ファイトケードのボタンコンフィグ方法が分かったよ

Mac版のFightcadeのMap Input (F5)は右クリックしてクリックメニューから。

MacBookProのキーボードのF5では出来ないから今までUSBOverDriveを入れてデフォルトのキーボード操作にアケコンを割り当てて使っていたのね。

しかしUSBOverDriveはスパイウェアの疑いがあるので削除して、しばらくMacでゲームはしていなかった。怪しいソフトをどんどん消すと重くなって寿命かなと思っていたMacがまた段々とサクサク動くようになってきた。Mojaveはまだ試していない。

キー割り当て出来るようになったので、ネオジオゲーを久々に。

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超人気ゲーKOF98とかストIII3rd以外にリアルバウト餓狼伝説とかサムライスピリッツ斬紅郎無双剣とか対戦バランス崩壊してるゲームでも普通に1人用で遊べば面白いよ。

そしてやったことのないゲームのコンピュータ戦を攻略していると、まだまだ俺って格闘ゲーム上手いと思ってたけど越せないゲームがたくさんあって、ただ人気作と好きなゲームがかぶってそのゲームに詳しいってことであって、格闘ゲームなら何でも来いってわけでもないんだと思うようになったの。

コントローラを逆さに持っても上手いか下手かみたいに、カプコンストリートファイターZERO2までは投げハメは投げ返しでしか返せず、ZERO3になると投げ返しでなく小技で返すようになったけど、斬紅郎無双剣は垂直ジャンプで投げを交わしてジャンプ大斬りを入れるのね。これは丁度KOF98の大門のコマンド投げを庵の垂直小ジャンプで交わしてジャンプD立ちC前A葵花って行くとハメられないで逆転できるのと同じなんだけど、それが分かるまでは延々とハメ続けられて「大門強すぎ」とか「つまんないゲーム」って感想になるんだよな。

これは格闘ゲームの技の相性がどうなっているかが最初ブラックボックスになっているからで、分かれば返せるなら攻略本は有用で、仕組みを変えて攻略本を読んだほうが勝てるならそれって結局マジックザギャザリングでカード買ったほうが勝つのと同じで本買ったやつの勝ち、ただしカードはトーナメントに出る時に実物が必要だけど、攻略本知識なら口伝とか操作の盗み見でも奪えるし、時間をかけて自分で実験しても良い。ただ、当時はネオジオ持ってなかったら実験にもお金かかったんだよね。

まあ、最近は対戦に神経をすり減らすより1人用のが気持ちよく遊べるんだけど、対戦すると神経がすり減るってことはまだまだゲームの勝敗を大事に捉えているわけで、なおざりにするのは相手にも自分にも失礼で物事には大事に当たらないと楽しめるものも楽しめなくなると思ってる。今日はそんなとこです。

どうしてRPGからトレカに行ったのか

ドラクエモンスターズポケモンを1人用のRPGとして遊ぶとドラクエ5とそう変わらない普通のRPGなんだけど、ゲームボーイの通信機能でセーブデータ1個のカセットを持ち寄って対戦して遊ぶのは当時としては新しかった。

まあ、単純にレベル上げを頑張ったほうが勝つのであるが、両者レベル99になってくると、相性や特技などの育成中の組み合わせで結果が変わってくる。

そのため、レベル99にして負けた方は対戦をリベンジするためにまた新しくモンスターを1から育て直して相性の良い特技を持ったレベル99のモンスターを作り直す。

その枠にハマっている間は育てることもRPGとして遊べるわけだから楽しいのだが、繰り返すうちに飽きてくる場合もある。育成はやがてゲームとしての色を失って作業になってしまう。

そうした時に、キャラを育てて成長過程で特技を身につけるのではなく特技を1枚のカードにして、組み合わせの妙を競い合うカードゲームは育成の必要がなく特技の組み合わせだけを取り出して、それに専念できるので効率的だと言える。

だが、フタを開けてみると、カードゲームのカードを全部揃えるというのもレベルを上げる過程に似ていて、レベル99同士でバトりたい人がもともと少なかったように、レベル20に相当するようなまばらにしかカードを持っていない人がレベル50くらいに相当する強いレアカードを引き当てた人に負けて「そんなカードずるい」と不平を漏らすという事案も世界の一部には存在するようだ。

それと正反対なのがネットゲームMMORPGの世界である。カードゲームは平等であるという前提は突き詰められた平等の中での効率であるだけで、持てる者と持たざる者の不平等がカードへの不満となり、誰でも一定に経験値を貯めるRPGのルールで貯めた数字の大きいほうが勝つルールのほうに公平性を感じている人がMMORPGに夢中になるようだ。

カードゲームはパックを開けて当たり外れがあって、それらはやがて全枚数保持に行き着くのだが、早く当たった人がまだ当たらない人を負かしているという思いがあるのだろう。

俺はMMORPGには興ざめになってしまったが、トレカの世界でコンプリートした状態で今より強いブックがあれば、育成ではなく組み合わせだけで後からそれを真似できるので、知識として付けられた差を見るだけで埋めることが出来るという効率的というよりも虫の良さみたいなことを感じている。全部持っているからかかってこいである。

そのため相手はおらず、マジックザギャザリングの強い人は近年のカードだけで戦うスタンダードルールよりも20年のカード全てを使えるレガシールールにも人気が出てきているようである。これはもう物理的に集めるのが困難で、400種の組み合わせで戦うカルドセプトなら太刀打ちできても数万種から選べるマジックザギャザリングのレガシーには既に興ざめになっている。

これと同じことをカルドセプトを買ったばかりで50種しか持っていない人と600試合やって400種5000枚持っている自分に対しても多くの人が思っていて、400種1600枚揃えればあとは組み合わせだけになるから公平に対戦できると言っても、まず50枚と1600枚の差に嫌になってしまうのだろう。

