今日のカプエス2(凡戦の中に)

仮面ライダーセイバーを観るところから始まる日曜日の朝。

主人公のトーマは小説家で、これはブロガーをしていると感情移入しやすい。

俺は統合失調症を患っているが、病人の中には「テレビに自分が出ている」とか「自分のやっていることが取られた」などと狂言めいた症状があると言われるが、俺も自分のゲームプレイの試合の成り行きが全国大会の決勝映像ととても似ていて「取られた」みたいな被害妄想に陥ったことがあった。自分が編み出した技なのに、知らないゲーマーに取られ、それが全国的に有名になることで今までどおり遊んでいると、大会映像を見て真似ているものまね芸人のような存在に貶められた、という筋でものを考えてしまった。

だが、そこまでの物語性を持った罠に俺をはめるためだけの計画的な犯行というわけでなく、俺が視聴者の枠に収まってくれるように、主役が同じ動きをすればいつまでも時代遅れのゲームに固執すること無く満足して辞めるだろうと思われていたかも知れない。

まあ、真相はハッキリ言って分からない。自分の及び知ることのない世界の中で、何かの悪意によって偶然的に自分が罵詈雑言を浴びせられた時にそれが世界中に悪の組織がはびこって狙われてそう仕向けられたというような世界観をひとりで作ってしまうのが被害妄想だ。

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冷静になってみると、俺の試合は可もなく不可もない凡戦でショーアップされる要素はない。安定的に9回3失点くらいで投げている2軍のピッチャーのようなガイルなのだ。

そしてそのフォームを1軍選手が真似ていたとしたら、それは盗まれたと言うよりも稽古事で上手が下手に手本を見せても真似できない時に下手の真似をして見せ得る鏡になることで成長を促すという所作なのかもしれない。

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カプエス2には高得点やカウンターでの超必殺技あKOを決めると裏ボスが出てめちゃ無茶強く、それを倒すとエンディングに後日談のような文章が出るという裏技があるのだが、これが発売当初から既にストII系ばかり好むいわゆる格闘ゲーマーがすると、表エンディングよりも誰しもが自然に裏ボスになって、ボスが強すぎてつまらないという意見が多かった。

それが時間の流れで技がなまり下手になってみると、ちょうどボスも何も出ないでトーナメント優勝で快くゲームを終えることが出来た。

 

「魔法なんてあるわけがない」と思われているのが丁度よい

俺は魔法を求めて勉強をした。

俺が育ったのは20世紀昭和後期でいわゆる科学の時代。

陳腐な手品は種を明かされ科学の光で人類は真理を得ると多くの人が考えた。 

 

だが、科学はミクロになるほどその分解能で考えられる世界は狭くなり、マクロになるほど政治や経済のように広範な世界を見ているようで細部には行き渡らない。

レオナルド・ヴィンチの時代には一部の人間が広範な学問知識を専有して、衆愚は識字すらままならないという状態があったが、西洋の義務教育が日本にも持ち込まれて日本古来の伝統が科学のミクロやマクロで解剖されるより早く、科学のもたらす力の衝撃によって説明のつかないことが説明がつかないと言うだけで非科学的だと排斥されてしまった。

 

それはさておき、そういう俺はゲーム理論ではストリートファイターIIに必勝法が見つからないという持論を掲げる立場取っている。ジャンケンに必勝法が無いのと同じ理屈であるが、実は人間を深掘りすると人間も何らかのロジックを用いて行動を決定しているので、そのロジックを理解して逆読みすれば手球に取れる時はあると感じたことがある。

だが、ゲームは両者が100円払うものなので店の回し者が店の100円で手玉に取られるようにわざと負けることで勝者に万能感のようなものを抱かせて、実はまわりくどく100円を取っていると考えるようにもなった。この疑念自体もジャンケンのように本当に勝っているのか手玉に取られているのか論理で持って読み解くことは困難だ。

格闘ゲームのコミュニティの中には株主は滅多に居ないがゲーム会社の従業員やゲームセンターの店員もいる。ギルドの表向きの目的はゲームで競い合い攻略法を見つけることだが、利害で考えると従業員や店員はゲームに夢中になってもらうことで現金を得ているので、答えの出ない堂々巡りの枠組みの中で延々と考え試しお金を使ってもらえる状態は好ましく、それを悟られるとコミュニティからそれとなく距離を置かれることとなる。

 

ところで、密教には灌頂(かんじょう)という儀式がある。表向きはカルトのような何らかの信仰を保っているようでいて、条件は未知であるが教徒の中か外からかも分からないが、資格や資質を持っていると教祖から認められたものが秘儀を授かるという仕組みなのだ。

あるのか無いのかも分からない秘儀ではあるが、近頃俺は格闘ゲーマーの中には何らかの俺の及び知るところではない秘儀を持っていると見做している人間がいる。ジャンケンは三つ巴で堂々巡りではあるが、俺も参加するとなると何らかのロジックによって意思を決定するので、無理数のようにイタチごっこで体力を奪い合い、全くの完敗ではないが体力残り首の皮一枚で読み負け、ゲーム中の体力の得失点差で行くと僅差だが、勝ち星の差で大差を付けられることがある。

サイコロでも奇遇に高い出目や低い出目が続くことがあるように、それらは運の差であると説明する手が無いわけではないが、意思決定に関するロジックについて未知の何かがあると捉え、それを究明したいという欲求があるのは隠しきれないところである。

 

