どうして何もかもが反対だったのか

 ストIIターボをブランカでクリアした。ブランカストIIの8キャラの頃から、いちばん何をしたらいいのか分からないキャラだと思っていたが、最近分かってきている。

 ほとんど使っていないキャラなのにコンティニューアリとはいえアッサリと100万点を超えてしまった。今まで何だったんだろうと思う。

 遡ると、カプエス2が稼働したときに西大寺のキャノンショットが1ゲーム50円なのに新台のカプエス2は100円だった。誰もやらないゲームになって、全国大会を目指していた俺とINOでタイマンになった。

 俺の仕事がそのころ谷六で、INOに梅田モンテカルロに誘われて通い出した。梅田の繁華街の中なので西大寺よりは客が多く、台も8台4組あって、最初はどんどん連勝出来た。ストIIからストZERO3とそう変わらないゲーム性だったのもあった。

 そして、モンテでも全国大会前に閑古鳥となった。店の人からはあのサラリーマンの待ちガイルが勝ち過ぎだから迷惑で客が付かなくなったと俺のせいにされ、梅田周辺でたまっていた黒人連中が同じく浅黒いINOの味方に全員ついて「INOさんのほうが努力していて上手いと思います」とか文句を付けるようになっていた。真に受けた。

 だが、別にオリコンでも無くブロッキングでも無く飛び込んで大攻撃しているくらいのことで、今から考えると上手いことなど何もしていなかったのだが、彼らは噓をつく。でもどうしてそれをそんなに真に受けてしまったか。

 答えは、俺の家の物置から出てきた1冊の歴史の参考書にあった。

 「歴史の精解と資料」と題されたその本は奈良の歴史研究家の田中文治先生の本であり、小学校6年の時に先生の私塾である田中塾に俺は通わされていた。学校の暴力が取りざたされる前の話で、先生は竹刀を持って授業に当たりスパルタ式というやつであった。

 だが、今から考えるまでもなくおかしな話なのだ。田中という姓は農民の出身である。そして俺の苗字は旧貴族の由来であるのだが、一億総中流時代のテレビによるプロパガンダの中で旧貴族であることは無関係に受験戦争に駆り出され、そして田中角栄で既に民主主義の平民からの総理大臣は誕生していたのに、今から思うと田中先生は貴族のボンちゃんが自分の方から習いに来たのを平民のイデオロギーでもって竹刀でぶって腹いせをしていたのだろう。

 しかし俺は無事に奈良学園中学に合格して、塾の卒業の時に中学から使うようにとこの参考書をもらい受けた。45歳にして、高校の世界史を復習してからあらためて読むと良い本なのだが、本には中学の教科書で物足りない人のためと記されているが、今から考えてもいやになって学習に拒否反応が出るレベルの本である。

 なんだったんだろうな、と思うと振り返って様々のことが反対であべこべになっていたのだ。

 俺の家は四代前から地主で、相続税で減ってはいるが仕事で補填して、お家賃やら株の配当だけでも家で待っていれば暮らせるのだ。そしてケーブルテレビを見ていて、回線不調があれば自分で直さなくても親父が電話1本入れると作業員の兄ちゃんが来て直してくれる。

 20代の仕事はサラリーマンであったが、ソフトハウスを離れてフリーになり、契約社員と言うと会社を家とすると修理の兄ちゃんが家に来たような扱いを受けて仕事をするケースもある。日本の企業はまだその大半が家族経営親族経営なのである。よその人だ。

 ただ、ある時に俺の苗字が旧家であることが詐称ではなく実名であるのに家電メーカーの大手が気付いてくれて、奈良でいったい何があったのかを調べ倒してくれた。

 俺は親父に勘当されて外で働くことになったと思っていたが、親父もあまのじゃくな性格で「家から出ていけ!」というと俺がごめんなさいして会社を辞めると踏んでいたのだろう。それを真に受けた家族全員で親父から離れて、30代で病気して引き取り手を探してもらってやっとつながった電話で親父が初めて「もう帰ってこい」と言った。

 それから、親父と言葉が通じるようになった。

 だが、姉や弟に母親に親戚筋などはまだ話が通じていないと感じるところがある。唯一、祖母の家系は社長令嬢で現社長が親戚でベンツに乗っていてお金の話は出来るので、その筋を頼ったこともあった。正直お金のいる話だろうと思われたのか、最初は縁切りも考えられたが、反対にこっちもちゃんと持っていると分かると縁も出来る。

 世知辛いが、世の中きれいごとではなく持っているかいないかの部分はまだ大きい。帝国主義から資本主義になって、何が変わったかと言うと王様が偉いのではなく金持ちが偉い世の中になっただけのことなのだ。それは旧家でも血筋があっても貧乏では相手にされず、しかし土地やお金があるとなると手のひらを返してくる単純さである。

 黒人と言うと人種差別だという人もいるだろうが、平民の中に落とされた平らなもの同士で旧家の苗字に対しては大切に守ってくれる側といじめ倒してやろうとする側に真っ二つに割れる。まあ、守ってくれる側がいるだけ良いと思われるかもだが、黒人差別だって黒人同士では仲がいいじゃないのかなって話だ。

 まだまだ、世の中には色々の差別とそれによる分断はあって、国が違うと言葉が通じないのと同様に境遇の違いにおいても話す言葉の意味するところと言うのは微妙なボタンの掛け違いを産むことがある。慎重に交流しなくてはならないと最近では思う。


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