パーティも将棋もFFも俺にとっては同じくゲーム

 朝から珍しく民放を見ていた。昨晩ちゃんねるをポチポチしてカウントダウンTVを流していて、朝起きた同じチャンネルで若槻千夏のお誕生日会が放送されており、ゲームが始まってちょっと見てテレビを消した。椅子を輪になって並べるパーティゲーム。ゲームといっても色々あるよな。多人数ゲームでは集団意図でいじめられるやつは負ける。俺ああいうの苦手なんだよ、と思っているのは指名を(テレビのルールでは指名者の隣がアクションする係なので、隣に指名される)食らいやすいというような傾向があるのだろう。ゲーム中に他の事考えてぼーっとしている隙があったら狙われる、とかもあるだろう。

 ゲームだから、強くなりたいとも思ったが、ああいうのは誰かがとっとと負けた方が盛り上がる。ただ、集団意図と先に書いたが偉い順とかで「負かしてよいヤツ」が負けなければならない。人気者と偉い人はまた別のなのだろう。偉い人同士の真剣なゲームなんてのは一歩間違えれば利害から代理戦争や紛争につながるしてはいけないことなのだ。

 それで楽しいテレビは疲れるので、消して何をしていたかというとstockfishの評価関数の和訳による説明を読んでいた。やねうらお師匠の解説はソースコードのコピーに英コメントと難解な説明が添えられて分からなかったので、Qiitaの和訳を読む。

 読むと、国語論文が研究者界隈から出ているが、それで触れられているより多くの評価軸が一気に解説されている。しかしまあ、チェスと将棋では違う所があるのでそのままだと使えないかもしれないが、自分で繰り出したものとは全く違う発想が得られた。

 多く、特に古典や常識といっても今昔物語集武家社会の礼儀ではなく、シャーロックホームズやアガサクリスティに世界史などは元来外国語であったものが翻訳されて国語で学んでもニュアンスは伝わるというか、ニュアンスというよりエッセンス?

 従って評価関数なるものが本質であるという解釈の元その実装が論文に求められている。評価以前の探索とかアルファベータ法はそれ以前の論文で邦訳されたものだ。

 当然ながら、いつかは日本人に理解されて邦訳されて常識化することでも、それを待っているよりも英文で原文があることが分かっているなら、和訳を待つより英語を学んで読みに行った方が速い。英語である以上にプログラミングには技術理解も必要なので、待っていると何と十年くらい経ってしまっているのである。

 しかし日本で英語でペラペラしゃべるのもそれはそれで良くない。これでもプログラマ実務経験者であり将棋コンの開発者であるわけで仕組みが知りたいと思う人に伝える仕事はしなきゃと思ってんだ。

 まあ、唐突に話題を変えるがゲーム「ファイナルファンタジー」の説明書のおすすめパーティは戦士盗賊白魔黒魔であるが、別にウィザードリィのように宝箱に罠があるわけではないから盗賊は戦士で良いし、黒魔導士が活躍する中盤のサンダラなどは赤魔導士でも使えて、武器も持てるので、戦士戦士白魔赤魔のほうが強いでは無いか!とうのは通してクリアしたことのある人が最強パーティを考えたときに出る話であって、逃げ足の速い盗賊がゲームでどう活躍するか、全部の黒魔法を覚えるには専門の黒魔導士が必要という事で、ゲームを味わうにはやっぱり戦士盗賊白魔黒魔のほうが良いのではないか?サスケのカタナとか拾って「これ何に使うんじゃろ?」「フレアーって誰が覚えるの?」と思ったままゲームを終えるのは勝ったとしてもどこか物悲しい。

 そういうわけで、駒得のみの評価関数の将棋を理解して、それが如何様に負かされて評価関数が複雑化したか、という筋道を知らないと何のためにあるのか分からないような計算ばかりなのである。ちょっとFFの話は強引だったかもだが、俺の直感。

 まあ朝ブログなので、みなさん良き一日を!つっても10時は過ぎているが。


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