どうして現代では西洋医学のほうが重んじられているか

その昔に国鉄前にレンタルビデオ屋と本屋をしている蔦屋から店の人が独立した後に出来た本屋で買った東洋医学の本を読み始めた。出版日を見ると20年前である。確かに買った記憶もその頃のもので、ネットもしておらずバイトで小金を持っていたので医書を求めたが何処に売っているか分からず西洋医学ではなく東洋医学でもいいやと思って買ったが大して読まず内容にガッカリして部屋の隅に放っていたものを最近見つけて読み出すと、当時は汲み取れなかった本の良いところが如実に分かるようになっていたのである。

他にも怪しい本はある魔法の薬の本だ。そして怪しくない生化学と生理学の本と高校の生物の本をかわりばんこに読みたいところから読むのである。ただ好奇心の向くままに読む。

良く分かるのが意外にも東洋医学の本である。サッパリわからないのは生理学の本であるが、これは言葉のレヴェルとして、専門用語が俺の分かるところまで噛み砕いて書かれているかどうかというところに原因がある。高校生物の本は高校の時に一度全て読んだはずであり、手垢が付いているが近頃ようやく少しづつ本の内容を汲み取れるようになってきたところだ。

西洋医学の成り立ちまでは知らないが、高校生物で生物の構成要素を錬金術から派生した化学で遠心分離などを使って細分化してゆく仕組みが教科書に分かりやすく書かれているページを見つけたのだが、何度も何度も読んでいるのにどうしてこれに気付かなかったと思うばかりである。分離を繰り返した結果として、分子で出来ているということはロジカルに説明できるが、じゃあ分子がどうなって生物になるのかと言うと、これは現代医学でも自然な生殖や細胞分裂に任せて出来たものを顕微鏡でのぞくくらいしか分かっていない。

それでも、腰痛の時にお世話になった整形外科の先生なんかにその話をすると「分からんぞ?そのうち3Dプリンタみたいので分子から組み立てて生物が出来るようになるかもしらん」と話しておられた。他には動物行動学から「生物は遺伝子の乗り物である」という論を読んで人間って結局は子供を生み育てて命を繋ぐためだけに生きてるのかと悩んだこともあったが、泌尿器科の先生に「脳と生殖系は別ではないか」という話をしたら「うーん、確かに遺伝子を残すのは生殖系の役割だけど脳神経が全部それのために出来ているというのは違うかもな」と話しておられた。薬局のお兄さんからは「いんきん」に悩んだ時に「皮膚科行ったほうが良いよ。でも売薬で治すなら浸透しやすいクリームタイプの水虫薬が効くよ。そんで1回でも効いたと思った薬は置いときや。いろんな菌が皮膚にいるから何かが薬で減少したら別の菌が増えてまた痒くなったりするんや。そうするとまた別の薬が効く。しつこいで」と教えてもらった。

俺も仕事でシステムエンジニアをしていた時に医療機器のメーカからパソコンと繋ぐ時のパソコン部分のプログラムの仕事を頼まれて、その時にどうやって機械を薬局や病院に売り込むかという話をしたことがあった。それはメーカーが地理的に工業地帯にあり、買って欲しいと思っている病院は市街地にあり、メーカーに開発部があっても営業部が弱かったりするからだ。

日本は色々の仕事が専門家していて、橋渡しをする役割の人が少ない。それは医学というひとつの分野でも、専門医同士の体の部位の違いをまたがないというルールもそれに含まれる。東洋医学は確かに西洋医学ほど科学的ではないかもしれないが、体と心のすべてを繋いで考える基本的な考え方があって、近所でいちばんヤブ医者で有名な先生は内科の治療に漢方を処方したりする。その先生はこう言った。

「なあキョウスケ、ファイバースコープが欲しいんや」「そんなもん出入りの業者に買ってこいって言ったらすぐに持ってきてくれますよ。先生、メーカーはお医者さんに使って欲しいとと思って作ってるんですから、機械のここをああしろこうしろってもっと注文してやればいいんですよ」「ふふっ、どうせネットで買って持ってくるんだろう」「違いますって」

あと攻めていないのは駅前の総合病院を残すのみである。いちど仕事をもらった以上は俺が出来ることで自分が良いと思ったらしてやろうと思っているのだ。