近所の書店で音楽雑誌を立ち読みしてきた

目当ての雑誌は棚に並んでいなくて、他の雑誌をパラパラとめくる。

AKBの山本彩ちゃんがギターを持ったアーティストとして写っていた。

ギターの雑誌には布袋寅泰のギターの次のページに機器類のセットが映されていた。文字は読まずに、写真を見た時にコブクロの小渕さんがテレビで「若い頃布袋さんのギターにあこがれて練習したがどうしてもあの音が出ない」という話をされていたのを思い出した。そりゃまあエフェクターという機械を通した音がアコースティックギターでは出ないのは当然だけど、知らないふりして隠し通すトークなんだなと思っていた。

それから俺もギターの練習をして、パソコン作曲をやめた。ギターを持っているだけでカラオケのように音が出て歌っているなら、ただのパフォーマーであってアーティストとは呼べないと自分で線引きしたからだ。

それが、雑誌に機材写真が出ちゃうのには少し動揺した。隠し通すのではなかったのかと。また、ギターを練習するのでなく、電子音楽との融和点を模索するべきなのかとか、とかく今の取り組みのすべてが何だったのかと考え始めた。

家に帰って目当ての雑誌を取り寄せようとすると去年のはじめに休刊になっていた。

読めばすぐ分かるミヤザワ流ギター弾き語り教室

最近でこそ文化教室でギター講師でも出来ないかと考えるのですが、YouTubeで弾き語りをしていた10年前、部屋から漏れる音など聞きつけたのか子供に早いうちからギターを教えたいが近所にいい先生が見つからないのでと相談を持ちかけられました。

当時の俺の演奏はネットで大バッシングを受けていて、音大卒の人から素人のくせに教えようとするなと誰にも教えていないのに勝手に叩かれたり、音痴だと言われたり、間違えてリンクを押したら耳障りだったからやめろ、みたいなことを匿名でスコボコにされていた。

そんでまあ、音痴は傷つくのだがギターは自覚としても下手で、ただ歌手になりたい謳いたいという思いをギターの伴奏が上手くなるまで抑えておくということが出来なかった。実際、ギターを弾きながら歌っていたが、歌の調と楽器の調が合っていない。それが素人耳に歌しか聴いていない人がギターを教えてほしいと言ってくれたのだと思う。

それでまあ、歌とギターの調子が合うまでに10年くらいかかっていて、調子の善し悪しを自分で厳しく見ると出来ていないと思うから、思い切って歌えないで歌も下手になるという時期も過ごしてきました。それを、今から始めようとする人に何年もかかるぞとか脅してやめさせるというのは違うと思うので、本当に俺の辿った道を示したい。

 

まず、歌の出だしのコードをひとつ決める。何もアテがなかったら、Cを選ぶ。

右手でリズムをジャカジャカしながら、それに乗せて歌う。

次に、A、D、E、Gなどの押しやすいコードに左手を組み替えて続けて歌ってみる。

それで乗れたら、Cともうひとつのコードを手慣れで押さえられるくらい何度も往復して、調がズレていようが自分の歌のメロディが引っ張られないようにブレずに歌う。

 

もちろん、歌の音程の意味での調子でなく、リズムの意味での調子と、ギターの右手のストロークのリズムの調子が互いに釣られないようにも練習がいる。

このくらいのことだけなら、3ヶ月くらい続ければ形になるかもしれない。

あとはまあ、それで歌えて満足するか、細かい調のズレが気になって治したくなってオタク的にやりこむかみたいなところだと思う。

 

ギターを自分で買ったという若い人に俺が言ったことを正確に記すと

「コード3つくらい手慣れで覚えたら、それでゴリ押せ!」

これを守っただけで、プロなのかアマチュアなのか知らないが人気YouTuberになった人もいる。まあ、俺のアドバイスが与えた影響のほどは知らないが、あの言葉は大きかったから今から始める人にも言ってあげて欲しいと覚えていてくれた。自分で言ってりゃ世話ないが、その人も自分で責任が取れないから俺のクチから言わそうとするのだろう。

まあ、どこの教本にもあるコード進行が器用に出来ちゃう人には用事のない教室ではある。世の中には俺のように不器用な人もいて、そういう人だってギターを弾きながら歌いたいのだ。動画を世界に配信サイトで流したから叩かれただけで、カラオケに行く代わりに家のギターで趣味で歌うなら、自分が気持ちよくなれたら良いじゃない。

 

