映画「君の名は」をdTVレンタルで観た

見たいなぁと思いながらナンダカンダで映画館行けなくてdTVで検索にかけたら入ってる!飛び跳ねて喜んだら有料レンタル・・・。しかし432円と店頭レンタルより安くdポイントで払えることを知り家族の承認を得てパソコンで視聴。泣いて、涙を拭った後には迷いがひとつ消えている。それでも見終わった後は普通の夏の夕方を過ごすのであった。

なんというか、動員数から考えてメガヒット映画なのは間違いないんだけど、どう考えても俺から見ると内輪ネタのシーンに外から「こうだと思った」って感想が色々と付いていて、しかしそれらは「マンネリだった」とか「つまんなかった」よりは遥かに高評価なわけだから、誰かを取り巻く意味不明の事象でもそれをスパイスとして取り入れながら染まりきらずにネタとして消化しつつ物語の筋金はしっかりしていて。

ああ、色々と上手い人の仕事ってのは凄いもんだなと。

月初の楽しみのひとつにベクターから作品の明細が届くんだけど、麻雀ベーシック「大三元」のダウンロード数が8000本を超えた。サラリーマンしながら副業で稼ぐことを企んでいた時があって、その頃から会社の仕事以外にブログを書いてアプリを作っていたけど、結局それが働きすぎで本業に入れる力を削ぐことになり、なにやってんだか。

その昔にバイトしてたメディックス社のパソコンゲームは1本1万円で100本出れば黒字だと社長から聞いていた。そう、あの時作ったゲームのタイトルにも「君の名は」てのがあった。100本でも小売店に押し付ける能力が凄いよ。麻雀ベーシックは8000本でも無料だからな。

いやほんと毎日カプエス2遊んでスコア上がってるの喜んでる場合じゃなくて、個人制作でも1万本にリーチ出来ると分かれば商品企画をまた考えないとね。100万円くらいの売上なら雇われプログラマーでも良いやってなるけど、麻雀でも単価1000円で1万本出る見込みがあったら話は大きく変わるよね。

 

ヲタがアニメキャラの抱きまくらを嫁というらしいが

なんかねえ、ブログ長いことやってると他所のブログとか商用雑誌とかビジネス本の導入なんかに「あっ、これ俺が書いたものじゃねえの?」と思うこともあるんですけど、振り返ると最初の頃は自分の言葉なんてものが読んだ本から学んだ言葉だから本から勝手にブログにリライトしてたわけで、村上春樹も出版社に投稿された小説を大物作家がリライトする話とか小説の中で語ってたよね。そんなもん。

目に留まるブログや本でパクリが検出されたけど、学生の頃なんて雑誌で読んだことを自分の言葉のように語るなんてのは当たり前でやっても良いことだと思っていたし、ある先輩がカッコイイこと言うなと思ったら別の先輩が元ネタ教えてくれて幻滅したって顔をすると「誰でもすることなんじゃね?」と諭してくれたなぁ。そのレベルで考えるとタダで書くのってなんなんだろうね。だけど口にできない事だから書いてるって部分もあるわけで、それが広まって風説になってやがて世論になる。何度も書いてるけど俺が子供の頃ってゲームは「してはいけないもの」だった。有本が「テレビでゲームのコマーシャルするのって何でだろう。テレビでゲームされたらテレビの視聴率下がるのに」「それはそうだけどテレビの視聴率ってのは結局それにスポンサーが付いて広告収入が入るから大事な数字なのであってゲーム会社がテレビに多額の広告料を払うならテレビも言いなりに広告流すんじゃね?」と返していたけど、どちらかというとそれ以前の「ゲームはしてはいけない」って風説自体がテレビゲームの流行がテレビの視聴率を下げると警戒した当時のテレビ局が作ったものなんだよな。ゲーム好きとしては「してはいけない」とコソコソやるより流行ってる方が良いという考え方もあるし、酒を禁止する禁酒法の時代に酒を飲まない人まで「そんなに酒っておいしいの?」と興味を持った歴史もあるから、どちらかというとゲームをテレビで流行させている今のほうが勘ぐってゲームをそこまで好きと思っていない自分もいるわけで。

それで何だ、そうだリライトだ。話がだいぶ逸れたけど、そういう風に誰が何を狙って元々の話を作ったのかということは何世代も伝聞されると薄れて、口から発した時に聞いた人が知らないと「カッコイイこと言うなあ」と思うのは書き手としては多少いけ好かない所があるけど、その昔に付き合いのあったファッションデザイナーのおばちゃんはメイクが上手いのに自分で自分を飾らずに若い女の子を可愛く写真にするスタッフとして働いていた。もう随分会ってないけど、最近テレビを見て「この子可愛いな」と思った子は乃木坂46橋本奈々未さんの引退前のメイクと髪型に寄せていて、俺の言葉がどこかの知らない人の口から語られているように、橋本奈々未さんのイメージ写真というのも元を正せばどこかのファッションデザイナーとかメイクさんの作ったアートみたいな部分もあるんだろう。

そして表題の「ヲタはアニメキャラの抱きまくらを嫁という」という発想に行き着くわけだ。嫁さんが風呂上がりにスッピンになっていても男として元気になるのかと考えると俺は化粧の好みで女を見る節があるので、ヲタはそのワンランク上の自己満を得ているのだなと思う。

