータの勉強すると基本的に東京大阪しか仕事がない。奈良でやるために色々の試行錯誤をしているけど、我慢して通勤さえすれば大阪で給料がもらえても、奈良で自分の家でサボらずにプログラムに打ち込んでも給料なしの状態が続いている。ちょっと話を変えると、大学も奈良では奈良県立医大奈良教育大学奈良女子大学があって、最近では耳慣れない私大もあるけど、奈良で大学出るってことは医者になるか先生になるか、女子なのか、それしかないのだ。あとはまあ、観光かな。んで、奈良にも色々の工場もあってそれらは工業高校とか高専から行くみたいなんだよね。

奈良の工場にもIT分野の仕事が入ってきていて、それをするために京都大阪から奈良に通っている人もいて、奈良でもIT人材を育成しようという向きはあるけど、ハローワーク職業訓練校で半年勉強させるだけでは入れてもらえなくて不満を言う人もいる。そして自分がハロワに行くと大阪から大量の求人票が来て「贅沢言わずに大阪まで行け」と言われたりする。

せっかくネットがあるんだからソフトの仕事が在宅で出来ても良いのにな、と思うけど、自分が大阪で最初にやった仕事は全国津々浦々の在宅プログラマーに委託して何億円とかけてポシャったプログラムを谷六のオフィスで紡ぎ上げて問題点を直して動くようにするというものだった。雇ってもらえた後も毎日本を読んで勉強してた。あー、しんどかったよ。

そうだよな。10年以上やっても在宅で全権委任されるほど信用があるわけでもない。

奈良に帰ってきてから俺が身に着けている能力は専門用語を知らない人に噛み砕いて説明する能力なんだけど、多分これは死にスキルになるわ。教えないでシステム作ってプログラムは出来ないけどパソコンやスマホでこのソフト使えば自分で出来るって思っている人にソフトを売りつけるのが商売だからね。

テーマからだいぶ逸れたけど、同一労働同一賃金の「同一」ってどこが同一なのよと。

俺自身も家のパソコンでプログラムは組むけど、たとえば星野源でも風呂場でアカペラで歌を歌っても給料はもらえないけどステージでやると儲かるみたいだから、周りの人とチームワークを組んで何かやるって体制を自宅に敷かないと厳しいんだろうな。

大阪に住んでいた時にえらく金持ちだと思われて、それは誤解だと

お金の話というのは憚られるものですけど、就職して2年目くらいで実家からの通勤でなく大阪に引っ越したんですよね。そうすると独り暮らしになるのだけど、家で暮らしていた時に親の家事とか買い物とか手伝ったこともないボンちゃんでした。

そんで、ネットで統計データとかを見て自分が金持ちとか高給取りとは思えないんですけど、大阪市中央区に住んでそこで暮らす間にスーパーで安売りのチラシを見るとかツタヤでレコードを借りてダビングするとか、そういうのをせせこましいと考えていました。

喫茶店に入ってカプチーノを飲んでみたり、ディスカウントストアでなく町の酒屋さんでビールや日本酒を買ったりしていたんですよ。レコードも買う派だった。

それらが情弱の町の人から見て、えらく金持ちである風に映ったんだろうなと振り返って思うんです。

中央区でクルマを持つと駐車料金が家賃なみに高いので、仕事で疲れた時にタクシーを拾ったりもしていました。食べる店も料理の材料である肉や魚のコスパでなく店員さんがかわいいとか、建物がおしゃれとか、そういうので選んでいたような。

そして、よく「どうやったらそんなに儲かるの?」と聞かれたもんですけど、俺が思うに「ケチケチせずに買ってみろ」と言い返してやりたい。コース料理食ってワイン飲んでも3000円くらいで済む店、いくらでもあるだろと。それなのにショッピングモールの食べ放題で食べといて、どうやったらそんなに儲かるのってお前らのほうが儲けてるだろと。俺は儲けてたんじゃなくて贅沢に使ってただけなんだよ。

だから「どうしたらお金持ちになれるの」と聞かれたら、こまかい節約の話をしてやるんですけど、今の俺はたぶん地元の人から金持ちには見られていない。セコくて家から出ない変なやつだ。でも、貯金は若い頃よりずっと多い。そういうことを教えてやると、その末に「あ、私ってお金が欲しいのじゃなくて贅沢がしたかったのね!」と分かってくれる人もいる。わからず屋もいるけどさ。

