部屋でテレビを見ながら思う「勝ち取った孤独」

人の多い都会で見知らぬ人同士が仲良くなるのは何かキッカケが必要ですよね。学生時代に出来た友達とか職場の人間以外で、何で仲良くなるってなかなか難しい。駅前繁華街で育ったので、学校の友達がハンバーガーショップで働きだして、顔はお互い知っているのにカウンターでマニュアル通りの接客をしているのを最初は面白がってからかいに店に出入りしていたものが、だんだん寂しく感じるようになる。奈良でもそんなだから、東京なんてのはどんなだろうって想像もつかない部分があります。

自由平等と年功序列に矛盾があるように、仲の良さとお商売としてのギブアンドテイクにも人間関係ってのは残念な裏表があるじゃないですか。ハンバーガーショップでなく、街の弁当屋くらいなら友達がからかいに来てもちょっと愛想を返すくらいのことは許されるんですけど、その度合とかルールの厳しさで「ごめん、もう仕事だから」と店の側に回って友達を切る時、やはりからかいに来てドリンクとかハンバーガーを買う500円位のカネを友達全部から集めてもその人は食えないわけで、食っていくためにその他大勢の店員さんになっていく取捨選択は必要なんだと思います。

はしゃぎ回った子供時代と同じ街に住んでいるのに、知らない人と半分ロボットみたいなマニュアル店員からモノを買う生活に息が詰まりそうです。そうでない人というとご老人ばかりで。

それ以外の場所というと10年くらい前まではゲームセンターで誰かと格闘ゲームをしたり、オモチャ屋でカードゲームをするくらいしか人間らしい付き合いがなくて、しかし店番に勝っちゃったら商売あがったりなんですよね。春になるとお城まつりの屋台にいわゆる「あてもん屋」が並ぶんですけど、300円から500円位でクジを1枚引いてハズレは小さい人形か何かで大当たりとしてプレステ3くらいが並んでいるんですよ。PS4ちゃうよ。3やで。そんでオモチャ屋の軒先で黄色い帽子をかぶった小学生の群れが10円玉握りしめてカードダス回してんの。

そのへんの商売をしていた筋からすると格闘ゲームとかカードゲームってちょっとテナント借りれば恐ろしく儲かるネタだったんでしょうね。

そこにお金を使わなくなって、店が閉まって、行き場がなくなって家でひとりでテレビ見てるんですけど、このさびしさとか孤独感てのはマネーゲームに勝ってしまったがゆえの孤独。むしろこちらから格闘ゲームやカードゲームを種にして商売をはじめるべきターンが回ってきているのにパスしてくだらないブログ書いてるんですよ。

国道沿いくらいまで町外れに行くと家電量販店でカードゲームやってるらしいんですけどね。

若い頃は悩んだ人間関係ですけど、ゲーセンがショバ代を上げるためにごろつかせてるチンピラにゲームで勝って絡まれたのに怖がらずに毎日行ったってのが異常。振り返ると分かってなかったんだなと。アメ村で試着した服を買わなかったら店の裏に連れて行かれて怖いお兄さんに睨まれるんですけど、それを知らなくて「俺昔アメ村で服売っとったことあるんやで〜」と絡んできて「おしゃれなんですね」と返して「まあタバコでも吸えや」と仲良くなってしまったという。

閉店する前のゲーセンでも毎日通って1日100円は入れてたんですけど、レンタルビデオ屋と書店とゲーセンがひっついてて、ゲーセンで遊んでて店長を呼んで書店の方でアルカディアを1冊買って付属はがきでハイスコアの申請をして、翌月に突然の閉店だったんですよね。自分がその一連の事案にどの程度関与しているかまでは計り知れないんですが、なんか潰しちゃったみたいな罪悪感が少しだけ残ってます。

しがない町並みでハンバーガーショップとコンビニくらいしか流行ってないから、テレビ見てメシ買いに行くだけの生活なんです。

ビジュアルベーシックは日本語情報が豊富なのが強みだが

GitHubにブチ込んで読んで欲しい人が開いたら英語だからすぐ閉じたという事案が発生してしまうようだ。

自分の中にも「ナメられないように突き放したい」「勉強して上のレベルの人と話せるようにする」という上向きのベクトルと「誰でも良いから手伝って欲しい」「理解して欲しい」「ナメられてもいいからやさしく噛み砕く」という下向きのベクトルがあって、両者は自分の領分を違う方向に引っ張って自我を膨張させていっている感覚がちょっとあるのだが。最近無駄なことをやめて縮小傾向にある。

