今日のエースコンバット6(どうにか2面をクリア)

チュートリアルを飛ばして1面をクリアしていたので、朝からチュートリアルをちゃんと受けてヨーと急旋回と水平姿勢を覚えた。そして武器や離着陸に無線など、このへん覚えないでとりあえず1面を始めることが出来る所が俺は好きだ。チュートリアルで詰まったりしたら苦行だからな。しかしまあ、よくこれらの操作も覚えずに生きて帰ってきたもんだと。(5回くらい死んだけど)

そして休憩をはさみながら2面に挑戦して、テレビなども合間に見ていたけど気付いたら午後5時過ぎ。これはやり応えのあるゲームやで。

3面の司令を見ると「ああ、PS2エースコンバットでもこういう作戦に参加したことあるかもナー」と思い出した。なにせ10年以上前だ。しかも部屋を片付ける時に中古に売ってしまったものだから、近頃になってもう一度遊びたいと思ったが売ったものを高く買い直すのも抵抗があって。だからいっそ6。

正直XBOX無印からXBOX360に買い替えた時は無駄な買い物をしたという気持ちがあったのだけど、エースコンバット6で買ってよかったと心から思った。それまでは「ちょっと画面が綺麗になったくらいのことじゃねーの」思っていたが、空の見通しは解像度が上がれば露骨にあからさまに見通しが良くなるので、これは値打ちあるしPS4もそれはそれで値打ちがあるんだろうと思うようになった。

3DS買った時もDSとPSPの後だったので最初は周りの買い替えに合わせて無駄だなー思ってたけど、いつの間にか慣れてからDSには戻れなくなっていたんだよな。古い話をほじくり返すと俺がPS2買って「面白えー!」言ってると、そん時の周りのやつは「プレステで充分やで」言ってたな。これは俺の感覚の違いというよりかは付き合う仲間のゲームへのがっつき加減の温度差と、あと持ってる小遣いの差だろう。

鉄道模型という趣味はゲージのアルファベットがひとつ違うだけで全く別の趣味と言っていいとかものの本で読んだことあるけど、ゲームもゲーム機の世代がひとつ違うだけで別の趣味だわな。PS4でもアケアカで遊んでたらそれはネオジオみたいな趣味で。

こうしてブログは習慣として付けてるけど、エースコンバット6は趣味として合う人が見つからなくてもひとりで充分満足して完結しているし、ナムコがこのゲームを作ってくれたこととか航空自衛隊も協力してることで、何となくだけど社会参加している気分になれるからそれでいいや。

エースコンバット6はじめました

XBOX360エースコンバット6をはじめました。

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このシリーズPS2エースコンバットゼロしかやったことなくて「なんか単調だナー」と思っていた。それもそのはず、飛行機で空を飛ぶゲームなのに、ミッションを進めてレーダーなどの計器類の言いなりになって敵機を視界におさめてロックオンミサイルを撃つということだけを繰り返しているといつの間にかクリアしていて、シナリオムービーを見ながら空をクルクル回っていただけで、振り返ってみると映像的な記憶がほとんど無いんだ。

これはつまりフォルツァでサーキットの風景やクルマを見ずにコースガイドだけを見てプレイするとか、わかりにくい例えだけどカルドセプトでカードの絵や説明を読まないでオートブック編集からアドバイスカーソルの言いなりで全面クリアしたとか、多分俺のエースコンバット体験はそのレベル。

ただクリアを目指すのでなく、空のグランツーリスモとして飛行機を楽しむものじゃないのかなって思い直してXBOX360エースコンバット6をポチクリした。

そして届いてから2時間くらいずっとフライトしてどうにか1面をクリア。

そりゃそうだよな、ゲームとしては素人でもエースパイロットになった感覚だけ得られれば面白いのかも知れんけど、フライトシミュレータとしてはエースコンバットをクリアしたやつが飛行機に乗ってやっぱ操縦出来ませんでしたってなるよりも、現実に近い難しさを乗り越えた先に見えてくるもののほうが得難い体験だよな。

30分の戦闘で敵機を全て撃墜するってミッションなんだけど、時間切れを3回経験した。飛行機の操縦も難しいけど、PS2よりミサイルの追尾性能が下がって、ロックオンしていても角度が付いていると当たらない。ちゃんと敵の背後を取って浅い角度でロックオンしないと当たらない上に敵のAIが賢くてなかなか後ろを取らしてくれない。やっと敵をやっつけたと思ったらミサイルが弾切れになったところに敵の援軍が来て時間切れということも経験した。

しかも戦局はやたらと複雑だ。自分がエースでザコを蹴散らすって感じじゃなくて、味方も一緒に飛んでいて、敵味方を判別して自陣が攻撃目標にされている時に被害が大きくなる前に敵機を撃墜するというタイムリミットの説得力がちゃんとある。

まあ、実践と違うのは上手くなれば勝てるサイドに自分が必ず属しているということ。慣れれば特殊兵装の切り替えやレーダーの読み方などで、そこまで難しいわけでもない。しかし慣れる前は確実に面食らう。

休日に戦争参加体験がしたい、しかも楽勝より混戦が好みとか、もしかしてマゾいのかと自分で思ってしまうが、マゾい系のゲーマーにとっては楽しいゲームだ。

ロックオンミサイルでなく機銃で敵を落とした時の快感がたまらないんですよ。

時計のチクタクを聴きながらコーヒーを入れて羊羹を食う

昨日はフォルツァというレースゲームにハマって。

面白いんだけど、フラストレーション(鬱憤/ウップン)も溜まる。思うように行かないで、じゃあ上手く行ったら爽快なのかというとそうでもない。そうすると今日はゲーム何をしよっかなとなったときにフォルツァじゃ短い時間で満足できずに鬱憤を溜めて終わるかもだからギアーズオブウォーでマシンガンをぶっ放そうかと思ったけど。

なんか違う。

テレビを消して窓を少し開けて冷たい風が吹く部屋の中でホットコーヒーを淹れて小さな羊羹を食って「ほへーん」としていると、別に今日はゲームしなくて良いんじゃね?となった。

なんか以前は「何かしなくちゃ」といつも生き急いでいた。たとえゲームでも、しなくちゃと。そしてモノの考え方の根本にお金の問題が潜んでいた。ゲームをすることはお金にはならないと思うかもだけど、まず何でも良いからお金になる仕事をしてゲーセンで遊ぶか新しいゲームを買うかしなきゃって思ってた。ゲームが役立たないって思われるのが嫌で、お金が動いたら支出でも収入でも経済を動かしていることになるから社会に役立っているんだという考え方をして。でも、それはゲームを社会悪として排斥しようとする外圧からの自衛だったんだよな。その時はその時でその言い訳は必要だった。

いまはそれがない。

だから、遊ぶことは自由だけど、そうなって初めて無理に遊ぼうとしなくても良いんじゃねって思えるようになったんだ。せっかく買ったのに、みたいのも気にせずに。


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