リアルバウト餓狼伝説は今見ると案外良いルール

ストリートファイターII餓狼伝説スペシャルをおなかいっぱい遊ぶと新しいゲームがやりたくなってくる。そういう時に1995年発売のリアルバウト餓狼伝説は案外いいゲームだったんじゃないかと振り返る。

ストリートファイターIIの良いところはとりあえずレバーを左下に入れておけば大体の攻撃は安心できるところで、それを崩したバーチャファイターは中下段の二択とリングアウトで「じっくり待つ」ストIIの面白みを崩して緊張感のあるゲーム性を追求した。

リアルバウト餓狼伝説ストII系の餓狼伝説スペシャルバーチャファイター2のいいとこ取りで、ちょうどカプコンのヴァンパイアシリーズが格闘ゲームマニア御用達のスピーディーな「オタな方が勝つ」ルールであったように、固いガードでマンネリ化した対戦シーンにリングアウトと中段で緊張感を取り戻そうとした実験作。

あんま流行らなかった印象だけど、それはネオジオ全盛期を過ぎプレステとサターンで安価にソフトが買えたおかげで家でやりこんだ人が多く、20年以上経ってみてからゲーセンミカドで大会をするとやたらレベルが高かったという。

YouTubeで大会動画を見て家で1人用。テリー同キャラスタートから4面のマリーを攻略して6面の双角まで進めるようになりました。それで、ゲームオーバーの時にビギナーファイターってランキングされるから、格闘ゲームはだいぶ色々とやりこんだつもりだけどリアルバウト餓狼伝説は厳しいよなと悔しがっています。

ヴァンパイアが中下段の揺さぶりからチェーンコンボで大ダメージなのに対してリアルバウトのリングアウトは固くガードしても壁が破れて結果当たったら即死になる、このへんギルティギアまで行くとテンションバランスの変化で攻めたほうが有利になってコンボ威力が上がるんだけど、それって結局コンボが出来ないと勝てないので、コンボがそこまで難しくなく(といってもストII無印よりだいぶ複雑だけど)リングアウトで決着できるリアルバウトのシステムはコンボより攻防のバランスにゲームの焦点があって案外ええのかなと。

 

・・・8面のボブまで進めるように。ワンコインクリアまでの道のりはもう少しか。

なんかね、カプコンのゲームのほうが対戦が流行っていたように思うけど、SNKゲームのコンピュータ戦からCAPCOM VS SNK2に入ってきたSNK勢は強く、ストIII3rdとかも元SNK勢で強い人結構いたと思う。

なんつうか、SNKのゲームって攻めゲーのようでコンピュータが攻め手を超反応無敵技で返してきて、待って相手から動かして返し技でダウンを取って起き上がりを攻めるという格闘ゲームのターンの感覚をコンピュータ戦ですごく学べる気がする。

対してカプコン系で対戦ばっかりしていた人は人読み能力が高いわけで、それがガチなら腕上がるかもだけど、馴れ合いとかハウスルール縛りで、実は時間が経っても代わり映えのない世界だったのかもしれない。

もっと強くなりたいと思うし、そのためには対戦とかトレモだけでなく仮想の対戦相手が乗り越えたであろうSNKの過去作のコンピュータ戦を体験すれば、SNK育ちがどういう対戦観を持っているのか見えてくるような気がしてる。

今日はリアルバウト餓狼伝説の7面のアンディが飛翔拳と昇龍弾で波動昇竜してきて、待っていると激・飛翔拳で壁を割ってから小ジャンプ昇り小キックで中段リングアウトで殺してきて「もんげー」ってなった。SNKのコンピュータ戦はシビアだ。

他人の評価と自己評価

カプエス2をゲーセンで夢中で遊んでいた頃の俺はおだてられて木に登った豚であり、同時にナルシシズムによる自己評価も高い人でした。

そして対戦でおだてられるのは結局こちらがカネを払っているからで、勝つようになったほうがお金を払わないので、おだてていた人が「ケッ!つまらんやんけ!」と言って離れていきました。この時もナルシシズムで自己評価は高く、カプエス2をオモシロイと思ってもらうために自分が何とかせねばという意識もありました。

田舎に帰ってからは都会で身につけたやる気勢の感覚と地方の温度差の違いに悩みました。おだてたりけなしたりでコントロールしようとする人と違って、田舎の連れはもっとストレートに勝ちすぎてんだから負けてよとか、対戦で自分がカネを払わないといけないならやらない、と文句を言ってきます。自己評価が高いのでもちろん、田舎の仲間を低く見ていました。

