MTGを考えるのは好きだけど考えても変わらないよね、という話

昨日用事で難波に行ったついで歩いて日本橋に寄った。

MTGを置いている店にも立ち寄ったけどあらためて見ると高くて手が出ない。

だから帰ってきて昔のシールド・デッキをもう1度分解してみた。

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写真のクリーチャーとスペル構成に山8枚、森2枚、沼4枚、三色ランド2枚、全景1枚映ってるオベリスク1枚

つまり、赤12枚、緑6枚、黒8枚。

これ赤シンボル3つの「捕食者のドラゴン」までを勝ちパターンとしたマナカーブとしては正しいんだけど、あらためて勝ちパターンを考えると2ターン目「朽ちゆくヒル」のほうが圧倒的に勝率というか有利度は高いので、もっと黒緑に散らしたほうが強いのかなと考え方が変わった。

回れば勝てるというわけではない。やはり早いターンにコスパの高いカードを繰り出したほうが有利で、せっかくヒルとトリナクスがいるのにドラゴンの出るターンまでまともな戦線を構築できないこのデッキは弱いかもしれない。

ただし、赤黒には除去があるので「血の復讐」か「穿刺破」を引けば赤黒でもドラゴンまで粘れる可能性はある。3位入賞はしたので、当時はそれに満足して残りのカードとか景品はまとめて処分してしまった。それを今もういちど考えると残りのカードもよく吟味すれば1位狙えるパックだったかもなと思った。

もう、確率計算では散らすか寄せるかの堂々巡りで、トランプの種無し手品でも練習して、2ターン目に森と沼とヒルを引く練習するほうが強いだろう。

そこがつまらないから興ざめしてるんだよな。

 

だけど、このシールド・デッキは俺がMTGを現役で頑張っていた時の1番の当たりで優勝に最も近かった配牌なので、これで3位までしか行けなかったのはやっぱり配牌ではなく自分にまだ甘い部分があったのだろうという思いがあるんだよな。

だからデッキ構築でも、序盤から中終盤までなだらかにテンポ良く組むだけでなく「こうなれば勝てる」という場合の組み合わせが最も多くなるように構築すべきじゃないかと思うように考え方が変わってきたんだ。

サイクリング・グレイブディガーが本当にカードアドバンテージになっているかと考えたら、「ジャングルの織り手」は入っても「峠のラネット」のほうは怪しいんじゃないかとか、最初に書いたように土地配分が怪しいとか、インチキで持ってきたカードを混ぜたり手品で決まったカードを引き当てたりに走る前に、ゲーム理論でもう1歩を詰められないものかと。そうでないと、昔の自分に申し訳がない。

哲学的な話をすると、結局はゲーム大会での優勝を通じた内因世界の変化が目的であるなら自分とよく向き合って心を整理するほうが大切で、優勝を通じた外世界の変化に何を求めているかを別の方法で実現できないかとかも併せて考えるほうが良い。

だから俺はMTGにあてもなく何度も挑むよりは、この1回のシールドを何度も考え直して無駄な出費をしないようにしているんだ。

電気が切れたら怖いですよ

台所の蛍光灯が切れると夜は真っ暗だ。

ウチには昔、天窓上がって親父の代でリフォームした時ってか今も親父は生きてるから親父の代ってのも変やけど、まあ親父の代でリフォームした時にモノを置く場所を増やして明かりを外から取る機構を取っ払って電気で全部出来るようにしたのよね。

そんで、大工さんとかに「いやあ、日当たりは大事でっせ」と言われても「そんなん電気があんなんから大丈夫や」「電球切れたりしたら?」「ぎょうさんこうて置いていたら良い」てなやりとりで、家は親父の注文通りになった。

そんで俺はというと日当たりの良い2階の部屋を自分の部屋としてもらったんだけど、隣の空き地がガレージになった時に窓の外に宣伝看板を作られて日が当たらなくなった。家中日が当たらず電気だけの生活になって、母親も「私あの吹き抜けの台所好きやったのに」といって悲しんでいた。出ていった原因のひとつかもしれない。母の居住スペースは基本的に台所だったから。

そんで昨日は蛍光灯が切れて親父が取り替えてくれたのだけど、今朝も切れたので自分で親父がやっていたのを見て覚えたとおりにハシゴを掛けて取り替えた。

近所のお寺の人がその話を聞いて「電気が切れたら大変ですなぁ」とイヤミ口調で言ってきたので、俺はお寺のやつが檀家参りを断っているから嫌がらせで電波か何かで蛍光灯を攻めて壊したのではないかと勘ぐった。立証できれば器物損壊になりそうだが、どこから発射しているかは分からないので、今のまま断定すると名誉毀損とか冤罪になるかもしれない。

まあ、親父の言う通り沢山買って置いてあるので、ストックはウチで生活する際には重要である。同時に隣のガレージがコインパーキングになった時に一度は裁判にもなった看板が取り除かれ、俺の部屋には日光が入るようになった。それで心はだいぶ落ち着いた。

