ファイナルファンタジーVII日記は不評のようで

何かネタを仕入れなくてはな。

たまにRPGやりたくなる。ガッツリやりたいわけでなく、ブログを続けて読んでくれている方ならお察しだろう。3時間くらい遊びたい。そもそもファミコンのFFは10時間でクリアできるので子供時代には丸1日とか、長くても3日あればクリアできた。新作が出ると同級生とクリアの速さを競って、それからレベル99にして暇な時にはもっと強くならないかとアイテム集めとかしていたな。スーファミドラクエIIIでは「ちいさなメダル」を110枚だったっけかな、全部集めた。

いつからか、ジャンル的にRPGは遊ばなくなった。ストーリーに夢中になりたけりゃ小説を読むし、音楽好きならレコード聴くし、絵が好きなら画集や写真集をパラパラ眺めたりするようになった。ゲームは漫然とした時間の使い方で、スライムでもゴブリンでも、勇者が弱い時には先ず弱い相手が派遣されてきて順番にやっつけていくと強くなる。それらはレベル1でHPが30ならHP10の敵をレベル30でHPが300ならHP100の敵を倒しているだけで、ボスはHP1000あるとしても主人公が攻撃を3発耐えるなら、2回攻撃して2発喰らってベホイミ、ケアルガという風に小学生でも出来る計算の積み重ねで勝てると考えるようになってしまった。趣味を背伸びして大人になろうとしたゆえにゲームは子供じみていると決めてかかっていた。

自分がそうなる間に社会の他の人も年齢が上がって、価値観それ自体を作り出す出版社や放送局にゲームが好きな人がいるのかスポンサーがゲーム会社になったからなのか、ゲームに対して肯定的な意見やゲーム関連のニュースが既存メディアでも報道されると、ゲームに対して自己肯定的な人が増えて、背伸びした大人びた趣味は古い趣味として駆逐されてゆく。ゲームが好きでも良いじゃないかと。

そうなってから3DSでモンハンをやって年下の世代と一緒に遊んだり、楽しかったこともあるけど、小さい時に夢中で遊んだときと大人になってからあらためて遊んだ時の間の背伸びしてゲーム離れしてた時のゲームを補完したい。べつだん無理して新しいゲームをしたいわけでもない、懐かしんでるわけでもない、ただ、好きなのに背伸びしてるせいで出来なかったゲームを「ああ、こういうものなんだな」と思ってやっている。

そして「RPGが単純」で「対戦型は相手が人間だから複雑」とは考えずに、例えば今やっているFFVIIにしてもエンカウントでレベル上げする時に敵を早く倒して経験値とギルをたくさん貯めるという考え方は基本だけど、例えば強い敵と1回戦うと回復が必要で回復にMPを使うとテントかエーテルか宿屋が必要で、それよか少し弱い敵を倒して街までの往復の時間を戦闘に当てるほうが時給が高いとか、ポーションを落とす敵と戦うと回復ポイントがなくても粘れるとか、敵を一撃で倒せないキャラに「ぬすむ」コマンドを付けてアイテムを稼いでおくとギル換算で進むのが早くなるとか、いくつかある数量を最終的に時間に換算して早く解くことで頭を使うこともある。

子供の頃は時間が無限にある感覚で最終的にいちばん強くなるようにしたいから、成長段階で戦略が苦しくても頑張るという遊び方だったけど、年食うと「サッサと進めたい」という貧乏暇なしな考え方で「ゆっくり楽しむ」って感覚が欠落することもある。

RPGで何度も同じ敵と戦って音楽も覚えるくらいやると飽きるというなら、絵画だって部屋に1枚飾ったらやがて見飽きるし、レコードだって1枚だけなら聞き飽きる。ひとつのゲームを何度もやったり、同じようなことを繰り返すことも決して悪いことではないはずなんだよな。

じゃあなぜRPGを途中で投げるかというと、もっと刺激の強くて中毒性の高いゲームもあって、それと比べてRPGが緩慢に感じるからなんだろう。それに疲れたら休むも良し、休むがごとく緩慢なRPGで遊ぶも良しだ。

それがテレビ見たりパソコンいじったりと他にやりたいことが増えたので、優先順位を付けていくと従来式のRPGが削られていって現在に至ったわけだ。子供の頃よりは色々なことを考えながら遊んでいるとは思うが、ヘボいドット絵に夢幻の想像を膨らませて遊んでいたはずなので、あるものしか見えていない今のほうが貧しいのかもだが。

FFVIIまでのFFが好きでFFVIIIから受け付けないという人は解像度が上がって思っていたのと違った人なんだろうな。漫画がアニメになると思っていた色と違う、声が違うという話は昔によく聞かれた。それが最近じゃ仕掛け人が上手くて映画化されても漫画からのファンが付いたりするくらいだから映画でもゲームでも相当に上手く作ってあると思う。

