マキャベリズム「時には狐のように狡猾にそして時に獅子のように獰猛に」それって哲学なの?とも思ってしまうが、神の支配する世界ではなく戦時中の哲学として裏切りを肯定する哲学が起こったんだってさ。
それを俺はどう現実に応用するかというと、ゲーセンやトレカで知り合ったいっときの仲間にモノの貸し借りを発端に裏切られ、返して欲しいと言われるから相手は会いたがらない、返さなくても良いとして再び会うと相手は借りがあるのでやりづらい、みたくなった時にどう考えても同等品が欲しいなら買い返す(他人からになるが古物で)という選択肢はありながら、いちどは誰かに渡したものでその時はいらなかったはずなんだけど作り手から「せっかく作ってあげたのに捨てられた」とか「モノを大事にしない」みたいな非難を浴びせられつつ、親元で子供部屋でひとりゲームをしていた俺にとってゲームを一緒に遊んでくれた友人というのはたとえ裏切られたとしても、俺の人生に登場する人物として深く心に刻まれているものなんだ。モノも大事なのは分かるけど、奢ってあげるとか貸してあげるがその頃の俺の好意の示し方だったんだ。
まあ、それなら珍しいゲームをして奇遇な縁を探して騙されるよりも人の多いゲームに移ってコミュを広げ色々な人と交流してその中で気の合う人を探したらいいやん、みたく質より量みたいな考え方になって始めたのがバーチャロン。けどバーチャロンを遊ぶ人はゲームを量より質で見ていると多分そう思うのよね。ゲームの量は友達の量につながるけど、ゲームを質で見ると言っても独善では共感は得られない。大ヒット作をしないで固有のゲームを語るのは音楽をやるのにクラシックの名曲に触れないような・・・ものなのか?ちょっと強引な論法な気もするが。
そんなわけで、バーチャロンもうバーサスモードは勝てるけどキャンペーンを進めてます。1-3で放置していたのを2-4まで進めた。ボスとか仲間とかいるのよね。
それの何がマキャベリズムなんだ!と言われると、任天堂とかセガとかコナミとかカプコンとかバンダイナムコとか会社のブランド色々ありますやん。株主になって自社のゲームを売り込んで利益追求団体となるのも経済社会で生きるひとつだけど、それはそれで不自由でどこの会社のゲームでも楽しく遊べる消費者でそれでいてちゃんと生計は立たないかみたいなとこなのよ。
けど任天堂はハード供給でサードパーティの強い会社は残るけど小さい会社の名作は任天堂ブランドで売っちゃう。全ゲーム任天堂になったらそれ独占禁止法に引っかからないの不思議やけど、マイクロソフトもXBOXで同じこと狙ってて、国産で保護貿易的に任天堂するか洋ゲーやマイナに興味があってXBOX行くかみたいなこともある人には選択なんだけど、サラリーマン時代の俺には「両方」というカネがあって、しかしあの時にそんなことしたことは悔いてはいないんだけど、とりわけカプコン社のゲームに関して「スーファミのストIIターボで良かった」とか彩京のSTGに関して「スーファミのソニックウイングスで良かった」という悔いはあり、結局その時からでもとスーファミの2本を揃えてゲーセン辞めて、そんで貯まったカネの使い道が餓狼スペシャル、龍虎の拳、龍虎の拳2、ワールドヒーローズ2、キャプテンコマンドーであって、とりわけ対戦物とかベルトアクションに満足したところでアクションシューティングのトレジャー系ガンスターヒーローズとエイリアンソルジャーが懐かしくなるのは所有欲を満たさないと、家で同じゲームで粘るのは辛抱し始める前の物欲の時代が俺には確かにあって、比較的に過去より不幸になっていないかと思い始めたからである。
けどもう3~4日ポチクリを我慢して考えていて、中学高校の頃から幼少期に親戚が飼っていた犬のことまで思い出し、今も大事だけど記憶を正しく辿ることはボケ防止てか今の自分に至る論理を間違えないで前に進むこと。
そうすると、こと音楽に於いて完全に元コナミスタッフの特定の人物に耳を掴まれており、その最新作も実は買っていて新品未開封で家にあるんだけどWiiの置き場がない。しかも販売元はコナミ、セガ、任天堂と変わっており、子供の頃から好きな音楽に包まれているというとファミコンディスクシステムのザナックのオープニングとロックバンドLUNASEAのGENESIS OF MINDの休符で音がピタッと止まってから聞こえはじめるギターのアルペジオが実はザナックでゲームオーバーになってからもう一度聴こえるオープニングをギターでゆっくり弾いただけなのではないか、狙いなんちゃうか、誰のためやねん偶然何かそれとも俺の耳は誰かに捕まえられているのか!と思った。
そうしてあらためてバーチャロンマーズをしたのは音楽系コミュからの心のメッセージで、どうしてまたエイリアンソルジャーをしたいというのがもし音楽ならバーチャロンマーズを起動してみてというのが、騙されたと思って聴いてみるとスッキリしてネット検索で作曲者に表記されている人は別名義なんだけど、音楽のスカッと感は似ていて、俺の持ち物把握して有り物でDJして癒してくれている音楽家スゲーなと。

まあ今日は、そんだけの話です。音楽をもう一度聴きたいってのはあるよな。自身が作曲とか演奏にも興味を持って実践して、今の耳でもう一度体感したいみたいなの。
けどまあ、そのベクトルは随分と後ろ向きで、作って行こうとしたときに今まで軽く扱っていたかもって昔のものの値打ちをあらためて思うとともに自分の動画などでの印税収入が雀の涙なの、これがゲームソフト1本分になるくらいの将来への労力とゲーム一本分の製作費って実は似通っていて、生活費の累計を差し引いて創作に打ち込んでほんの少しの利益を上げているだけのクリエイターなんてのもたくさんいるんだろうなと。そう思うと創作に利益供与されない中古ゲーム業者みたいなのから安易にモノを安く買ったり、高価だからと買い取りに出したりしてはいけない気はする。