それくらいのお金、誰でも持ってるんですよ。ホンマに持ってなかったらゴメンやけどな。

こんなことをブログに書くと常識と非常識が明日からひっくり返るかもだけど、例えばスーパーで缶ビールを買ってひと缶30円くらい酒屋さんより安いかもだけど、店員さんは流れ作業でレジ打ってて、人間関係とか発生しないやん。でも誰も入らないちょっと高い店に入ったら、一発で会話が生まれて店員さんと仲良くなったり出来るやん。それは20代の頃の俺の人間性というか警戒心の無さからそうなっただけかもだけど、酒屋さんでビール買って、ちょっと贅沢したいときに「どれが美味しいですか?」とか聞くと、ホンマに安くておいしい日本酒をすすめてもらったり出来たのよ。

だけど量販店のレジ打ちの店員さんに話しかけたりするのって変人だし、万が一その人が話に応じてくれても「どれが美味しいですか?」なんて聞いても高いもん売りつけられたりするだけなんだよね。

んで、俺はそういう風に20代で蓄えた情報、それもネットで見たとかテレビで見たとかじゃなくて生活していて知り合った人から教えてもらったことを頭の片隅に置きながら、田舎でセコセコとしながら30代を過ごしてもうすぐ40歳になる。

ひろゆきがよく言うんだけど、入社試験でペーパーテストでなく「いついつの漫画本持って憩い」とか言うと例えば古書店じゃなくラーメン屋や散髪屋に探しに行くやつが勝つかもしれない。それは面白いけど、毎年やると「去年は漫画本だったな」って情報が出回って、古い漫画雑誌の専門店みたいのが開業されて就活生が利用しちゃう。

同じように、俺が酒屋さんから教えてもらった旨い酒でも、ディスカウントストアでそれ買っちゃうと真似して周りの客がワカワカ買っていって、売れ筋になって、類似商品がメーカーから出たりとか、色々なことが起こった。

んでも中国思想の民生で考えると、美味しいものは独り占めでなくみんなで分けれるだけ作れるなら作っちゃってみんな食べれる方が良い。そういう考え方もあるんだ。限られたものの奪い合いしか考えてなかったら分からないかもだけど。中国産ウナギも美味しくなったんじゃないの?

まあ、俺の根っこの方には「俺は特別なんだ」って意識があるから、こういうことを書いて教えてやろうって思うのだろうけど、考え方としては伝えることで普遍性を持たせることは出来るんじゃないかって考えてる。

他人の物を自分のものと偽って第三者に渡したら誰の犯罪か

リラックマの大きなぬいぐるみをゲーセンのキャッチャーで取ってきて、自分で気に入って部屋に置いておいたら留守中に小さい姪っ子が遊びに来てそれを見て欲しがり、爺さんが「これ、あげるって言ってたよ」と勝手に持って帰らしたと帰って知った。俺は自分のものを勝手に取られたこと、姪っ子の喜ぶ姿を爺さんだけが見て、留守中にものがなくなったことを怒り姉に「返せ」と言うと「爺ちゃんがあげるって言ってんもん」と色々あった。結局は俺がもう1個ぬいぐるみを取ってきて替えてもらうことになったが、姪っ子は泣き出して「もういらない」と言った。

別の機会に音楽仲間の友人のコンサートに誘われたとき、いや、コンサートなんて上品な響きだと誤解されるからナイトクラブの催し程度なんだけど、そんときちょっとお金がなくて「行きたいんだけどちょっと苦しくて」というと「友人の招待で入れてあげるから」と言われて信じてチェックの時に「友人です」と言ったら入れてもらえたのに、出場する時に「この人チェックがありません」と言われて恐いお兄さんが出てきたけど「まあ、いいんだけどな!」と言われてそれからその友人と連絡が取れなくなった。

そういうことが起こる前は俺は清廉潔白なつもりでいた。だけど、だんだんと誰の罪か分からない罪なのに濡れ衣というか「ちょっと湿った衣」をいっぱい着せられるうちに自分は清廉潔白で悪人は裁くべきというような価値観では無くなった。

それでも、世の中には清廉潔白を貫いているアッパークラスは存在して、もしかしたら影で悪いことやっていても表層的な付き合いではそれは露見しなくて、そういう人々からすると俺はちょっと汚い、危なっかしい存在に思われるように堕落してしまったかもしれないなと思う。


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