ギターの弾き語りってけっこう難しい

俺はギターの弾き語りをするのに8年くらいの歳月を費やした。といっても最初の2年くらいはかなりやったけど、あとちょっとで出来そうというところから自分のやりたい音楽がギターの伴奏だけでは思った通りにならないのが分かった。そこでパソコン作曲とかもかじったり何やかんやしているうちに、ギターかパソコンかブレていったので、ギターのためにシンセサイザー以前のフォークソングやもうちょっと後のバンドサウンドだったらギター1本でも出来るかなと音楽性を変えてギター1本で出来る曲を7年目から8年にかけて1年練習して出来るようになった。

しかし、滅多に人前では披露せずYouTubeで動画として公開しているので、BGMテープ疑惑とか別人疑惑をかけられることはあり、結局のところ顔は出したのだが、ホントに隣近所だけは部屋から音が漏れるので「たぶんこの家の人」というところまでは知られているのだが、俺がよく通った近所の店のおばあちゃんは「アンタがそんな芸出来るわけがない」と今でも思っているようで、しかも学校こそ違うが高校の時に同級生がギターを買って持ってきておばちゃんの前で爪弾いたことがあるものだから「あの子の借りてポロポロ爪弾いただけやんか」っておばあちゃん、それもう25年くらい前よ?

そこで分かったのだが、同級生は楽器屋さんでギターの上手い兄ちゃんに「あの曲やったら簡単やで」と騙されてアコースティックギターを買ってきたわけだが、基本的に「簡単やで」とか「スグやで」というのはカップラーメンのようなものでなく血の滲むような特訓をした人が世間で難しいことが常識化しているものを簡単だと敢えて否定することで自分をスゴく見せるためのバリアを貼っているようなもので、それを聞いて「なんだ簡単なんだ」と思ってしまうほど簡単な人が世の中にいることを分かっていない。

常識的に難しいことを知らない人は簡単だと聞いたら「なんだ簡単なんだ」と考えてしまうようだ。

だから近所のおばちゃんの考えをある程度理解しているつもりの俺からは、簡単にできる天才がいるとしても俺は「ちょっと出来る」ようになるまで毎日8年練習したんやでということを言おうと思っているが、おばあちゃんは60年70年と店番をしているので、それと比べたらまあ分かってもらうのに10年くらいスグに経ってしまうかもな。

タイミングシーケンスと目視シーケンスで試す投げハメ

深夜のテレビでプロゲーマー「ふーど」さんが目隠しして初心者に勝っていた。

俺はゲームは目が見えないと辛い派だが、まあ見たことがあってから目を隠すのと最初から見たことがないという差を考えず、見たことがあって頭の中にすっかりゲームが入っていたら見ないでも出来ることと言うのは結構ある。

ビートマニアなんかだったらあるいは見なくても出来るようになる可能性がある。

それとは別に俺は姉の家に遊びに行って姪っ子とトランプやジャンケンをさせられて、ちょっとかじったメンタルマジックでからかうと、幼稚園くらいなのにゲームで顔面蒼白にさせてしまったことがある。「あれ?」とか「不思議」とか思うのは小学生で勉強を覚えて科学を信じて手品なんて何か種があると思ってから不思議に思うのだろう。幼稚園には刺激が強すぎたようで反省した。しかし、その子が小学校高学年くらいで弟と妹ができたら、久しぶりに今度は妹ちゃんのジャンケンの腕前を試してやろうとすると信じられないくらいにひねくれていた。お姉ちゃん、だいぶいじめたな。

まあ、それらを合わせて考えると、カプエス2のテリーの歩き投げ崩しの裏に踏み込みしゃがみ小キックを使うのは相手が歩いてくるのを見てボタンを押す時には有効だが、見てから押す精度が高いと投げは通らない。

しかし、精度が甘い相手を狩るのに待ちを踏み込み投げで崩していると、暴れを食らう可能性がある。

そこで相手の足払いの当たらない間合いから踏み込んで歩いて投げるまでを距離ではなく時間で考えて、歩き投げを通したあとに次に踏み込む時は相手の足払いのリーチギリギリ手前までは踏み込んでも、そこですぐ足払いに持ち込むのでなく、そのまま歩いて投げを決める時間間隔を踏み込まずに待ってから足払いに移行する。

