今日のカプエス2(危なげなほうが上手く見えるってよ)

実はこのゲームの響をまだ上手く使えないので練習した。技の出し方すら怪しいので、他のキャラなら楽勝のコンピュータ戦でも負けそうになる。そのキワキワの勝負の様を見て、面白いとか上手いという人もいるだろうなと。

その昔に格闘ゲームが下火の頃に地元のゲーセンでコンピュータ戦を繰り返し、何とか立ち見の客を釣ろうとコンピュータをワンパターンにやっつけないで、色々の戦いをしているように見えるよう、コンピュータに敢えて技を出させて返して倒すということを延々とやっていたことを思い出した。

カプエス2のコンピュータは簡単に倒せる方法もあるが、ブロッキングだけは簡単になりすぎないように前ブロと下ブロで丁度二択になるように攻めてくる。良い例が山崎で、蛇使いから立ち強キックに来る時と、しゃがみ強キックに来る時があって、コンピュータだから待ってパターンで倒そうとすると、読み通り来て簡単にブロッキングできる時と、立ち強キックを読んで前に入れると丁度食らうタイミングでしゃがみ強キックに来るパターンを引いて、あっさり食らって危ない試合になることもある。

それとは反対にベガはダブルニープレスをパターン通りに出してきて取りやすい。

また、コンピュータとの相性だけでなく、キャラとグルーヴの組み合わせもキャラの長所が出るようにグルーヴを合わせていたので、そこを敢えて予想では相性の悪そうなキャラとグルーヴの組み合わせにすると、今まで見たことがないような展開になる。

そうやって遊ぶと新鮮なので、まだまだカプエス2は遊べるなと思ってやっている。

まあ、慣れないキャラで食らってしまうのと、出来るようになったキャラでわざと負けるのでは、まだまだ動きが違うわけで、そういう意味でも達人の域には遠い。

昔はゲーセンに入り浸りだったので、そんな男に自然に出来る女といえば夜の商売のことが多いので、彼女たちの「上手い」は常に台にどれくらいカネを入れているかと結びついていた。

だから、ゲーセンに行かなくなると当然誰からも上手いとは言われなくなるのが最初はもどかしくなり、ネットにハマって掲示板のきつい言葉のカキコミが全部自分宛に思えて辛かったこともある。

その時期にゲームなんて全然しない人と付き合うようになってから、そういう人の「上手い」はゲーセンだったら100円でどれだけ持つかであり、対戦して負けるよりも乱入相手を釣るよりも盤石のガイルでコンピュータ戦を全クリアするだけで充分「上手い」との評価を得た。

もちろん、そうするとお金を払わない客になるわけで、交換条件として繁華街での評判は「景気が悪い」になる。両者が納得する「上手い」はあるだろうかというのが最近の自分の考えるテーマだ。

取り敢えず、今日はブロッキングの響ガイル豪鬼と響ガイルロレントでクリアして、ガイルは何度も不評を得た経験から、響ロレント豪鬼でもクリアした。もちろん裏ボス出して。

そうして記事を書くうちにガイルへの不評は自分の持ちキャラで一番勝てるキャラだから、商売として儲けを出すために「ガイルは反則」という雰囲気をゲーセンの回し者が作り出しているだけで、勝った時に「だってガイルやん!」と否定的な口調で言われたとて「ガイルなら、何だと言いたいんですか?何か文句でも?」とケンカに持っていくのはどうなんかなぁ。

ロレント豪鬼では、家庭用で遊ぶ分にはまあ十分楽しいけど、ゴッドルガール対してガイルほどの安定感はまだ出ないんよな。それやってるだけで、自己評価としてはまだまだ上手くなれる。自己評価で低いと思える部分があるうちは他人の評価など気にせず自分で納得行くまでやればいいだけ。

だけど、自分で納得行くまでやったキャラを他者評価のために捨てて、慣れないキャラを自己評価が高くまでやるだけというサイクルに陥っているという時点で、考えを改めるべきかどうかは悩みどころ。

メトロノームが必要なのかも

ギターは完全に独学で「独学です」つって上手かったらカッコ良すぎるんだけど、独学で下手なまま続けているとユーチューバーのギタリストさんとかが「あー、俺いま丁度このへんでつまづいてるわ」ってところを教える感じで弾いてくれることがある。