次はヘビメタのギターソロ的な速弾きにも挑戦しようと練習を始めた。歌伴とソロは全く別だと俺は思っている。そして、ソロギターのメカニカルトレーニングなどの教材が全然楽しくなくて俺には合わない。俺は俺に合う楽しい速弾きのトレーニングプログラムを自分で組んでマスターしてやろうとしている。これも、もし出来たら教室化しようとも思っている。

 

キレイに出来るようになるまでやれないという完璧主義は、それを耐える根性があれば大成の可能性もあるけど、やめちゃうよりは、下手でも続けられる方が形になると思う。

 

古いギター教本をあらためて読んでみた

42歳になりました。

 

正直、1年前の41歳は切り込み隊長のブログに毎年「何歳になりました」というのを読者として読みながら、自分の年が段々増えていくのに「41歳になっちまった」と心をこめていたんですよね。昨日の朝もそうだった。

けど、41歳にはギターの弾き語りをレベルアップしようと一青窈の「ハナミズキ」を何となく選んで半年以上毎日弾いてみてたんですね。難しくて形にならないながらも、武部先生の名曲をなぞることが何かになると信じてみたの。

そんで、なんとなく心に響く曲を弾き語ってみて、自分でビデオ撮影して、聴いてみるとそこまで捨てたもんでもないかなと思えたのよ。

それが昨日、42歳の誕生日。長らく会っていない母親からおめでとうの電話も来た。

 

さて、夢だったギターの弾き語りが形になって動画アップして視聴者カウンタが増えても、自分の生活に即座に変化があるわけでなく、近所の文化会館のホームページなど見て、教室に習いに行こうかそれとも講師として雇ってもらえないかとか、考えた。

講師の先生俺より若いし、弾き方は人それぞれなので習うべき上手いところもあるけど、授業料と自分と相手の差を考えるとちょっと払えないかなと思う。

 

そんで今日は朝からテレビを見ていて、被災地のことなど思うと電気代垂れ流しの極楽生活を少し省みて、いちどテレビとビデオとパソコンを主電源からコードの電源まで落として、明かりとストーブだけって状態にしてみたのね。

 

そのまましばしボーッとして、ふと本棚のギター教本を読み始めたの。毎月40曲のスコアが載っている雑誌をギター始めた頃に気まぐれで2回取ったの、ほとんど読まずにずっと部屋に置いてあった。いちばん読んだ本はギターを買った時に楽器屋さんが付けてくれたコードブックで、雑誌の中にも見開きでコード早見表があるのね。ギターの歌伴はこの早見表だけであとの情報はいらないんじゃないかとすら今では思ってる。

 

それでも注意深くページをめくっていくと、坂崎幸之助の手習いギターと言うページでオープンハイコードという豆知識がギターオタク的に新しいなと思ったの。他は知識としてだいたい分かるけど、早見表のコードブックにないオープンハイとは何ぞやと。ワクワクして読んで、そして読み終わってギターを抱えて弾いてみたら「だまされた」と思ったんだ。

 

てか、基本形となるコードは音楽の歴史を経て「いい響き」とされる音の組み合わせが指のポジションとして定型化されたものだから、チューニングしてちゃんと押さえてかき鳴らしたら、基本的にはそれ以上のいい響きの音楽ってのは発見されてないんだよね。

 

それでも、坂崎幸之助さんは大先輩に当たるわけで、様々の演奏の中で培われた経験として、2度とか3度の和音でなく、7thとかsus4とかadd9があるように、オープンハイコードというのも楽曲の流れの中でいい響きになる前後関係が紙面の都合で絶たれた何かのヒントではあるのかなと思い直したんだ。

 

ある意味で、俺が最初に習ったメジャーコードは繰り返しになるけど音楽の歴史があって「コレ押さえればオールオッケー」って様々のミュージシャンが認めてる和音から出発しているから、出来るようになったらあとは歴史を振り返ってなぞってみるのも趣味としてとか勉強としてとか、色々の意味はあれ、新しい音楽なんてのには滅多なことでぶつからないという覚悟もまたいるのかなと。

 

ああ、出発点は随分出遅れたけど、俺も多分普通の42歳の範疇。音楽好きでこころざしてデビューして老けて売れなくなって若いバンドの面倒見てる音楽プロデューサーみたいのに憧れて、飛び込みでなんちゃってプロデューサーのえらいさんごっこでなく、出来る楽器はギターだけで、それでもこの業界のやり尽くされてる部分と未開の可能性のある部分の嗅ぎ分けくらいは出来るようになってきたのかなと。

 

そう、42歳。

 

もう、42歳。

 

まだ、42歳。

 

まさに42歳。

 

42歳になりました。

そんな感じ。


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