今年は政治に対する関心の高い一年でした。なんとなくの勉強だった数学とコンピュータから、資格を取って就職して気付けばスーツのサラリーマン。周囲から「何か働け」と言われ仕事に就いて、社会経済の仕組みを知る前に上司や社長に取り入って「給料を上げてくれ」と言ったら本当に上げてもらえた。隠しておけばよかったかもだけど、それが公になった時に労組などが「同一労働同一賃金」などの論理で責め立ててきた。俺なんか悪いことした?と思ってから、知人の勧めで日本史を勉強しなおした。
それでまあ、分かったことは「取り合い」となることを止める政治ですよね。俺は戦国武将で言うと織田信長が好きであることは以前にも書きましたが、ゲーセンで100円玉を取り合うストリートファイターで「勝って何が悪い」という態度でした。勝って何が悪い、その代わり負けたら勝つまで打ってやる!というのが俺の中の平等でした。他には「キャラ差(キャラ相性)」が近いというのも公平だと思っていました。
けどまあ、ゲーセンで100円入れて負けた方が台を立たされて勝った方が座って続けられる対戦形式である以上は同じ100円でプレイできる時間が違うとか、同じ時間プレイしているのにかかるお金が違うみたいな不平等はありますよね。これはゲーセンでは子供の小さな文句でしたが、パチスロの当たり率などでお金の問題として法律が何度も変わる事件など、実際に社会問題となっています。
そうして、織田信長はまあ現代では歴史の中の登場人物であるわけですが、本能寺の変で焼け死んでも勝つ方が良いみたいのは、もうちょっと勝負より自分の命を大事にしろって形で説得されるわけです。そうして、自分が命とか自由とか単純な損得勘定で言うお金の話になると、ゲーセンで幾ら勝とうが100円損なわけだし、趣味の付き合いだからとその大事な100円を他人から好きなだけ払わせて言い訳が無いだろうと。
こちとら中二の時から勝負ありきでやってんだと、勝負する金が欲しくて働いているとさえ言える。それを失って、お薬飲んで寝てるだけの人生なんてつまらな過ぎる。まあ、実質的に本能寺の変ではなく精神病院入院で殺されるわけではないけど骨抜きになれたわけです。
なんでだろうなと不思議でしたが、社会には俺以外の人がいて、哲学が好きで他人と言うのは俺の世界、俺の主観に写り込んでくるまやかしのようなものであるとすると分からないんだけど、見る聞くだけではなく触れられて物理的現実としてそこに他人はいて、そしてその他人を慮る時に俺の勝負論を押し付けるのではなく、簡単にお金の話で無暗に損になるような駆け引きを持ち込むべきではないというか。
まあ、ちょっとトートロジー。んで人は人で、俺は俺で俺の家があって、このへんの境界も宮本亜門が沖縄に憧れて引っ越したら留守中に知らない婆さんが上がり込んでお茶を飲んでいて興醒めして帰って来たみたいなエピソードがありますが、俺んちも今は仕切りのある個室の建築にリフォームっで変わったんですが、もともと仕切りのない和風建築で、広間に家族が一緒に座ったり寝転んだりしていて、部屋にあるものが誰のものと言うと、テレビなんてみんなのもので、そこに親父が子供部屋を設けて俺のものやお姉ちゃんのものが出来ていくわけですが、おばあちゃんは全部ごっちゃに片付けて、年の離れた弟が出来たときなどは母親が「もう使わないから良いじゃない」と俺のオモチャを弟に渡し親父が「それはワシがお兄ちゃんのために買ってやったものだ!」と激怒して守ってくれるという一幕がありました。その大事なおもちゃも小学校の同級生などで貸し借りが非常にゆるかった。
ある日俺は俺が強くなって守らないと俺の持ち物は他人に取られてしまうし、仕事して稼いだお金は俺のものであって他人に簡単に取られてはいけないと思うようになります。それ以前は「貸してよ」と頼まれて簡単に1万円くらい貸してしまったり、なんならバカな話だけで都会のギャラリーのキャッチセールスで200万円以上の絵画のローンを組んで友人に相談したら「俺ら騙されようにもそもそも200万円なんて持ってないしな、自慢か?」と距離を置かれたりもしました。