俺は坊主が嫌いなので、親父の味方ではある。日光が大事なのは蛍光灯だけの生活をするようになった近代になって分かった問題だから、坊主どもが「ほら、言ったとおりやろ」みたいに言うのは当てずっぽうを言って当たっただけの話であり、昼光色の蛍光灯が発明されたように、そのうちパナソニックあたりからうつ病が治る蛍光灯が開発されるかも知れないな、と思う。

だいたい、仏教にはもとから分子論のように全てのものは細かい粒子で出来ているというお経があるというが、では仏教の根本概念である「無」もまた細かい粒子で出来ているというのだろうか。デタラメをたくさん言って、そのうちに当たっているものを引っ張り出してきているだけの話ではないか。

まあ、俺VS仏教には俺は俺が勝ったと思っているのでこのあたりにしておくが、だいたい徴税のような方式で生活して言うことを聞かない人間に罰を与えるだけでは公益性がない。お寺が電力の販売などを始めたからお坊さんのが偉いみたいな勘違いをしているが、電力は発電所から送電されているのでお坊さんは結局のところ檀家ではなく電気事業者の下請けから徴税しているだけの話で、お坊さんが居なくなっても工事業者が残れば大丈夫なわけだから、それでお坊さんが偉いことにはならないのだ。

だけど、俺は子供の時に檀家参りに来ていた坊主が嫌いなだけで薬師寺とかは嫌いではない。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」では筋は通らないのである。だから電気が切れたからと言って、そのことをからかいにくる坊主は早く解脱して真の仏になってほしい、つまり死ねということではあるが、それ以外の坊さんは俺からカネを取り立てないので良い坊さんなのである。

ファイナルファンタジー零式を頑張りだしたぞ!

ファイナルファンタジー零式のためにPSPを出してきた!

クリスマスでケンタッキーにシャンパンにケーキの後、プレゼント何か欲しいかなと思ってみると、そういえば以前に「自分へのご褒美」に買ったはずの零式を解いてないぞと。

よし、コレやるかと。

このゲーム、レベル上げのためにフィールドを自由に行き来できる休憩時間とレベル上げではなく戦闘の連続しか無い作戦当日に場面が分かれていて、作戦当日にセーブしてしまい詰んだと思ったのね。敵が強すぎると思ったから。

久々に出してきて「そう言えば5章でレベル足りなくてもう詰んだ」と思っていたのを思い出して、作戦当日でも作戦中止と再出撃を繰り返せば何とか少しずつレベル上げが出来る事に気付いた。

ついでアクションゲームなのでネットに「レベル極力上げないで低レベルのままクリア」とか頑張っている人はレベル15で解いていて、俺のエースはレベル29もあるから上手くなったら余裕なんじゃね?てか「俺のレベルが低い?歳は40だけど」と思って作戦中止から極力誰も死なないようにやっていると、軍神とかアイテムとかまだほとんど使っていない要素が色々あることに気付いて。

それで、ありとあらゆる術を使ってどうにかして解いてやろうと思い始めたんですよ。

ゲームばっかりしてないで趣味や特技を増やそうと30代に頑張った俺が自分で得意だと思っていたゲームで投げちゃうのは良くない。ゲームだって毎日コツコツ。

これは本気の戦い。

そんで進めてみて完全に思い出した。

リュウ戦で投げたんだった!

そして今やトライとキングの飛び道具キャラを残してヒリュウまで来たよ。多分だけど飛び道具があれば楽に勝てる。あとは弓モンハンのリオレウス戦と同じようなもののはず。セーブしたのと同じかそれ以上のところまで、もっと良い条件で来れたんだ。

今流行りのスマブラで言えばフォックスでリオレウスを倒すだけの簡単なお仕事よ。

再開してネットで攻略読んで知ったんだけど、ロックオンしてる時に赤く光った瞬間を攻撃すれば一撃で敵が死ぬ。黄色だと大ダメージ。これ、ストライカーズ1999みたいに狙いにくいけどパターン分かればボスまでほぼ即死。なるほど低レベルクリアも出来るわけや。特にキングな。キングの銃って威力めっちゃ低くて遠方から逃げ続けてFPSみたいに延々と打ち続けて体力減らして戦ってたけど、近寄って攻撃出させてブレイクサイト赤を狙って撃てば大体の敵を一撃でパン!と撃って倒せてまるでガンシューティング。気持ちいい。

ただ、ホシヒメの倒し方がドラクエIVキングレオ対ミネア&マーニャと同じオチなのをネタバレ無しで分からなかった。やっぱ攻略本とか攻略サイト無しでは辛い。そこが玉にキズだけど、詰まって攻略見て続きは見ないでまた進めるだけでも充分楽しい。

ほんま、いっときは俺もうゲーマー引退しなきゃいけないのかなと思うくらい詰んだけど、ファイナルファンタジー零式になんか煮え切らない気持ちは消化されて「ああ、やっぱりファイナルファンタジーはちゃんと面白いゲームだった」と思えたことがいちばんのご褒美。


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