相手が画面を見て反応しているのか、タイミングなどの感覚で操作しているのか、マイコンのようにフローチャートで動きを決めているのか、人それぞれで相手を推し量りながら遊ぶのは面白いし、大体の相手には試している間に勝ってしまうものだが、俺はヌキとやった時に自分のフローを見抜かれた感覚があって気持ち悪かった。

そういう気持ち悪さを感じたことは20年くらい経ってもゲームの画面と一緒に覚えているものだ。反対にウメハラとやった時はもっと自然な読まれたという感覚ではなく乱暴なバクチをされて負かされたという感覚だった。大会前にこちらが勝ち越しの格好で

本番で裏をかかれたわけだが、それはゲームに対するロジックのはかり合いというよりも、もっと先に300円負けておいてウソの動きを思わせて人が多くなったところで1回の勝負に勝ってみせるみたいな老獪さとでもいうか、当時の俺の趣味とは違った。

まあ、その後の俺はと言うとウメヌキのような強さには憧れつつもそのために東京に引っ越すよりは大阪で充分楽しいと思っていて、病気をして休業してから実家で暮らしているので、ゲーセンで10連勝しても100円は損しているわけでモンテで毎日2000円使って閉店までゲームするみたいな、モンテで2000円で閉店まで遊べるのって勝率で言うと勝っているんだよと言っても相手が店の回し者だと仮定すると毎日2000円まる取りされているわけで、もっとスゴくせこい金銭感覚でウメヌキと戦って負かすとかロジックを見破るとかでなく、自分のパフォーマンスの腕を磨き、新しい種を考えるほうに舵切りした。

俺が運ゲー論者になったのは、アメリカで勝ってそれが幸運だったというのは建前で、ロジックを完全に上被せされた心地悪さから「読まれてたまるか」とコンピュータの乱数生成プログラムのような数学的な難解さを自分のロジックにしたいと思い、そのロジックを他人に分かりやすく言うのも面倒なので簡単に「運」という。

だけどデタラメにしようと自分をどんどんデタラメにして、その中で統計的に勝ちを目指すコンピュータ麻雀のようなこともやった結果、俺はやっぱゲームを通じて人を不思議な気持ちにさせるようなメンタルマジックを考えて騙すのが好きな意地悪を楽しんでいるのだろうなと思う。

犯罪とか迷惑とか、本当に意地の悪い背徳には快感より後ろめたさを感じるタイプだが、かつてはゲームの世界ならそれが許されると考えていた。だが、ゲームの中でも意地悪は良くないと思い始めたのはチャット付きのMMORPGでゲーム世界の住人と戦争になったあとのことである。

今はコンピュータ相手に遊んで映像と音楽に操作をシンクロさせるだけで充分気持ちいい。だから新しい技は考えるが、それをまだ人には試せないので文章で説明してブログを書いて楽しんでいるのだ。

今日のカプエス2(ブロッキングテリーを詰め直してます)

モンハンをやりこんだ後に久々にやったカプエス2は新鮮だった。

だが、その新鮮さは長続きせず、何かグッタリ疲れて頭痛がする。

やらない間にもイメトレをしてしまうのだが、現実のPS2で自分でやるカプエスとイメージのカプエスと動画などで見たカプエスのシンクロ率が下がってきているのだ。

俺は過去にNモリガン・庵・ロレントでGP3400を記録した。アルカディアのハイスコア条件が工場出荷設定ということで俺はデフォルトの難易度☆3でゲームを3年くらいやりこんだが、ネオジオでは業務用初期設定が4で家庭用初期設定が3なので、NAOMI基盤のカプエス2の工場出荷に合わせないと練習にはなっていないというかハイスコアとして認められないかも知れない。

イメージと違うのは難易度を変えたから敵の動きが違うからかもな。ただ、対戦では人の動きは違って当たり前なので難易度を固定してハイスコアという競技としてカプエス2をやるのか、手応えを楽しむために難易度を上げて遊ぶのか自由ってのも難しい。