それで、なんだっけ。自分でだだっと書いた文章をもう一度読み返すと、やっぱFFVIIは遊べるけど話が長すぎるかな。本を読む友人に京極夏彦を読んだかと尋ねると「短くまとめるってのも才能だと思うけどな」とディスっていた。京極夏彦の本は分厚くてまどろっこしくて長い。今日の俺、そういう感じかもな。「姑獲鳥の夏」は面白いと思ったが「魍魎の匣」は序盤で投げた。でもまだ部屋には置いてある。そんなところ。

自分の消化できる量とそのゲームを楽しむのにどれくらい時間が必要かってのを天秤にかけて、買い過ぎにならないように遊ぶ。最近のゲームは長いからな。スーファミくらいだと日本橋のジャンク屋でワゴンの中古ソフト3本1500円で買ってきたりしても1日で全部遊べたけど、PS2でそれやると持って帰って余裕で詰む。しかもそのうちの1本がディスガイアだった日には。まったくやれやれだぜ。

まあでもアレね、FFVIIブログが不評でもブログのアクセスの数字を上げるよりクラウドのレベルが上がるほうが面白いって考え方でもそんなには困らない。自分の好きなことをしよう。

今日のFFVIIとか言ってる場合じゃなくて

朝から壊れた冷蔵庫を新しいのに入れ替えるのに久しぶりの力仕事。マクドで昼食を取ってから家族でイオンモールに行くらしいのでお留守番。家で色々とやってから夕方に電話がかかってくるまでFF7でもしようとプレステ起動。ウォールマーケットから地下水道まで進んでスクショ取るのにケータイ出したら充電後に電源切れたままだった。起動すると着信多数。慌てて親父に電話すると家族みんなで王将で夕食してて「何度も電話したのにかからんかった」「ごめん電源切れてた」「じゃあみんな食べ終わってからお持ち帰りの天津チャーハンと餃子でいいな」←イマココ

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これが家族での夕食と引き換えに撮影した魂のスクリーンショットだ!とか言って寂しいぜ。お留守番ってやつはよ。しかし買い物に付き合ったらそれはそれで1日仕事になるので、まあ家でプレステ出来るってのは他の家族が雑事を片付けてくれるからなんだよな。感謝感謝。

しかしウォールマーケットのイベントはネタバレこそしないで伏せておくものの、そこまでグイグイ引き込まれたのが嘘みたいな「おつかいRPG」要素でちょっと冷める。ネタ的にも好き嫌いありそうなネタなんだが。

そして相変わらず暗いマップで迷う。まあ実際、何でも目に見えるとおりに行くのではなく暗がりで手探りで出口を探すというのはそんなもんだとは思うが、視認性の悪さで迷わせてエンカウントで時間が過ぎていくとちょっとイライラする。最近のゲームには無い要素だよな。プレステの盛り上がっていた頃はファミコンスーファミに匹敵するほどソフトの種類があったので面白味が分かりにくいが深みのあるいわゆる「味のあるクソゲー」が存在した。まあ、PSPもそんな感じらしいが。DSはそうではなくて佳作揃いで任天堂クオリティーであるゆえに駄作にしかない良さが失われていた感じがするんよな。分かりにくいのはNGというか。似たり寄ったり感。

ファイナルファンタジーVIIってどんな話なの?

素朴に聞いた人にゲームを言葉で語るにはそれなりに言葉や物事と、相手が何を知っているか何を知らないか分からないといけない。

FF7は近未来SF調で企業国家「神羅」が機械化した世界と、その機械の下敷きになったスラムに分断された世界の中、スラムから成り上がってひとたび神羅のソルジャーになったものの、幼馴染の住むスラムの反抗組織アバランチに肩入れする「クラウド」が主人公の物語。クラウドは傭兵として法外な報酬をアバランチのリーダーに求めるが、実力は見込まれていて、神羅のエネルギー源である魔晄炉を破壊する作戦に加わる。

これで物語の冒頭は大丈夫だろうか。

FF6は剣と魔法のファンタジーだったFF1からFF5と違って蒸気機関のような機械文明と、その世界の住人にとっては不可解な魔法。魔法の力を蒸気機関で実現するために魔力の源である幻獣を捕えて機械で研究する組織から逃げ出した少女ティナをトレジャーハンターのロックが救うところから物語は始まる。

FF6FF7のふたつの物語の独特の世界観からすると最近のFFはな。魔法に対しても機械に対しても既に当たり前にあるものとして扱われている感じだから、物足りなく感じる人がいるのも分かるというもの。


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