テレビってのは他人事だから面白いものですよね

早寝早起きの生活リズムで過ごしていたのですが、NHK深夜アニメ「映像研には手を出すな!」を見るために夜中に起きて見終わって寝てでややリズムが崩れております。

そのまま朝のテレビはNHKで建築家の安藤忠雄さんの仕事現場が映されており、なかなか良いものが見れたなと。

 

テレビドラマでも近頃では職業人の仕事風景を描いたものが増えていて、テレビ局が作っているからテレビ局のテレビドラマの風景は正確なんですけど、ドラマ結婚できない男の桑野さんの仕事現場の風景と建築家安藤忠雄さんの仕事現場の風景は随分違うものだなという感想を持ってみました。

25歳というと、ユニオンシステムで建築の構造計算書を自動で計算してプリンタから出すコンピュータシステムを組み上げて、寝ててもお金が入ってくる状態でした。やっている実際の仕事はプログラミングとデバッグで、ハードウェアは汎用コンピュータの市販品。家庭用のウインドウズ98から業務用のNTの後継と統合してウインドウズ2000でシステムが組み上がり、設計事務所に売れ始めて製品が軌道に乗ったんですよね。

そのくせ、会社としての建前というか情報通信業IT企業という言葉はまだ一般的でなくて、プログラマーとひとこと言うと「何の業種の」という返事が必ず返ってくる時代。建築の耐震強度を求めるプログラムですよと言うと「建築士なんですか?」と返って来て「違います」と言うと「じゃあ土方なんですね」と蔑まれるという。

結局寝ててもお金が入ってくるシステムなんてのは市民が放っておくわけがなくて、テレビも見ないで仕事に打ち込んだ22歳から24歳までの徹夜残業の行末は会社から用済みとして追い出されるという結末になるのですが、それから派遣社員として色々のデジタル機器メーカーを転々としている間にユニオンシステムでこぼしてしまった「コンピュータで寝ててもお金が入ってくる」という話が独り歩きして、自身が派遣社員として働いているにもかかわらず、何故か噂話で「人を派遣させて上前をはねて儲けている」(だから寝ててもお金が入ってくる、と推察されたのでしょう)ということになって、大バッシングを受けて行くわけです。

色々あって、仕事を引いてテレビを見ていると、テレビドラマの結婚できない男の主役である阿部寛さんの演ずる「桑野さん」の頭の寝癖や挙動のひとつひとつが自分とそっくりで、飲みに行ったりすると「似てますよね」と言われるのが嫌で建築家でなくプログラマーをドラマの主役にして欲しかったなと思いながら自分の分身のような桑野さんを反面教師にもうちょっと自分を変えようとしていったんですよね。

それがあるとき、友達との会話で「桑野さんがあのまま建築家として出世したらどんな未来像になるだろうね、見てみたいね」と話したことがテレビドラマ「まだ結婚できない男」として放送されて、それはもう実像のない別世界だなと思って楽しく芝居として楽しめたわけです。

安藤忠雄さんをひと目見ると、それらの記憶がするすると引き出されて「ああ、建築家の巨匠と言うと安藤忠雄この人あり」だなと。桑野さんは安藤忠雄にまで出世できるのかな、どうかなぁ、と寝不足からため息の出る一週間のスタートなのであります。

布袋寅泰という虚像がガラガラと崩れ去った後に残るものは

フォークソングのブームの次に来たのはグループサウンズである。

今では「バンド」と言うが、要するに多人数での演奏になる。

もちろん、主役は歌手であり、器楽はその引き立て役である。

世の中にはひねくれ者がいるもので、歌手は誰でも取り替えが効いて「伴奏をしている人が真の実力車である」みたいな陰口の叩き方をしたものを真に受けてしまったのだ。

俺が好きなTMネットワーク宇都宮隆が主役で伴奏は小室哲哉で踊りが木根尚登だ。俺はもちろんキャッツアイやシティハンターのレオタードの漫画絵が好きなエロガキだったのだが、そこで聴いたTMネットワークという名前を子供ながらに覚えた。そして自分が良いなと思う普通のバラードの作曲者の名義が木根尚登であった。だから俺は木根尚登のファンになった。もちろん、宇都宮隆の大ファンであることは当たり前過ぎて自分では意識しなくなった。

