カードゲームで勝つには優勝デッキを真似るのが近道なのか

俺はマジック・ザ・ギャザリングに凝っていたことがあり、どうしても優勝賞金が欲しいと思った時に優勝者のデッキをそのまま真似たことがある。お金さえあれば子供でも思いつきそうな単純な戦略だ。それで予選通過をして、これで成績上位の仲間入りだと思った矢先にこんな事件があった。

俺が真似たデッキを持っていた人がカバンを置き引きされたと言いふらしたのだ。当時は「そうなのか」と思ったが、今では違うかもと思っている。大事なデッキの入ったカバンが置き引きされた。それを探す手がかりは高額なカードの束である。優勝デッキを真似た俺は前回優勝者と同じカードの束を持っている。これはカードショップを巡り歩いて自分で集めたカードの束であるが、なにせ同じものに見えるので俺はマジック・ザ・ギャザリング業界の人から真っ先に置き引きの疑いをかけられた。しかし、警察に突き出されたとか、そういうわけではない。「アイツだよなあ」という目線を向けられ続けるのが何となく後ろ暗かったという程度の話ではある。

反対にこんな事案もあった。優勝デッキを自分で持ってみて勝てると自身がついた俺は今度は自分の力で優勝デッキを打ち立ててやろうとして、それはもうめちゃくちゃ強いデッキが完成した。しかし今度はゲーム雑誌の執筆をしている人にデッキを大会より先に雑誌に載せられてしまったのだ。俺のデッキは雑誌を見てパクったことにされて、雑誌を読んだ人がみな俺と同じデッキを持ち、同じデッキ同士の息苦しい大会で俺は自分のデッキに敗れた。

それから俺はマジック・ザ・ギャザリングをしなくなり、時々大会が終わったら公式サイトをみて「今回の優勝はこんなデッキなんだな」とカードを眺めるだけになった。

ゲーム雑誌やウェブサイトのライターは優勝者ではないかも知れないが、優勝者が文章が上手いとも限らないので、ゲームに詳しくて強くてそこそこ書けるとなってくると、だんだんと人は限られてくる。優勝者ではないからといって、ライターが書いていることが間違っているとも限らない。それは確率などの算術では必勝法が見いだせないからでもある。あるいはマンガの「カイジ」でも読んだほうがリアルに近いかもしれない。

今ではデッキの置き引きは事件ではなく、カイジのごとく勝つための芝居のひとつだったのではないかとさえ考えている。盤外戦は趣味ではないが、それが実相かもしれない。GP神戸の優勝者がマレーシアの方だと知って「ああ、もうアイツらが仕切っているわけではないんだ」と安心したから書けるようになった話。マレーシアまでグルだったらちょっと怖いけどね。