まあ、気のせいレベルなんだけどさ。

そうすると独学というよりは日蓮の教えである「我以外皆我師也」だよな。

俺のギターの何が下手って、そろそろメトロノームをセットしてリズムやテンポを一定に保って機械みたく弾く練習が必要になってきてる。ナルシストはジャズにハマるのが定番らしくて、良いと思って聞いてるとズレてようが狂っていようが良く聞こえるのが音楽の怖いとこなんだけど、子供の頃にウォークマンで音楽聞いてて、テレビで大物歌手がなんかアレンジして歌うと「ああ、そこはちゃんとレコードとおんなじやつが聴きたかった」ってなる感覚。

やはり、音楽にも定位置みたいのがあって、万人に受けるのはジャズみたいのでなく機械みたいな演奏なのかもな。まあ、「万人て何やねん」とかジャズ好きな人がいることを考えたらジャズじゃないなら万人受けとは言えないじゃんって思うかもだけど、そこは南妙法蓮華経を唱えたら何でも叶うから勤行が足りない。

いや、指摘されなくても指が付いて行ってないからリズムが狂う時と、歌詞が一瞬飛んで歌の入りが狂う時とか、メトロノームが無いから狂ってるわけでもなくて、狂ってる自覚があるまま「こんくらいなら素人レベルで許されるかな」みたいな甘えのある演奏なのは分かってるけど、そうじゃなくて自分でちゃんと弾けていると思っているレベルの演奏がプロ目線だとやっぱメトロノームで練習した人から見て狂ってんのかな?という不安もちょっとあって。

ギター覚えたての頃はとにかく早くかき鳴らして歌いたいって思って、それからコード覚えて次に何覚えようってなった時に上手くなるために何をすれば良いのかさっぱりわからないというか、覚えるまでは楽しかった練習が課題曲に難しいのを選ぶと一体いつになったら出来るんだ?俺って才能ない、こんなん毎日やるの無理、やっぱ30歳過ぎてからじゃ無理とか本当に色々とやらない理由を作ったんですけど。

最近はただ毎日同じ曲を1日1回弾き語ってみて、一向に上手くならない部分だけ切り取って集中練習するけどやっぱ上手くならなくて、それでも自分で聴き比べて昔のビデオと比べると「ただの無茶苦茶」だったのが「やっぱり下手」になって、いま無茶苦茶だから上手い人目線では聞くに耐えないけど色々鳴ってるから何もわからない人からはなにかすごいこと弾いてそうみたいな時期を超えて、ただ丁寧にやってるけど下手って段階になって、そこに昔のめちゃくちゃに在って今の丁寧に無いものって何だろうと考えた時に、スリーフィンガーとかコードバッキングじゃなくて編曲で後からレコードに足された装飾音をギター1本でやろうとしてたなーと思って、もう一度それを入れてみると新しい奏法になりつつある。下手くそでも夢は大きい方がいい。

メトロノームはね、俺にはまだ必要のないものだ。

ギプスも包帯も取れてゲームが出来るわけだが

そういう気分でもない。

薬指の操縦感覚が変わってお箸でカップヌードルを食べると麺を掴みづらかった。

グーした時に指の付け根の骨の出っ張りが薬指だけ凹んでいる。右左見比べてめちゃ違和感あるけど、お医者さんに聞くと「プロボクサーやったらパンチ力落ちるけど普通に生活するんやったらこんでええやん」と。楽観するとすぐ慣れるのかな。少し不安だ。

それよか病院の待合室は足腰の悪いじーさんばーさんが大半で自分の老後ってか、これから老いてくまでに何をして過ごすのかみたいなことを見つめ直す機会になった。

なんかね、テレビの歌番組にハマるのって思春期の頃でさ。若いバンドに共感して、やがて大人になって仕事をするようになっても心に歌が残ってさ。働き盛りの人がたまに歌うカラオケって懐メロで、遊んでる人は流行にちゃんと付いていったりしてるみたいだけど、かなり良い年して俺は何やってんだろうって思う。それでも、自分のところにもアーティストはちゃんと気持ちに合った素敵な曲を届けてくれるんだ。

ラジオやテレビのリクエストなんてしたことないのに、なんか魔法みたいだなって思う時があるんだ。


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