昔のプログラマーは儲かったらしくスポーツカーを買ったというような話はよく聞いたが、結局ひとりの人間に金を集めても何に使うかの問題を間違うとカネの意味がない。だいたいまっとうな人は資本金にして会社を起こし従業員を食わせる。飲み歩くオッサンも立ち飲み屋を分散的に雇っているようなものだ。雇用とはちょっと違うかもだけど。

久しぶりに珍しく仕事らしい仕事をしたが成果は出なかった。パソコンの中身を整理して仕事用に特化して趣味色を減らしたが、どうも反対のことをやっている気がする。趣味色を増やして文化的なコンピュータにするのが最近の「普通の使い方」だからな。その考え方はまだ新し過ぎるんだろうか。

とかく、買い換えるカネを惜しんでパソコンの内部ファイルの最適化をして容量を頑張って開けるというようなやりくりの延長に開発職への道は開けている。自分には関係ないものがいらないもので、壊れない程度にシステムとか付属アプリを減らして自分の好きなものでいっぱいのパソコンを作ることと容量制限のあるハードでゲームを作ることは工程として似ていないだろうか。

ウインドウズはかなり詳しいがマックとかアンドロイドはまだ知らない部分がある。だけどドックにコンソール載せてる時点でな。シエラにするとファイルをクラウド化出来るらしいので、この先は壊れないように上手に使って容量確保してアップグレードしたら当面の買い替え需要である容量の問題がクリアできるから無駄な出費が減る。

ゲームを自分で作るためにパソコンをハイスペックに買い換えるというのはスーパーで魚を買うのと釣り道具一式を揃えて早朝登山する違いのように、市販品を買ったほうが安価で美味しいのだが、趣味人にしか分からない味わいが多分あるのだろう。俺のゲームがそうだからな。

ところでカプエス2のスタッフロールを見ているとプログラマーに「tencho」という名前があることに最近になって気づいた。バイト店長を2年やってから学校に行ったので2年下の同期にからかわれて、あだ名は「店長」だったな。これは「カール爺さんと空飛ぶ家」の監督がcarmenであるのと同じで俺が関わったわけではないが、天からの贈り物として受け止めておく。てか、KYOSUKEも画面に出て戦っているからな。

将棋、麻雀、ポーカーの三部作をオープンソースにしました

 ベクターで公開させてもらっている「将棋ベーシック改」「麻雀ベーシック『大三元』」「ビデオポーカー」の三部作をオープンソースにしました。

GitHub - zenmai36rai/VisualBasicGames: Shogi,Mahjong,Poker

▲場所はココ▲

なんというか、累計ダウンロード数に満足が行ったのと、ウインドウズビジュアルベーシックという開発フォーマットでアンドロイドやiOSと戦う戦意の喪失と、あとまあウインドウズPCがぶっ壊れたのでUSBディスク1個しかバックアップがない不安とか、色々とやけっぱちな事情で公開に踏み切りました。

なんというか、お金の取れるソフトのソースコードというと資産的価値を認めてほしいとか、ソースコード自体が売り物になってくれないかとか思ってしまうものですが、世の中にはもっと利幅が小さいながら多くの人の役に立つ頑張っている商売があって、オープンソースの世界は市場が世界なので日本ローカルにやっているプロジェクトは手伝ってくれるレベルの人を見つける時点で至難であり、人材発掘や育成に投資をするくらいなら俺のソースでも読める形にして晒すのは業界発展の一助にならないかなと。

コメントとかも少ないし、読みづらいかもだけど「ビジュアルベーシックじゃ無理です!」と決めつけて弱音を吐く現場の人に「こんくらい書いたら行けるんやで」という規模感を持ってもらうことが最大の目的です。

ごそっとローカルに落としてVisualBasic2010で実行してください。

色々なプロジェクトファイルを丸ごとアップしていますが、読むべきソースコードは"Form1.vb"となっているなおざりなVBファイルひとつです。


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