
こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!最近またストZERO3やってます!
朝からV豪鬼でCOM戦クリアを決めました!キラーン!
自キャラをV豪鬼にしようと思ったのは責任を伴なった自由を獲得出来たからだと思います。ダルシムとかナッシュは「みんなが俺をダルシム使いだと思ってるから」とか「ナッシュの方が似合うよね、と言われたから」みたいに他人のせいにする事で、自分がキャラを操っているのに責任を他人の発言のせいにして、その上で手柄を求めているのは勝ち取るのではなく言った通りにやってやったぞという甘えがあったというか。
そのキャラで勝っても負けても画面に映るのはそのキャラだから、レアキャラの方が目立って浮くわけだけど、個人競技であるストIIをプレイヤー個人にスポットして「誰が強いか」という競技にするのではなく、キャラにスポットを当てて「どのキャラが優勝するか」という競技に転化するとそのキャラの使い手が多い方が有利。純然たる多数決では無いけど、参加者が多いというのは数の論理になるわけです。
でもって、V豪鬼ってホントに多いの?となると「上手い人しか使えない」みたいな風潮はあって遠慮があって、まあ好き嫌いもあるかもですが、そこでV豪鬼を選ぶ一介の格ゲーマーであっても良いなと自分のことを大事にすることにしました。
いや、一度は俺にキャラをああだこうだ言ってきた人への逆恨みも巡りました。そして現にこうして活字で訴えているのは、俺のいるのが言論空間なわけです。大事なのは「何を言ったか」だけど、ウメハラのすごいのって「負ける要素は無い」とかいう発現じゃなくて、それがカプコンのドッターが打った画像でも、やっぱり見せている絵がすごいって事じゃないですか。
その映像空間にレバーとボタンで介入して試合運びを変えられるのがゲームの面白い所であって、俺がゲームするのも口論ではなくゲームで決める方が良いと思うから。
まあ、反対意見は当然上手い方がV豪鬼を操ると、相手の方の操作を如何にしても勝てる要素が見つからないというところから不平が出るのだとは思います。
しかし、真剣勝負の場としての大会や100円を賭けているゲーセンで自由に選べるキャラの中にV豪鬼がストZERO3標準で存在するのも確かで。そこにいちゃもんを付けるのは平等な言論ではなく、暴走族とかの威圧であってキャラ勝ちで100円巻き上げるつもりが、リアルケンカで脅されて100円カツアゲされるみたいな構図こそあるわけで、現場であるゲーセンで中学生くらいでも堂々と物怖じしないで豪鬼で勝っているというのにウメハラのカリスマ性のひとつがあるわけです。
ケンカにならないかとヒヤヒヤしたこと、台を叩かれて男のアレがすくむ思いをしたこと、そのあとには自慢することでも無いけどケンカになったこと、ケンカをするようになったら格闘ゲームにもう用事は無いという段をいちど経て、それでもケンカが抗争くらいになってくると、多勢に無勢だったものが本格的に選挙戦にもなり、その段になて自分の旗色を迷わずV豪鬼にしようとそう思ったわけです。
何党と関係あるかとか、そういうのは無いです。いまストZERO3をもっかいやるならV豪鬼かなという。そこにあるものは強いて言うと「職業選択の自由」の法律に近い「キャラクター選択の自由」みたいなものを掲げているわけです。
当然、自由の対義語として今までは抑圧があったわけです。大阪のゲーセンでのカツアゲ同然の高圧的な絡みが俺の自由を抑圧していた。単純にするとそうですが、しかし人付き合いなのでそこまで単純でもなく。どっちが店でどっちが客で誰がどんくらい払って何人集まって、誰と誰が仲が良くて誰と誰がケンカしていてって超ゴチャッてる。
Ⅴ豪鬼を使って勝つことを正当化したら、それに抗う術は「相手にいちゃもんを付ける」のが関西式かもですが「黙って負けて帰る」というのもあり、V豪鬼使って勝つから連コインして負けろとまでは言わず、ただひとりCOM戦で黙々と練習を続けるのです。ここに隙があるとしたら、V豪鬼が来たら客が皆帰るけど、V豪鬼が席をどけると他のお客さん同士が喜んでお金を払い合うというソーシャルかもしれませんね。
けどまあ、俺はV豪鬼を使いたくて、そこにはキャラクター選択の自由はあると思います。キャラをトーナメントで勝たすのに多数決的にそのキャラの参加者は多い方が良いみたく書きましたが、ゲーセンでV豪鬼が目立たないのには「V豪鬼にはカネ入れない」という無言の勢力がそれ相応に多数決的に勝っているからというのはあるかもです。
しつこいようですが、俺はそこにV豪鬼で参戦する1票を投じているのです。