まあ、最初に断っておくが俺は東大に落ちた。26年前のことである。
東大であると経歴詐称したわけではないが、そう捉えられてもおかしくはない。そのいきさつを順を追って説明する。
東大に落ちた後にフリーターになってみて、世の仕事の厳しさを知り俗説である「良い大学を出ていればその後の人生が楽である」という話に大学卒業後に楽園ガンダーラへの道が開かれているという妄想をしてしまったのだ。
2年のフリーター生活で学力がさらに落ちているだろうと思ったが、幸い家から電車で30分とかからない立地の専門学校に合格した。誰でも通る学校ではあるが、在学中に資格試験や卒業研究などがあり、世でいう「専門学校はバカ」というのは脱落者を差しているものであり、卒業者ならまだマシではないか、とふるいにかけられてそう思うようになる。
せっかく取った資格の意味を知らないまま、転がるように大阪のパソコンゲーム会社にバイトとして勤めたが、時給ではなく月給で給料明細は書かれていた。念書などもあり、バイトという感覚は少なかった。だが、面白いゲームを作りたいと思いはするものの、自転車操業で目下6人のスタッフで二か月後に小売店に100本納品できる体制を作らねばならず、企画開発まで出世以前に会社にまだそのポジションもない状態だった。
それならいっそとゲームをひとたびあきらめ、学校で取った資格で仕事を探すと谷町六丁目のソフトハウスの開発部に採用されることとなった。勤めながら、通勤電車の中で本を読んだ。京都学園大学に進学した後輩が古本屋で安く本を買って書棚に並べると勉強しているみたいに見えると大学で教わったということで揃えられていた本から、読まないなら貸してくれと借りてきた森博嗣のシリーズだ。
本は理系ミステリと呼ばれる新ジャンルの草分け的な存在で、グインサーガをまとめ買いして心が折れた俺にも読みやすく、作中の人物に感情移入していた。なんでも探偵役の犀川助教授は大学のパソコンでコンクリートの粘性についてシミュレーションするプログラムを研究しているらしい。そんなことが果たして出来るかと考えながら読んだ。
本で大学の研究室には今勤めているソフトハウスより高度なソフトウェアが研究開発されているのだろうと想像してしまった俺は、3年勤めたソフトハウスを退職して、会社を転々としながら関西圏で「もっとすごい開発部の在り処」を探し始めることとなる。
この頃には森博嗣のミステリではなく著者が東京大学の教授である本を書店で探して集め始めていた。だが、行く先々のいわゆる大企業のソフト部門はことごとく、パソコンがたくさん並べられ、タイムカードを押すとお給料がもらえるのでパソコンが少しできて職のない人の雇用の受け皿となっているタコ部屋ばかりで肝要のソフトウェアなるものはウインドウズOSとVC++で書かれた僅かなソースコードのみであった。
行く先に困った俺は仕事がもらえるならどこでもと、大阪で会社に近いからと住み始めたマンションからさらに電車で2時間かけて能勢の製薬会社まで勤めた。スーツがよれてきて貧乏そうに見えたのか、薬の会社に電車で昼出社でひとり入っていく姿を「新薬の実験台のバイトか何か」とも噂されていた。実際は、指紋認証の付いたビルの一室に富士通と日本HPのサポートの詰め所があり、そこにホワイトボードひとつとノートパソコン3台を与えられて、ウインドウズNTの営業担当が客先で使うノートパソコン千台を新しく出るウインドウズXPの初期環境に自動で移し替えるプログラムを組んでほしいという依頼だった。
蓋を開けると、富士通と日本HPともにサポセンスタッフが日本各地におり、ソフトが出来なくても派遣された各地のスタッフで仕事が回る体制だったのだが、能勢に隠された状態で現地の人がネットで配られたソフトで移行作業を簡単に出来て暇をするというオチだった。
それから俺は南堀江の富士ゼロックスの2階にあるビデオカメラの工場で富士通からCPUの検品を任されているビルの一室でモニタの監視をしないかと誘われたが、その中でプログラムの本を読んでいると、本当に画面に何か出るかもしれないから本でサボらず目を凝らして監視してほしいと頼まれて「イヤだ」と断った。
断った俺は、兵庫県の富士通の工場に呼ばれ、見せてもらった部屋では長机がびっしりと並べられて、むき出しの基盤をテスターで検電している作業着の工員がざっと200人ほどいて、俺がその部屋に入っても無視して作業を続けていた。
俺はその頃から、自分の見ている世界が現実ではないような悪い夢のような感覚に襲われ、しまいに仕事が無くなって家賃を滞納して部屋で寝ていた。母親がいちど弁当を作って訪ねてきて、その後にゲーセン友達が3人で来てタクシーで精神病院に連れていかれた。こう書いてしまうと、まるで夢オチのようであるが、見てきたものがたくさんのスタッフを使った町芝居、会社芝居のようなものである可能性も無くは無いが、主観的には現実の記憶である。
それから親父と当時は弟もいた今の実家というか生家なのだが、町家なので実家と呼んで良いかも分からないが、戻ってきて、精神病院にしばらく入院していた。
退院してから、家から近いということで奈良シャープの工場で組み込みマイコンの仕事をもらう。そこからの15年ほどは、向精神薬を飲みながら、段々と記憶が弱くなって行くかのような毎日である。大阪のソフトハウスにいたころまでは東大には落ちたが自分はそれでも天才であると思い込んでいたが、薬の作用で思考が鈍化してから、最初は頭が重くなる感じがして薬を拒んでいたが「受験勉強はどんな凡人でも愚直にやれば成果が出る」という言説を何故か信じて、薬を飲みながら鈍った頭で中学くらいから色々のカリキュラムをやり直すことにした。
ついぞや最近まで、それでも東京大学には一般人相手には秘匿された「なにかすごいもの」が隠されていて、俺の進退に関わる全てのことはそれを隠す陰謀である、みたいに思ってたんだけど、もしかしたら何も隠されてはいないのかもなと思う。まあ、守衛さんがいて入門規制はあって、その意味では学生さんは隠された場所で勉強しているのだけれど、その内容について東京では国会図書館に刊行された全ての書籍が所蔵されているわけで、東大に行かなくても国会図書館に行けば本は全部読める。
そうすると、博士の頭の中が伺い知れないという問題くらいしか残らないのではないかと。今は精神科にかかっている俺自身の思考回路というか脳の認知が歪んでいるという風に15年前の主治医が解釈して、お医者さんも5回変わって新しいお医者さんや看護婦さんからしたら、昔の先生が書いた謎のカルテに従って変なおじさんがお薬をもらいにくる、みたいな認識なのかもしれない。