論理とは他者に物事を間違いなく説明するための道具であるが、間違いなく伝えられることというのは人間の個体差を超えて共有できる人間の一部分でしか無い。そうなると、非論理は他人には理解不能であるので非論理的な秘儀というものが存在しても論理的に他者に伝わることはない。ではどうすればそれが授かれるか。自分で編み出すか、あるいは言語外の伝達手段で持って観たり聴いたりしてそれを悟るということもあるだろう。

 

願わくば負け惜しみ的に負けの理由を説明する論理ではなく、勝ちを誇る論理を唱えたい。しかしそれらは明かしてしまうと他者に伝わり体得した者同士では再び勝敗を五分五分あるいは運否天賦に近づける性質を持っているだろうから、勝っている以上は運が良かったとか魔法のようなものであるとすることにも一定の論理性はある。そんなものは無いと思われたほうがある意味で好都合な知恵というのが存在するのだ。

 

出来ることなら、ゲーセンで100円玉を払うこと無くその魔術を暴いて体得した後に隠したい。

今日のペルソナ3(5月8日期限に間に合ったようだ)

学力「できなくはない」はまあ、自己評価とキャラ評価が近くて感情移入度高めだが。

写真以下は序盤シナリオのネタバレとなるので読みたくない人はスクロールしない。

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ベルベットルームで「タルタロス最上階から人工島計画書を取ってくる」という無茶振りな依頼を受けるのだが。てか、タルタロス攻略するのがゲームの目的じゃないの?最上階っていきなりクリア見えているんじゃないの?と思ったが。

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まあ、エリアが分かれているということで第1エリアの最上階15階にて無事入手。5階ごとにあるのかと思われたテレポーターは5階、10階、14階ボス前という親切設計。

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ベルベットルームの音楽はどちらかと言と日中より深夜に聴きたい安眠音楽だ。だからペルソナ3の進行は夜メインだったが、まあ学校フェイズもあるし昼間で暇な時にも遊べるようになった。

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まあ、あんまりネタバレに満ちているのも良くないので現状をタロットで示すとこんな感じ。

俺は小学校の時にファミコン女神転生を喜んで遊んでいたのだが、ロキを倒したところで従兄弟の河内圭太郎がパスワードをよこせと言ってパソコン通信で自慢したり、カセットそのものを「おっちゃんコレ欲しいねん」と言って俺が遊んでいるのに伯父さんからもらったお小遣いを親父に渡して買って持っていってしまうなどの事件があった。

この時の記憶はトラウマとなり普段は覚えていないで「女神転生はつまらない」と念じて我慢していたので、中学に進んでから女神転生IIや真・女神転生の話題があると「メガテンってつまらんやろ?」と話してやり過ごしていたので、それを理由に何度も仲間はずれを食らった。

結局パソコン通信からインターネットと呼ばれる時代になって、ヤフオク女神転生のカセットは980円でもう一度買って、エミュでパスワード改造をしてロキの後のエンディングまでを駆け足で追った。俺は親が商売をしているせいで、箱詰めになった無数のファミコンカセットを幼少期に見ており、全て欲しかったので、19歳で日本橋のゲーセンでバイトして給料の使いみちはほとんどその近所のジャンク屋で売られている安売りのファミコンカセットだった。

他には親父に売れるゲームとか面白いゲームを聞かれ、親父が問屋に注文を出すとそのカセットを10本頼んだはずが目当てのもの1本にクソゲー9本抱き合わせたダンボールが送られてきて、今なら商法とかで起訴してやりたいと思うのだが、その頃は町のものは皆情報弱者だったので悔し泣き状態だった。目当ての1本もまずは予約のお客さんに回して、発売日から先に買った子がいるのに次の入荷まで待たされるということも結構あった。しかし周囲からの目はお金持ちのボンボンで親に何でも買ってもらえるで、それも決して誤解ではないが、俺の満足度はそこまで高くなかった。

欲しいおもちゃが手に入らないのは十字路の交差した側にあるおもちゃ屋のキューピー道に行っても同じで、ガンダムが欲しくてもザクやジムしか売っていない、龍神丸が欲しいのに幻神丸しか手に入らないで店のおばちゃんに頼むとこれも問屋さんが抱き合わせでしか売ってくれず、先に買いに来た人に1本渡したら残りの子には我慢してもらうしか無い。と言った。

結局40歳を過ぎてからガンダム40周年で30周年の時のガンプラを4200円でネットで買ったのがようやくという感じで、心がだいぶ落ち着いた。龍神丸も2680円くらい出して買った。

思い返せば専門学校時代にゲーセンで知り合った悪友にバイトという名目で日本橋ガンダムショップで発売日のガンダムの行列に並んでもらったお金でガンダムを買って黒服のお兄さんに渡すと1000円返ってくるみたいなことに付き合ったこともある。そしてその列に並んでお兄さんにガンダムを渡すと「えっ?自分で欲しいんじゃないの?」首を横に振ると「変わった子だね、はい1000円」とあの時のガンダムは新型で俺の欲しいのではなかったが。

自己矛盾のようなところもあるが、総合すると問屋というのもメーカーと小売店の流通をスムーズにする緩衝材とか潤滑油のようなものが普通だが、日本橋の玩具問屋というのはヤフオク転売ヤーみたいな悪徳業者と同じ商売をしているのだよな。誰もがひとりで何度も使う日用品のようなものの問屋はある種まっとうな商売だが、お金持ちの子供を狙ったおもちゃを取り扱う業者はどこか金持ちの子を仇に捉えるような政治的な思想を持った確信犯であるのかもだ。