物事を考えるスケールの問題で、人生は何のためにあるか、生きている間にひとりの人間として何が出来るかとか、まあ昨晩は享楽的にMH3Gとカルドセプトリボルトを遊んで寝た。3DSというおもちゃのゲーム機のことな。
もちろん「人類の存続」みたいなテーマを考えるのには、それ以前に地球史とか進化論とか、食物連鎖とか、自然科学を網羅的にやらないと何から考えてよいか分からない。
天文のスケールで考えると、宇宙の消滅まで行かなくても恒星にも寿命はあり、太陽が燃え尽きたりしたら太陽系は滅ぶだろう。そこまで人類が太陽系の中で存続しているか、と考えると、その前にお医者さんとかはひとりの人間の健康寿命について携わるような仕事だし、その目線で考えて、温暖化による熱中症やウィルスの繁殖によるパンデミックで人類はもっと早く滅ぶかもしれず、かといって諦めるではなく日々の仕事をしておられる。砂漠化に関しても先手を打って植樹を推進する人々もいる。
その目的が人類の存続だとして、とりあえず俺は結婚もしていなので、結婚と小作りの方が先にするべきで、他人である人類についてみな兄弟でそのために働けるか、となると家が大家さんで個人投資家として株主で、制度で人を働かせてカネを取るような身分をかなぐり捨てたら、まあ左の目線からは立派かもだが右から見たら捨てゲーするバカである。
そうすると聖書が何のためにあるかというと、出エジプト記から始まっているその当時のエジプトというのは砂漠化が進んで人が滅びかけていたのでそこから逃げることから始まっており、しかし紀元元年の起源は16世紀ごろに書かれたという話もまたある。
そうすると人工衛星で観測して出た砂漠化のデータも自宅のネットから見たら政府とか国連が出しているデマかも知れず、行ってみないと分からないが自分で行ったことのあるアメリカ内陸部ネブラスカ州は砂漠と言われているが、空港もあって美術館もゴルフ場もショッピングモールもあって、クルマで走ると砂漠の中にあることが何となく分かるのだが、原住民の一部は何らかの収入があってゴルフの休憩所のゲームコーナーで30セントを払ったストリートファイターに夢中で、んで日本からの移民が日本語学校をして暮らしていて、日本のマンガを知っている人もいるという最近の日本でも良く放送されるようになったいわゆるオタカルチャーはあるのだが、ゴルフ場のゲームコーナーに集まるのは向こうでもやっぱりちょっと変人で、モールのレコードやDVDのコーナーはガラガラのガラクタ売りみたいな感じでダイソーに類する1ドルショップ、99セントショップみたいなのもあって、けど多くの人はモールの中の喫茶コーナーでお茶をして時間をつぶしており、満席に近く、食料品などの買い物コーナーは行ってみたかったが、入り口で検問官みたいなのに持ち物検査を受けて「OK」とは言われたが、カフェコーナーで同行のバカが日本語でペラペラしゃべって周りの人が外国語で不安な表情なのわかんねぇな、と思ってちょっと遠慮した。ちょうど9.11のあった直後で土産の化粧品セットのなかの毛を切る小さなハサミでも検問で「凶器になる」とアウトだったくらい。
今考えると、あの頃に「日本人が来る」ということで現地の一部の人からもてなしを受けられたのは、砂漠の緑化くらいの大事業の偉業を成した日本人のすごいイメージの恩恵を受けていたからで、まさかゴルフ場の休憩コーナーで30セントのゲームに10ドルを賭けて大会して200ドルもらってよろこぶような日本人が来たということは全く喜ばしくはなく、次行くならもうちょっと地域貢献とか行く前にどういう場所かくらい地図とかで調べておけよな、という感じではあった。
まあそんで、砂漠の緑化は大義でも、マスコミが報道するのは政治家で、偉人は脇役よな。NHKの「らんまん」で見た牧野博士のような方が植物図鑑を作られて、俺ドラマあるまで知らなかったくらいなんだけど、現代では図鑑で勉強できるその図鑑もそんなに高価なものでも無いし、価格の大きさにありがたみを感じる計算の弱い子供ってか、そのまま大きくなった人が商売の相手として上客でありつづける貴族社会からしてみたら、貴族として政治とカネで人を動かすのではなくDIYみたいなものはパフォーマンスでしか無く、本当に働く人が身内からは敵視されてきた工場勤務時代があって。
なんでちょっとカネ出せば買えるように工場でやってもらってんのに私らが行かなきゃならないの?みたいな圧はあったよね。
今更だけど、俺がゲーセン通うのが趣味で、ゲーセンって本当に誰でも入れるので、小学生で100円玉持ってたら金持ちかコソ泥で坊ちゃんと悪ガキが交わる場ではあったと思うけど、それがそのまま公務員と土建屋さんと在留外国人とか新興宗教とかまでストリートファイターIII3rdやバーチャファイター4でつながって、それで俺は本名が宮澤郷介でニックネームが「カーメン」だったけど、これ悪友の悪戯で、聴く人からしたら「カーメン」が本名の在留外国人が「宮澤郷介」を名乗っていると思われてもゲーセンという場所柄からすると不思議ではないというのが生まれも育ち奈良の戸建て住宅だから全然分かってなかったんだよね。
まあ、それでも回ってたのは俺の大義がそん時は「ゲーム」で実家の財産もゲームのためにかなぐり捨てて派遣社員で働きながらももらった給料をゲーセン台にジャラジャラ入れていたから、主客で見たらいつの間にかゲーセン店長が主で都合よく使われて、ゲーム研究と言っても社会的には遊びであるなんて咎めるものがいないのもカネが動くからで本願の大会にインチキ喰らってたくらいのことなんだけど、米遠征も呆れた雑誌社が「これくらいの事を針小棒大に書いただけの雑誌です」って教えてくれているようなもんだったけど、世の中知らな過ぎた俺からしたら大事件で、それを知っていまさらどうしろとってなって、日本に帰国してから訳が分からなくなる統合失調症って精神病を発症してしまったんだよな。
んで、マンションからどうにか実家と言っても商店とつながっている戸建てで家というか店の「うちら」って言うんやけど、そこがもう荒れ放題で親父と弟だけになっていて、帰ってから20年くらい経つんやけど、近所付き合いとかも無くて「空き巣」って噂まで立つ始末で。住民票も免許証も、昨今では偽造の疑いもかかって証明とはなりづらく、近所の仲といっても原住民が死んで行ってマンション住まいの移住者が多く戸建てで孤立するとなかなかに大変。事情の分かる人もほとんどいない。
当然、賃貸マンションとかに住んでいる人から見たら、俺の仕事が何であれ家賃を取り上げる大家さんなわけで、政治的に強く払わないものを追い出す権力が無いと成立せず、地球温暖化防止などの大義も本当にただの大義としてしか見做されず、そのために植物の図鑑で勉強しようとしても、実際の現地に足を運ぶわけで無い以上は勉強そのものがパフォーマンスと見做されてもそれは仕方が無いのだろうと思う。
服薬を続けて、ちょっとは自分の身辺事情くらいは整理がついて来たと思ってる。
政治の事も、まだまだ分からない事が多く、環境問題などの大義もまた、軍事が最強である与党に対する対抗手段としての大義であるだけかもしれず、植樹ではなく選挙で政権交代が為されることを考えると、自民党は選挙だけで野党が仕事をしているという構図もまた野党が選挙に勝つことで崩れてしまうことも指摘しておきたい。