こうだったらいいのに

ゲームを作りたいと思っていた頃と言うのはゲームが下手でした。
自分なりには家族や友達より得意なものだから上手と思ってもいました。
それで、今あるゲームで納得できない分は自分の思い通りになおして、
そうすることでゲームを遊ぶのがもっと面白くなるという考えでした。
今はゲームを作りたいとはそんなに強く思っていません。
ゲームを作れるようにプログラムの腕を身につけると、
難しいゲームもやさしいゲームも自分の意のままになります。
お風呂の湯加減のようにぬるめにどっぷり入ったり熱い早風呂だったり。
そうやって作ったり遊んだりするうちにゲームの腕も上がります。
そして、作ることの大変さが分かると人が作ったものが許せます。
こういうさじ加減で決めて来たんだなと分かるようになります。
そういう現状で惜しむべくは遊ぶ前のゲームのさじ加減が見えない事。
また、全般的に言って長編のゲームはやさしいところから始まって、
だんだんと難しくなるように調整されていて慣れるとはじめが退屈。
どうしてそうなっているかの事情が分かると諦めがつきます。
そうだな。
なにか大人になって偉くなったように書くつもりではじめましたが、
端的に言ってこうしたい、ああしたいから、こうなんだなという諦め。
変えられない現実にぶつかって、磐(いわお)から、さざれ石に。
君が代の正反対のような変化をしてしまったわけですな。
いまは目の前の仕事を片付けるので精一杯ですが、
また面白いゲームを遊べる事を願って、
探したり作ったりしたいな。
ちょっと疲れているのかもしれませんね。