んでそれと織田信長がどう関係あるかと言うと、国を大きくしようと他国に戦争を仕掛けて頑張ったという所です。もちろん、俺は戦争をしたわけではないけど、富国強兵論を支持していたし、働いてもらったお金で持ち物を増やし貯金を増やし、ひいては株や土地を買って権力を得て自分の家を大きくしたいと思って過ごしました。
でもまあ、そこで他人です。日本の土地は全国もれなく誰かの土地として所有者があって、俺が頑張って領地拡大しようとすると、どこかに弱って領地縮小する人が出てくるわけです。そこでまあ、家に家財をためて外で働くというのではなく、俺んちで部屋にこもって今まで買ったゲーム機、パソコン、楽器類で勝手にひとりで遊んでおいてくれというのが外敵からの圧力で逆らえないくらいになったのです。
そのへんまで含めて、国境、県境、所有地、横並びの給料とまあ、決まってくるわけです。この感じは日本史ではなく戦国無双2Empiresの日本地図が誰の領地かみたいな地図画面でイメージを掴みました。
そうするとまあ、桜坂46だったか国境がなければ戦争は無くなるかと言うと、家で所有権が明確でないから起こるケンカや取り合いもあって、国境以上は攻め合わない約束があるから守られている平和もあると考えます。それが昨今では中露が進出姿勢で対抗するのに防衛費ユーロ諸国と足並み揃えてGDP比2%とか言っているわけですが、他国が隣国に攻めて来るなら、同額の防衛費で張力を高めて押し合いへし合いしないと、足りないと縮小姿勢になるということ、これでもどの国もルールを守ると軍縮になるわけで核廃絶とかはそっち向きの理論ですが、それも自国だけの問題ではなく隣国と釣り合うか、納得し合わないと平和にはならないわけです。
もともと勝負の世界にいたので、戦って勝つより平和の方が良いという話にはなかなか納得できませんでした。戦をして勝つのが良い、そう思てやってきましたから。それがまあ、ゲームの世界で架空戦争だからそうなのかと言われると100円賭けた小さな経済戦争だったわけです。
その意味では昨今のインバウンド収支は元々お金持ちの国である日本で外国人をお接待してドルをもらうという話で、領地を増やさずお金を儲ける、そして儲かったお金でUSスチールの株を買うとなると、そこらへんで待ったがかかっています。
そう考えると、大谷翔平選手をはじめとする大リーグでの日本人活躍もささやかな移民政策が始まっているようなサインとも受け取れます。もう米国行っちゃおう的な。
そうすると、自室に押し込まれた俺としてはやや不満ですが、東京に領地をやるから働きに来いというようなITの首都圏集中化には反対で、まあ自分ちで良いかと。
それは俺に文句を言って来る人以外にも世の中には色々の人がいますから、どうやって通信してどうやって手を組むかということになってくるわけですから、俺の話は今までの説明をしてここで一旦おしまいです。国境を変えるとか、そういう政治や軍事の力で国民を高揚させるのではなく、ただ勝手にビザ取ってひとりひとり外に出ようねって話で事は進んでいて、アジア外交とかオーストラリアへの出稼ぎとか、自分で考えて行動できる人は勝手にやり始めている時代だとは思います。
けどまあ、日本企業に勤めて給料の話になった時には、歴史的背景と横並びの原則は受け入れなくちゃならない。国から出られないから、国境そのものを超えるのではなく伸ばそうという内側からの圧が外に向かうわけで、そういう意味では国境で権利を守るのではなく、自由に行き来できるバイリンガル的な能力があれば、チョットした制度で出国できるわけで、法的な境界線より言葉の壁とかの現実問題の方が大事かもですね。
それはもちろん政治的な交渉にも役立つでしょうし、言葉が通じないから物質的なやりとりに終始した結果として「勝ち取る」という考えにも発展するのかと思います。