そうすると、トレカよりも将棋や麻雀のほうが間口が広く奥が深いということになる。RPGからトレカへの話をするつもりが将棋や麻雀に至るまで書いてしまったが、そういうことなのだ。

ゲームプログラマーと言っても、ゲームのルールは既存のRPGFPSゲームで、ルールを作ってコマンド画面やアニメーションの無数の雑用を肩代わりしているだけであるから、そうでなくてもっと将棋と麻雀のルールが分厚いようにアニメに頼らずゲームのルールが公平で奥深く飽きが来ない骨格を作りたいと考えていたが、それはまだ叶っていない。

時々、トランプを出してきて大富豪やポーカーのように簡単でもっと面白いルールは無いかと考えるのだけど、1600枚揃ったカルドセプトがそういうゲームだと認識されず、持てるものが持たないものに勝るだけのゲームだと思われていたら残念だ。

カルドセプトを600試合やったわけだが

600戦485勝で勝率80%

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もはや勝率とかどうでも良くなってきた。

500試合までは確かに自意識の中に勝率があった。だが、ツイッターを見ていると「勝てねぇ」「つまんねぇ」という話をしている人が妙に引っかかる。

同級生の吉井君は勝負事で負けると「おもんない」と言ってごねてくるが、じゃあ吉井くんは面白いやつなのかというと、ひとりっ子でお小遣いが多くて一人遊びが上手な人だった。だから、吉井くんと対戦型ゲームで遊ぶと大抵俺が勝つけど、そのたびに「おもんない」の次には「じゃあこれやろうぜ!」とどんどん新しいゲームに移っていく。

その中でファミコンからスーファミにプレステにと買い替えて行き、遊び終わったゲームはというと中古ゲームショップに売りに行く。中学くらいの俺は「親からもらった大事なものなのに」という思いがあったが高校くらいでは「それよりついていきたい」という思いで高額買取の誘惑に負け「カラテカ」と「ポートピア連続殺人事件」を中古で売ってしまった。このことは一生の後悔となり、数年前に300円で同じソフトを買い直したが、お父さんから買ってもらったプレゼントは一生返ってこないだろう。

それは吉井くんが東京に引っ越してしまったので、同級生とか遊び相手というのも一生の付き合いというわけでもなく、一緒に住んでいる親父に対する感情移入度が高いからだと思われる。まあ親父もいずれはだけどさ。

吉井くんにもカルドセプトをすすめたことあがる。3DSで出た時に久々に電話して「なにか面白いゲームないか?」「カルドセプトはやったことある?」「ない」「3DSとXBOX360で出てるで」「お前どれ持ってんの?」「3DS」「じゃあ俺360のほう買うわ」「なんで一緒の買ってくれへんねん!」「お前とやったら負けるから嫌や」このやりとりに全てが集約されているような気がする。

さいきん、また遊んでくれる人が出来たので、それはゲームの相手ではなく暇人の俺となんとなくつるんでくれるだけの仲ではあるが、そうすると誰かと過ごす時間とひとりで遊ぶ時間のバランスが取れてまたゲームが面白いのだ。

まあ、写真をもういちど自分でよく見ると「カードマスター」の称号を獲得している。ネット対戦では2人の「ジ・アルトラ」と出会った。充分な気はする。

俺の心の中にも「マイ吉井くん」がいて、あんまりつまらないボロ勝ちをすると「マイ吉井くん」が「おもんない」と語りかけてくる感じで、対戦ガチ集団の中で勝ち抜く時にその気持が若干の邪魔をしているように感じることがあり、ブックワームとピースのコンボはおもんないし、対策するとマジックボルトを入れることになってハマると超強いけど対策されると脆い組み合わせで3人4人戦にそれで他の人に優勝を取られるともひとつおもんない。

だけど、そういうおもんない勝ち方をもっと突き詰める大橋くんという専門学校の同級生のもっとおもんない人がいて、その大橋くんすら俺とドラゴンクエストモンスターズでバトルした時は「3人マダンテはおもんないで」「いやだいぼうぎょで余裕っしょ」「もうミヤッピとはやらん」と言ってきたのだが、カルドセプトでは大橋くんのほうがカタストロフィブックでおもんなかった。

だいぼうぎょ」と「マダンテ」を覚えたファミ通ブンブン丸は雑誌対抗戦を勝ち抜きスクウェア・エニックスチームの「マダンテ」を「だいぼうぎょ」してマダンテで勝ってしまったので、俺も何を目指しているのか分からなくてドラクエモンスターズをやめてしまった。ドラクエモンスターズ2も出たが、その頃には就職して忙しくレベル上げとか出来なかった。

だから今こうしてゲームをする時間がある生活に戻れたことはある意味で失った幸福を取り戻したようだ。高いお給料をもらって良いマンションに住んでも何か虚しく、結局いちど実家に64を取りに帰ってマンションのテレビで遊んだ「罪と罰〜時の継承者〜」がやたら新鮮で面白かったのを覚えている。

ゲームだけでは満たされないこともあるかもしれないけど、他の用事を全て片付けて安心してゲームに打ち込むのは面白いし、それに付き合ってくれる友達というのはそうそう簡単に「ネットで知り合った」とかで出来るものでもない。

ジ・アルトラも何十人も対戦してやっと見つけた2人だけど、仲良くなれたわけではないからね。それでも、いまこうしてブログを書いている一人の時間に不思議と寂しさを感じなくなったのはちょっと心が健康になってきたサイン。

「おもんない」「ごめんね」「次何しよっか」「俺、カルドセプトもっとやりたいんだ」「じゃ、付き合ってくれる人探そっか」「カタストロフィでもいい?」「それはイヤ」「それはおもんないで」


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