理屈の上では長期的視座に立てても短期的な利得がない生活は苦しい

ふと今までの人生を全部棒に振ってしまった感覚に襲われる。

小学校低学年でファミコンを遊び、多分その前にもゲームウォッチとかで遊び、いつからかゲーム業界で働くことを夢に見ながら周囲の大人がもっとまっとうな人生を送れと言うので夢と受験やまっとうな就職を両天秤というか二股にして人生を歩み、ひとたびは進学校に合格し、ひとたびは専門学校でゲーム作りを企て、しかし学校では資格の取得を優先し、ゲーム会社でバイトし、一般企業に転職しながらゲーム作りについて独学で研究を進め、またゲーム会社に入り、実は一般企業に勤めていた頃の状況を書類で完備できれば社会保障を受けられることを知り、夢見ていた労苦からの開放を実現して自由とも言える生活を手にして2年ほどが経つ。

それで、いわゆる「まっとうな人生」というのも政府が国民に勤労の義務を強いている主従における従を意味するし、かといってゲームを作ったり遊んだりすることがそれに対する反抗と成り得るかというと、確かに従ってはいないけど飼い犬暮らしみたいな自由に思える。

仕事を辞める前に株式投資新興国不動産などに興味があった。貯めて資産を持てば年金より先に年収が生活費分獲得できて自由になれるという風に。しかし投げ出されたように自由になると、ゲームというルールの縛りを受けてその中で勝ちを目指すという短期的な視座でしか日々の目算が立たず、貯金していけば将来的に大金になるということは数字の計算では分かっても、自分がどのくらいのことが可能になるかという想像が全くつかない。

誰しもそういう事はあるだろう。1から20くらいまでは数えられても、100というのが100円玉以外にどんな数で想像されるか。1万は。100万は1億は。

カプコンの株を買った時に証券会社の担当から「何がしたいんですか?」と言われて小説「有限と微小のパン」に出てくる架空のゲーム会社ナノクラフトがゲーム開発以外に遊園地経営をしているという著述をヒントに「ゲーム会社のカネがあればゲーム開発を1本休めて遊園地が作れるかも知れない」という話をした。現実にはユニバにカプコンの出店がひとつ出来たことぐらいなのだが、株はその後にいっとき下がって売ってしまった。

あれからずっと持っていれば今どき逆転勝利だったわけだが、例えば「同じ時にバンダイナムコを買っていれば今頃資産が6倍くらいになっているなぁ」と話していると近所の人が親父がケータイでFPの女子の話にホイホイと乗ってデイトレードをしているさまと見比べて「息子さんのほうが十年先を見ているのに親父さんと来たら」と笑っていたのだが、考えてみると親父は70を超えているので10年待つと80を超えるわけで、俺はいま40歳だから10年後を考えられるけど、親父の立場になるといくら人生経験が長いとは言え先の見通しがもっと短期的利得にならざるを得ないことも分かってくる。

例えユニバに投資してもDSやPSPの画面で動いていた恐竜がビッグサイズになってガオーと迫るだけの話で、目が見えるなら大抵の人間は想像上で同じことを思い描けるのではないだろうか。

そうすると、ゲームというのは麻雀でも将棋でも、人生をひと勝負に例えた劇のようなもので、ひとつひとつの勝ち負けがその時々を楽しかったり落ち込ませたりするもので、人生におけるトライアンドエラーやサクセス大成功をミニマムに味わうためのものであるはずだ。

ただし、その寸劇から何かを学んで人生そのもののプロットを大きくした時に本当に味わえる最高の勝利のイメージを42歳の今から何か描けるかと言うと、例え宝くじに当たってももうそこまで楽しくないかもしれないという病的な思考にハマっているのがイマココ。

老齢になってから大貯金の使いみちにあくせくするのでなく、ただ麻雀とかパチンコを打ちまくってそれでも細々と生計は苦しくならず死ぬ時には貯金残高3万円みたいな人生も死んだら何も残らないという発想に立てばちょうど使い切って死ぬわけで幸福ではないかと。

ふたつの生き方は一度の人生で両立させられない。ただ、子供の頃から道を決めあぐね続けた結果として、もうどうにもならない40代に差し掛かっているのだなと立ち尽くすのだ。

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