スーファミ版ストIIターボサガットで103万4200点

 俺はストIIターボ’93国技館で奈良代表として出て敗退したのだが、基本的に大和郡山近辺の人間でそれに異を唱える者はいなかった。

 だがまあ、キューピー堂のおばちゃんだけは「ナンチャンは100万点出した」と言うのだが、実はストIIの頃に先に100万点を出したのは俺の方なのだが、ストIIダッシュの頃にナンチャンがゲームが終わって「よっしゃ100万点!」と叫んだことがあって、おばちゃんの椅子からはゲームの画面は見えないので、ナンチャンが言ったことがおばちゃんにとっては最初だったのだろうなと思うし、薄暗いゲーセンまで観戦に来る人などもおらず、本当に俺の存在は路地裏のゲーセンなどに出入りして金を持った客をスコボコにして闇討ちで小遣いをせしめとる、マフィアか何かみたいなものだったろう。「マンガ描いてんねん!」とかいう女子がゲームの画面を気に入ったのか遊びに来ていて仲良くしていたことがあるが、振り返って考えると盗賊の女のウソだったように思える。オタ女の友達が描いてきた同人本をコピーで分けてもらってそれを見せただけかも知れないしな。

 なにはともあれ、ストIIの頃には人知れず出していた100万点だが、こうして今更ながらにストIIターボでワンコイン100万点を出したことをネットに発表しておく。

 コンピュータはストIIよりターボの方が強いので、ターボでの100万点は初めてだ。昨日ブランカでコンティニュー100万点が出たので、今日あらためてワンコインで。

 ストIIスーファミ版の大会の頃にはゲーセン版にしか興味が無くゲーセンでストIIダッシュを遊んでいた。知っていて出てたらどうだったろうなとは思うダルシムだし。

 そして負け惜しみを言うと、スーファミ版の研究が足りず、ゲーセン版でやったテクニックとスーファミ版とのミスマッチがあり、画面の縦横比の違いなどで優勝がサガットなのも、あとあと研究するとスーファミ版の微妙な違いを踏まえたうえで、コンボなどのテクニックではなく、駆け引きの強さなど優勝の中野サガット氏は今から考えるとゲーセンなどあまり相手にしていない余裕の勝利だったとすら思える。

 まあ、ちゃんとアピールは必要だと思う。ウメハラが有名なのも俺からすると中野サガット氏と何が違っただろうと思うと、当時は中野サガット氏の強さは分からなかったが、ウメハラの強さはゲームが複雑化したヴァンパイアハンターでの正確な操作をゲーム演出がアピールすることで益々そう思ったのだが、ストIIXではウメハラのすごいところは「中二なのに」であって、おっさんゲーマーで強い人は何人かいたわけで。

 ゲーム自体にもっと人気があれば、名人のような存在はもしかするといらない。ドラクエに名人が不要だったように。その意味でストIIターボの頃は中野サガット氏よりもストIIターボの方に脚光が集まっていたわけで、皆の関心事はスーパーストIIXだったのだ。ソニーと松下と任天堂セガの次世代機争いに松下の3DOがいちばん早くストIIXの完全移植で、その後にサターンとプレステでストコレの形でストIIXが出た。

 当時から最近まで、色々と悔しかったなぁと思い出すことはあれ「何故負けたか」という敗因がキッチリ分析できて、次につなげる未来が見えてきたのはここ最近のことである。悔しいとは思いながらも、時の流れの中でひとつの催しとして過ぎ去ったのも事実。

 今でも昨日のプレイと今日のプレイを比べて、歳というかサボりで下手になったことだけを悔やむのではなく、そもそもミスするかもしれない危険な操作に勝負の要所でそれに全部賭けるというのもギャンブル的によろしくないし、危険だから慎重に練習を繰り返して「今なら大丈夫」という感覚を磨いていて、しかしその得意技にかまけて出来る研究を技の過信で見過ごしてきた部分もあるわけで。

 ミスるかもしれないヤバいことに100円玉を賭けてアツくなる、ということの繰り返しだったのかもしれないよね。特にストIII以降のブロッキングなんて、カネ賭けてんのにガードを解いてブロッキングを狙えって話だったりするから。

 麻雀なんかもやったし、コンピュータの将棋も研究した。その意味ではそうして無関係にも思える色々の趣味は近隣の人も知らずネットでこうしてブログにしてSNSとかでかすかに交流があるのみで、その意味ではアピールのチャンスというか、自分の人生にそんな目立てるチャンスがあったかというと、’93国技館は行ったよな程度。

 まあ、アメリカ遠征でも勝ったか。あの大会、映像でEVOとかを見るより飛行機で現地に行ってえらく地味だなって思って印象に残っていないのは、勝負なんてそんなもんで、負けたから国技館はより鮮明に覚えているのかもしれないよな。


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