酔っぱらい体験記「商店街をぶらついて」

昨晩、向かいの料理屋で「焼き鱧」を買って食った。

京都では内陸で鮮魚が食えなかった時代に生命力の強い鱧が鮮度を保てる唯一の海産品だった、みたいな話をテレビで見て「ほふーん」と思って商店街に出ると「焼きハモあります」と張り紙がしてあって、料理屋さんもテレビ見てメニュー決めてんちゃうか?ここ、京都じゃなくて奈良やしなぁ、と思いながら下さいというと550円。

もうちょっと他の焼き魚と値段を見比べてから買うべきだったか、と思ったが食ってみたいので仕方なく払う。なんでハモが高いかというと小骨が多くて料理が面倒だからである。手間賃みたいな。

焼きハモで缶ビールを飲み、しかしまだ腹は満たされず家の冷蔵庫に何もないのでコンビニに出かける。コンビニの冷凍庫の前はいつも見ないで通り過ぎるのだが、狭い店内で女子高生とおぼしき人物が冷凍庫を見つめたまま通り過ぎるにはやや邪魔な格好をしていたので、自分も冷凍庫の中を覗く。アイスクリームを見ているようだな、と思ったが隣に冷凍の餃子があるので取り出す。レンジ調理不可とあるので戻す。戻すと女子高生に睨まれる。仕方ないのでもう一度取る。

そのままレトルトのハンバーグとパンとカフェオレを買うが、レジの手前でおにぎりが100円セールでいっぱい並んでいるのでそれも1個買う。ヤンジャンも買う。1027円だ。ハモも合わせたら最初からステーキでも食えたのにな、という計算を後からしても仕方ないが、たぶん計算している時はパンとファミチキとかになって、その生活に飽き飽きしているからたまにハモでも食ってみるのである。

家に帰ってハンバーグを温め食すが、餃子を冷凍庫に放り込んだまま、親父が帰ってきたらレンジ調理不可のものをどうして買ったということについて逐一「よく見て買えよ」みたいな説教を始めるのが目に見えているので、そのままレンジ調理して食ってしまうことにした。

ビニールでなくアルミ包装でレンジの中で火花が上がり、危ないと思って一度止め、クシャクシャになった包装を剥いでもういちど温める。レンジ不可なので調理時間が分からず、とりあえず3分ほど温めたら火が通るだろうかとやってみて、皮が羽根つきの意味でパリパリでなく、何か干からびたようなパリパリ皮の餃子になった。まずかったがストロングゼロダブルレモンで流し込んだ。

京アニの放火テロを見ていると

そりゃいつかそういう日は来るだろう、俺が犯人になる前に冷静になれたなと。

詳しい事情と動機を知り尽くしているわけではないのですが、日本の「クリエィティブ」とか「コンテンツ産業」の生む経済効果は莫大ですよね。

それはあくまで経済効果であって丸々利権になっているかどうかを最近のテーマとして考えているんですけど、形にならないアイデアの状態から形にすることが仕事と言われますよね。だけど、儲かってるのは形にしている人でなく形にする鋳型のように人をこき使う仕組みである会社ってやつであって。

会社ってのは法人つまり法律上の架空の人物なわけで、会社が儲かっているというのはまだ誰も儲かって無くて、社長や株主に会社からお金を出す権利が与えられてんだけど、そうでなくてアイデアを誰かから取って、京アニの件でもアイデアで儲かってるわけではなく作画の丁寧さなんかが好評を博しているわけですけど、それらの権利者はアイデアで利益を得ていると考える人もいるわけで、アイデアは本当に借りたものか同じアイデアを別件で出した人間がいるのか、突き止められない組織に対してひとりの人間が威力で対抗しようとした虚しさみたいなものを感じるんですよ。

日本のコンテンツ産業の「パクり方」があまりに巧妙だから、一個人でそれに対抗する証拠を打ち立てるのって難しいと思うんですよね。工業製品でも日本はドイツとかアメリカからアイデアを頂いてだけど特許で主張される同等品の要件を回避して新しいものを生み出して売ってきたわけで。これらは見た目と機能はそっくりでも内部構造がぜんぜん違うから模造品ではないって話だったんですよね。

じゃあアニメはどうなのか、となると原作から人の名前などの固有名詞を書き換えてあらすじを真似て全然違う絵で台詞の言い回しなんかも変えられちゃったら。原作だと主張する作品を出して盗作であると主張しても「似てるけど違うよね」とか「被害妄想だ」って話になる。しかも売れているのは脚本家ではなくアニメーターであると寸評されてしまうわけですよ。

大手の制作会社が盗作というか盗案をしていることを裁判で争うのは難しい。盗作の要件を知り尽くした奴らが方にかからない範囲を知った上でやっているんだから。実際に作品が著作権を得る頃には原案が盗案であっても外見が全然違う形ですから。

これは俺が自分で良くないと思っていることをやられて、やり返せなくて、やり返しに下手をすると相手が先にやったのに自分が法を犯してしまう結果になるというようなやり合いで少しずつ歳を重ねて学んできたことなんですよね。