公式としての意味を持たない記録でも自分の足跡としての意味はあるわけで、ハイスコアのセーブが難易度別で無い以上、基本的にランクを下げたほうがハイスコアが出やすい。ただ、ことブロッキングのPに限って(Kも)相手が技を出してくれたほうがカメラ映えのする対戦になる。ただボコボコにするよりは相手が技を出してきてブロッキングして返し技で勝つほうがかっこいいし気持ちいい。そのために俺は今最高難度の☆8で遊んでいる。究極的に相手の手数の多い☆8のほうがカウンターやブロッキングをパーフェクトに決めて高得点になるにしても、下手な内は低難度のほうがスコアが伸びやすいのも事実で、簡単に言うとランクを上げて身の程を知っているのである。

テリー対キャミィでテリーの致命的な弱点を発見して萎えていたのだけど、それを克服すべく技を考えているとテリーの戦い方の根本を変えるような攻めに行き着いて。ごめん言い過ぎた。ただ歩いて投げに行くだけなんだけど、歩きが早くてキック投げのバスタースルーが投げ間合い広いのよ。色々弱いテリーだけど投げは強いのか、となると待ちは歩き投げでもしかして崩せるのかな、神豪鬼とかゴッドルガール歩き投げてみたら・・・投げれた!

ところで正しい日本語は「投げられた」であるが、テリーが投げることが出来た意味なのかテリーが相手に投げを食らったのか「投げられた」では判別不能なので俺はテリーが投げた時は「投げれた」と言い、テリーが相手に投げられたは「投げられた」と使い分けている。しかし、その事情を分かっていない国語に厳しい方からは「投げれた」を指して「ら抜き言葉です。正しくは投げられたです」とか言われるとバスタースルーで投げられたら良いのにと思ってしまいます。

まあ、投げの裏に何を使うかと言うと小足2回バスターウルフになって、それアールさんやんってなるの嫌だから大足払い使ったらガード後スピンドライブスマッシャー確ってね。レミーで中足したら疾風迅雷確とか、カプコンの当時のゲームって対戦バランス適当よね。だけど、やりこまれる速度と作る速度でイタチごっこをしていたわけだから、俺も20年気が付かなかった事に半年の開発スケジュールで調整しろと今から言っても始まらない。

それを直すにはテリーを強くするかキャミィを弱くするしか無くて、その他のキャラのバランスが玉突き状に変わっていくことを考えたら、勝ちたいやつが強いの分かりきっているキャラを使って、戦い方もわからないキャラを試すから面白いわけで、従来の餓狼シリーズみたいにテリーが大足キャンセルパワーウェイブ出来たとしたら俺がキャミィサガットなんて使ってみることも無かったかも知れない。

得意技が封じられてどうするか考えて悩む時間で固定観念化しているセオリーがぶっ壊されて抽象化されたゲーム理論まで学ぼうとしたわけだからとプラス思考は出来る。

キャラバランスが悪くても遊ぶ側の腕に応じてキャラ差で加減するか試合で手加減するかは普通の考え方で、勝っている方は思考停止しやすく負けている方が考えることが多いのでスライム倒してレベルが上がるドラクエと違って、ピーキーな能力だけど格闘ゲームで強くなるのはプレイヤーの方。だからメーカーがキャラ差を変えて調整しようとしても育ったゲーマーの腕をリセットは出来ないわけで、他のゲームに応用が効くまで抽象化出来た人は乗り換えて他のゲームでも勝つ。ただそのゲームのセオリーを頭ではなく肌感覚で慣れてしまった人は少しでも何か変えられると違和感になるので文句を言う。前のほうがバランスが良かったとか。

そういう事情で棲み分けは進むわけだが、俺は何故かカプエス2を本陣に置いた。

ストIII3rdでも春麗で文句を言われるよりはレミーのほうが文句を言われない分気持ちは楽だった。カプエス2に至ってはコンピュータ戦をしているので、ブログで文句は言うが最後は黙ってやるしかない。

近頃では大足払いパワーウェイブで固めるより、相手に技を出させてブロッキングしてボディブローバーンナックルのほうに気持ち良い回路が切り替わってくれている。

Pグルーヴがあることを加味した上でのバランスは草薙京やテリーはコンボダメージが高いので弱体化されても充分強いのかもなと考え直すようになったんだ。


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