しかし、学校で木根尚登のファンであると言うと笑われた。TMネットワークの実力者と言うと小室哲哉であろうとしたり顔で語るものがいた。ちょっと負けた気分だった。

それから、俺はそんなに多くはない小遣いで、何かカッコつけたつもりでみんなの買わない古かったりマイナだったりするCDをポンと買ってしまう。全国的には中流家庭に位置する我が家だが、市町村が貧しいので比較すると町で浮いた金持ちのボンである。何を欲しがるのかと思ったら変なレコードを集めるものだなとまたバカにされた。

テレビのベストテンなどはテレビで一度聴いたのだから、聴いたこと無いのを聴いてみたいというのがいちばんの動機だったようにも思う。ベストテンにテレビ出演しない氷室京介の所属していたBOOWYというバンドのCDも買った。

その頃から、俺は音楽的に地域のトレンドリーダーであった。音楽雑誌を読み、テレビでまだやっていないけど次に来るだろうと書かれているバンドのCDを買うと、本当に次に来てテレビで流行る。カレンダーを1枚余分にめくると次の月になってから日付が合うくらい当たり前のことに思えた。しかし、俺はトレンドに乗ることはなく、余分にめくって次の月が来ると、またもう1枚めくったのである。

その過程を踏んで、俺が裏方として才能があると公言するミュージシャンも木根尚登のファンであった頃の素直な部分と、雑誌で読んだものの受け売りが完全に交錯していた。既に歌手は無視されている。俺が良いと思うものは本当に次に来て、俺は預言者なりトレンドメーカー足りうるのか、いつも何かが不安だった。

そんな俺は25歳くらいで齋藤学の「座右のゲーテ」の一説に「他と比べずに自分の好きなミュージシャンを語るのは独善である。まず世に認められている最高のものを知り、それとの距離で良し悪しをはかるべきだ。音楽ならばモーツァルトである」とあるのを真に受けて、地下鉄で本を読んで降りた駅のクリスタ長堀レコード店モーツァルトの「アイネクライネナハトムジーク」を買ってクラシックにハマる。自信がついた。

それから、俺の好きな音楽は先取りではなく時代の流行と完全に一致するようになった。どっちがどうかと言うと、普通の感性をしていたらテレビや有線で流れているわざわざ買わなくても聴ける音楽のCDを発売日に買うのであるからミーハーになっただけとも言えるのだが、世の中そう単純に売れているモノを直球で全部好きになるというのは気恥ずかしいと思う人もいるものだ。

それを率先して買うことで「あっ!ボクも私も欲しかった!」という感じで俺は行列の先頭となった。周囲からはあんなどんくさかった古いものや変なものが好きな子がどうして行列のいちばんに立てるようになったのかと不思議がられた。

 

それも、遠い過去の話。つい昨日くらいから、レコードを作るとはどういうことか、アーティストとは何か、歌手と裏方はどっちが偉いのか、そういうものを評価しているのはどこの誰なのか、というと俺が流行った頃は活字メディアの支配力影響力は案外根深く、月並みな意見だけどスマホで音楽を聴く時代になって流行の出来上がり方が変わったんだろうなとは思う。

 

元AKBの山本彩ちゃんが亀田誠治のプロデュースでYouTubeとCD同時発表とかやっても、再生数は現在6万回くらい。売れないバンドの初動より売れていない。

実は雑誌のアーティスト写真を撮る前に大阪の吉本の2階の回転寿司店で「福山雅治とかB'zの松本さんとかが持ってるレスポールというギターがあって、けいおんのマンガのキャラの平沢唯も持っているから、アレで行ったら良いのでは」という話をして、出来上がった雑誌を立ち読みするとかなり自己満足したのだけど、売れているものを買う人の行列の先頭になるのと、これから出るものを売れるものにするというのは全然別の話。俺はアイドルでもなければプロデューサーでもなくただひとつの意見を上げただけで責任も取らなくて良いわけだが、この後味の悪さは責任をどこかで感じているからだろう。

 

売れるアーティストというのは、絶対的尺度での「良さ」で決まるのでなく「人気」というもっと民主社会的なムーヴメントで来るものだと近頃では思うんだ。