いい加減、腹立たしくて威力行使もしたくなるほどだけど、そういう時は机をグーで殴って別の方法を考える。幸い俺はまだテロには会っていない。

俺がコンチクショウと思っているのは京アニではなく別の制作会社なんだけど、京アニに放火した犯人がマスコミにどう報道されるのか、その様を見守りながらその方法では思った結果を導けないのだなということを改めて冷静に見ています。

いかにして地図をアタマに叩き込むか

小学校の社会科から、高校の地理まで俺はとにかく地図を覚えるのが苦手だ。

過ぎ去ってみると「地理が苦手だった」という記憶だけが残っていて、地理を復習しようと高校地理の学参を買い、読んでいたのだが、何か根本的に問題が違う気がして中学校の地理の漫画本を買って読んでいた。俺が中学の時は中学地理はまだなくて現代社会という科目名だったような気がする。

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それで、結局の所漫画本を1冊読んで問題を解くとそれなりに答えられるが、1冊の漫画の中でこのユーロの地図のひとコマ。ここさえ覚えられたら全て解決な気がする。

思えば小学校の社会科の日本地図でも今でも関東の埼玉、栃木、茨城あたりの配置が怪しくなってケータイで地図を見る。歳を食うと固有名詞を新しく覚えるのが辛くて、テレビを見ていても芸能人の顔と名前が一致しない。地図も配置や形状と固有名詞が結びつかない。

この辺の形状と固有名詞を結びつける脳の部分が良くなると、俺の成績は伸びるんじゃないかと夢を見ている。実は数学も定義から公理を求める証明題は大好きで、何故そうなるかを突き詰める分には面白かったのだが、証明された公式を覚えて公式同士をつなぎ合わせて応用題を解くのは苦手だった。

二次方程式の一般解でも公式が頭に入らず、試験直前までノートを見て覚えておいて試験時間まで記憶を持たせることで何とかしようとした覚えがある。

結局、数学を復習した時に「ニエーブンノマイナスビープラスマイナスビーノジジョウマイナスヨンエーシー」という呪文を唱えて丸暗記して、ルート記号は抜けているがこれで一般解は何とか頭に叩き込んだ。

問題は地図である。俺は受験戦争から就職氷河期の昭和53年生まれなのであるが、受験期に「受験は個人の才能とは無関係に愚直な努力だけで誰もが報われる公平な仕組みである」という論が強かった。しかし俺は決定的に他の人より記憶力で劣っているという感覚があり、それをどう克服するかが課題で、会社員時代はノートやメモを大量に使うことで他の人より業績を上げることが出来たが、こと受験となるとこの記憶力の欠陥に打ちひしがれるのだ。

俺が受験と向き合う時に最も恐ろしかった経験は、社会人で再受験を考えた時にそういえばやっていなかった科目をおさらいしようと英語の熟語問題集を開いたら、栞のページだけ白紙で、そこ以外をめくると全ページ鉛筆で解答がビッシリ書かれているのを見たときだった。全部やったのに、やったことすら覚えていないのだ。勿論単語や熟語も記憶からは抜け落ちている。

とりあえず、最近やったことと言えば「埼玉は東京の北」という文章で覚えて、県名が白紙の地図問題だったら埼玉の位置は割り出せるという覚え方である。

そんな俺でも「イタリアは長靴」から長靴を思い出して地図と一致させることは出来る。つまり幼稚園や小学校低学年のレベルではモノと固有名詞は結びついている。

しかし小学校高学年の社会科から、中学高校の地理歴史などがサッパリダメだ。

反対にプログラミングの関数名変数名の命名に関して悩む人が一定数いるらしいが、俺はそういう時にパッと名前を付けられる。これは世の中の固有名詞が語の意味と結びつかないレベルで丸暗記させられることに対する拒否反応と、新しい名前を自分でつける時に体を表す語をすぐに連想できるという特技が結びついた結果だ。

最近、そういう意味で覚えたことといえば東大阪線瓢箪山が標高で示されるような山岳でなく二つ山の古墳の跡地であって、古墳の高さが50メートルくらいでひょうたんのようであるということである。ならば、教科書レベルの社会科知識を全てこのレベルまで詳細に覚えられるか、どうだろうとなると、俺の勉強はまだまだ付け焼き刃のレベルで東大文系で主席くらいまで行くと入っている中身の量が試験の点数の比率以上に相当にすごいのかなって想像してるんだ。

鹿児島や北海道は間違えないから、入り組んだ関東が取り分け覚えにくいのとユーロが覚えにくいのも似ていると思う。

しかし、ここまで明確に苦手が定義できたのだから、この先はそこをどけて他で点数を取るという試験で合格点に達するためだけの勉強法と違って、明確に自分の苦手を克服する勉強法を編み出していけるかということが課題。そう考えたほうが受験勉強から得られるものとしては大きい。


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