ドラクエXIの発売日に買わないで我慢するプレイ

テレビで何度もドラクエXIのコマーシャルが流れてますね。

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子供の頃のことはよく覚えていること、記憶が薄らいでいること両方ありますが、ドラクエの音楽と画面は鮮明に覚えていて特にドラクエ初代の箱の絵を見ると小学校の頃にお座敷の床の間の掛け軸の前に物置から見つけた古い小型14インチのカラーテレビを置いて、夏休みに扇風機に当たりながら祖父母も元気で6人家族で遊んでいたことまで思い出します。

しかしドラクエ初代は仲の良い友達がなかなか出来なかった小学校高学年で転勤族の子供である村上くんの誕生日プレゼントにファミカセをプレゼントしたいと親に言うと「小学校がそんなに高いものプレゼントするもんじゃない。いっぱい持っているんだから何か自分の1個あげたらそんでええんや」と言われていちばんのお気に入りであったドラクエをプレゼントしたんですね。それが当時の自分にとって大切な友達である証だったけど、村上くんはそれを持ったまままた転校。いつしか寂しい思い出でした。

そしてドラクエIIも夢中で遊んだけど、マンション住まいのちょい不良である西沢くんに「なあ、貸してや。もう解いてんやろ。友達やろ」と言われて貸すだけならと渡すと二度と返ってきませんでした。借りパクってやつですね。これも悲しい思い出です。

この写真に映るふたつのドラクエは思い出があまりに悲しいのでヤフオクで結構な値段を出して買い戻した、同じものだけど微妙な品物でありますが、箱の絵を見た時に思い出がよみがえって泣きそうになったのを覚えています。

その後に某スクエニで働いたこともあるのですがそこには堀井雄二さんも鳥山明さんもすぎやまこういちさんも居なくて雑兵プログラマーが軍隊のごとく並んで納期に追われて仕事をしている悲しい職場でした。いや、事務系SEとかよりはユルイし人は優しいし女子もいるけど、想像していたのとはかなりギャップが。年を食うほどに悲しい思い出が増えました。

あるとき俺は小学校の頃に親父に言われて悲しんだ「お前に友達なんておらんねん!小学校でお前に寄ってくるやつはお前のオモチャが欲しいだけや!友達なんてな、そうそう簡単に出来るもんとちゃう!」という言葉が後々から正しいように思えてきて、交際費のかかる友達付き合いをやめてみて、新しいゲーム機をバンバン買うのもやめてみて、友達って何だろうと考えてみたのです。

ファミコンドラクエは間違いなく友達です。でもドラクエXIは昔のよしみで5000円を借りに来る人みたいな印象。まあ身分というか所得によって友達館も変わって「ちょっと飯でも食おうよ」と誘った時にいくら位の店ならOKかって金銭感覚がそのまま付き合える層ってのはあると思うんですよ。会社勤めすると弁当組とコンビニ組とランチ組みたいなのにすぐ別れるから。これは俺があっちこっち行く仕事だからかもだけどさ。

そうして仕事が順調でお金があるとそれゆえに集まる人がいて寂しさは紛れて、何もかも順風満帆ならそれで良いかもだけど落ち目になった時に助けてくれるのが友達なのかってのは俺の持論としては友達は保険や病院ではないってこと。そういう社会制度があるわけだから困ったときには困った人を助ける社会保障があるべきで、利害があんまり絡まないで付き合える範囲でしか友達を作らないほうが用心深くて良いかもしれない。

人間関係って数学の集合のベン図みたく線引きで明確に「ここまで」って分かるわけじゃないから、やがて自分と相手の境界が混ざりあって互いに分かり合う部分てのは出来てくると思うんだ。俺にとっての友達は元々の定義である「親しく付き合う人」という意味ではなく、離れていても何か志を持って互いに甘えて頼ること無くいられる人かな。

会うってこととか一緒に食事するとか、時には一緒に遊ぶことすら自分が操作する人形が俺の代わりにやっている感覚になることがあるんだ。そういう風に自分では上辺の付き合いだと思っている部分と深い付き合いだと思っている部分をどこで何の理由でどんな基準で自分が決めてるかってのを自分でまだ分かっていない。いっとき仲良くするってのでなく、親しくして会わなくなってまた何かの拍子で再開した時に距離置いたり気まずそうにとかしないで、普通に翳り無くまた話が出来た時に心のバリアが解かれるんだろうな。

あるいは相手を利害で疑うようになってから、自分のほうが現金な基準で人を選んでいるかもしれない。得したいとまでは思わないものの、損させられたくないと思っちゃう。まだまだ分からないことだらけだ。自分のことなのに。

ドラクエ好きです」とか公言しちゃうとそれを知ってから「ドラクエ俺も好きって言ったら友達にしてもらえるかな」的な発想で懐に忍び込もうとする人を警戒しているから、ドラクエXIの発売日に小学校の時ファミコンドラクエやったかという話にして、合言葉のごとく年や境遇の近い人を選ぼうとしてるのかもな。

無理にドラクエで合わせてくるのは逆に怪しくて「俺は天外魔境だったな」とか言う人がいたら友達ランク上がる。

実はドラクエは8を遊んだ時に幻滅して、それからは自分がドラクエキャラであることを公言しているから義務的に9とXをやりました。9も面白かったよ。

だけどドラクエXやりながらどこかで「もうやめさせてほしい」としんどくなった部分があって。そこがまだ癒えていない感じなんだ。俺にとってドラクエとは。

まあでもドラクエXIファミコン風の画面に出来たり復活の呪文があったりとかファミコンを懐かしむ要素が入ってるから、俺の場合はヤフオクファミコンドラクエ買った時に思い出の思い出としてパッケージされたものが商品化されたって話かな。

もうええんじゃ。


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