そないにすることない

 戦前には学校で火薬の作り方が教えられ、学生運動の時代には学生が火器類を自作して武装した。まあ、学生運動は戦後なので、当時の学生は学校で習ったのではなく自分たちで火器を作ったのかもだが、何故か俺も最近趣味の範疇で火器の勉強をしてみた。図書館でパッと見た火薬の歴史と先日の安倍元総理の銃殺事件などが絡んで、警察から怪しまれたりもしながら、堂々とインターネットでウィキペディアの火薬について検索して、めぼしいところをノートに書きとった。

 その前に手持ちの理科時点でズバリ「火薬」のページが無いか索引で調べたのだが、やはり戦後教育には火薬のページは無いようで、しかし原材料から引くと、科学で作った成分の用途に「火薬として使われる」という項目があったのであった。

 ところで、俺の趣味はテレビゲームで学校帰りにゲーセンに通った時間やゲーム雑誌に攻略本を読んだ時間は相当なものだと思っているが、もしそれが全て勉強に充てられたら、テストの点が良いとかそういう学内での用途ではなく科学の危ない用途について深堀していたらどんな奴になっているのだろうな、と思いを巡らしたのである。

 同級生の顔をひとりずつ思い出して、危ないやつはいないか、と考えると、少なくともゲーセン族の我々が教職員からいちばん危険視されており、真面目で勤勉な優等生組ともゲーセン組と食堂でランチを共にすることなどは学校内でちょっとしたイベントであった。

 だが、ゲームに費やした時間が相当だとか、ゲームの攻略本で読んだ知識といってもオタク界隈の強者と比較して「まだまだ読み込みが甘いよ」という部分もあり、そういうオタクとてファミコンの「カイの冒険」を30年やりこんでめちゃ上手くなったみたいな素人目に役に立たない情報の塊であり、火薬の歴史もまた最初の発明である黒色火薬から比較して、使う側が事故を起こさないための進化であり破壊力が上がっているわけでも無いというか。事故が起こるからタブーになり、事故を起こさない前提でも目的が殺人や破壊では社会的に進歩的とは言えない。

 ただまあ、アメリカでは老朽化したビルをダイナマイトで破壊して再建築するというようなことが行われた歴史があるらしいが、集密度の高い日本の都市では現実味は薄いのだとか。

 日本で科学研究するとなると、出来合いを買うのでなく原料調達をどうするかという問題があり、化学も薬品として業務販売されているものから実験を始めるのが一般的である。産地はあるとすると独占されており、鉱物資源の取れることろは国有地または企業の所有地で、田畑があって山があって平地が都市だとすると、都市開発は人口過密で個人の所有地が限界まで狭い中でビルを高層化して単位面積当たりの利用空間を立体化で増やしてお金でいうと家賃を上げている。ビルが集密化して田畑では日照量がすなわち収穫量となるように作付けされていて、ビニルハウスや電灯栽培まで行われている。

 畜産は比較的新しい分野だけど、漁業は無限かというと海洋資源の不足が瀬戸内海などで起こっているらしく、日本で現代以上に国土と資源が有効活用されている時代は恐らくない。

 昨今の証券市場ではカジノ関連法案もありゲーム会社が高値となっているが、つまるところ開発の余地が無くなった社会において資源活用とオートメーションで暇をしている国民が私財をより未来的な娯楽用途に投げ始めるという予測が立ってりいるのだろう。

 「そんなどころじゃない!」という風に忙しかったり貧しかったりする人へも配慮は必要だが、統計的にはみな暇人ではないのだろうか。暇をつぶす文化的な仕事で引っ張りだこで忙しい、となるとまあ羨ましがられるクリエイターやアーティストなのだろうが。その予備性が貧しかったり忙しかったりするなら、それが自分で選んだ道であるかどうかというところを焦点にして貧困について議論すべきだとも思う。

 ただまあ、本稿の範囲内で、田畑は限界まで作付けされ、都市部は集密化高層化して、その上で貧しくあぶれた人がいるなら、田舎に新たに田畑を作るのと居住用の高層建築をするのとどちらがどうかと考えると、資源の出来ない都市開発をすると貧困化して農業林業漁業などもプラスサムにならない、このまま少子高齢を抜けて人口減となると国民ひとり当たりの土地取得面積が上がってやがて豊かになるってのは楽観視だろうか。まあ、広い田畑にひとりポツーンが収穫量的に豊かでも生活が豊かかという別問題は孕んでいるのだが。


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