その中で田舎だとみんな家があるので家庭用で遊べるじゃんとなって、ゲーセン中心の生活から家で遊んで友達を呼んだりよそに遊びに行ったりしているうちに、昔からそんなに強くないと思っていた人でも、お金の取り合いがあるから遠慮があっただけで結構強い人がいることに気づきました。動画も撮りました。腕は落ちました。

そうして、最近ブログの過去ログを見た人から「対戦したい」ではなく「動画で見たい」と言われました。数は少ないってかひとりですが、無言の読者と違って意見をくれる人がいると、みんな聞いています。

ここで、動画を見たいと言った人から、コメントでおだててもらいました。何となく不安になったのです。いくらおだてられても動画の再生回数はその人1回です。つまり世界から見て、俺はひとりの人から上手いとおだてられながら、他の誰にも見られていないのです。他者評価とはそういうものです。

その中で、自分の中に「かっこいい動画」の基準があることに気づきます。昔はそれを撮るためには対戦で両者が上手くならないといけないという考えがありました。いつも例えるのですが暴れん坊将軍の殺陣のようなものかもしれません。

対戦では決まらないと思われるような技でも、どうやって決めてやろうかと相手にそう動いてもらうためにはその裏となる手を見せて嫌がって逃げる手に出たところを狩るんだと思っていました。例えば、昇竜拳を決めるためには波動拳を打ち、何度か波動拳を打ってやめれば波動拳を出していないで待っている所に狙い通りに相手が飛び込んでくる、というような説得力です。いろんな技を考えて俺は夢中で語っていました。

今にして思うと、いつも夢中で語っていたので、誰かが気を利かせてそういう風に動いてくれていたおかげで上手く見えていたのかもしれないなと思います。そういうサービスは全てゲーセンのお客さんだから、だったような気がして、ゲーセンに行かない、新しいゲームもそこまでポコポコ買わない、ご飯とかもおごらないってか田舎なのでみんな家のご飯がある。

こうなると、付き合ってくれる人ももうほとんどありません。だから自分で動画を撮り始めています。対戦に夢中の頃はゲームセンターや大会でチャンスが有れば決めてやろうとコンボをいつでも出来るように仕上げていました。それが、動画職人になるなら、試合の組み立てのほうが大切で、コンボをミスっても取り直せば良いだけです。

そういう甘えから、またコンボの練習をサボり、動画の大事な場面でコンボを失敗して撮り直し、どんどんと時間を消費してなかなか良い動画が撮れません。

今の自己評価はとても低いです。根拠のない自信でもおだてられてその気になったせいでやり込むループが出来ていた分だけ、下手は下手なりに努力で裏打ちされていたものが、本当にただの下手になってしまったなと思います。

そこを下手におだてられたせいで、トリックの全てに気づき、ああ。昔っから下手でおだてられていただけだったんだなと過去評価まで低くなってきました。

おだてるということは「乗せれば動く相手だ」と低く見られているような気もします。そうなると反対に「ケッ!」と怒られたのは本当にムカつくくらいこっちが勝っていたのかもしれません。だけど、それはもう過去の一瞬のこと。それでは気分も悪いです。

スポーツマンシップは礼儀も含まれますが、テレビでスポーツを見ていると礼儀のなっているところだけが映像として使われていますが、俺はよくゲームが終わった後にカメラにちょっとだけ映る負けた人の表情とかを観察しています。

子供の頃はテレビで勝った人のガッツポーズを見て、いつか自分もそうなりたいと真似てみたりしたものでした。

だけど今は、負けた人がどんな表情になるか、汲み取ることは出来ないかもだけど、どんな気持ちか。

世の中の99%の人は負けていて、気持ちの悪い性根を持っているんじゃないかと思うんですよね。子供の頃に風邪を引いて病院に行くと待合室でおばちゃんがみんなゴシップ雑誌を読んでいる。信じられない光景でした。なんで輝かしい芸能人のステージを見るのではなく私生活の醜聞を求めるのだろうと。

そういう俺もたった2分から3分の瞬間にネットのイイネを集めるためにこれから毎日面白いテレビドラマを見るのをやめてつまらないゲームのコンボの練習に時間を割くのかと思うと、ちょっと天秤に掛けているものがどこかおかしい気がします。

1人からメールをもらって、再生回数1回。この勘定は間違いなく合っています。

だからブログのアクセスって舞台役者のような人気者でなく醜聞雑誌のような売上に思えてきたんですよね。気持ち悪くなってきたよ。