藤井四段の模範的なキャラに棋界の変化を感じるのです

自由平等を謳うなら目上目下も撤廃されるべきという極論を掲げてみると、法と慣習どちらが重んじられるかというと司法に持ち込まないと効力を持たない法より暗黙的に浸透している年功序列の慣習のほうが大事じゃね?というところが最近の落とし所です。

そうして基本的な論理をおさらいして深掘りしていくと、将棋界の過去のニュースとして、羽生永世七冠がまだ三冠だったころ、中原名人より対局室に先に入って上手が座るべき上座に陣取って反感を買ったという事件があったんですね。上手が上座というのは明確なルールではないものの、棋界の慣習であってそれを破るということが野心の表れであり、また腹立たせることで冷静さや集中力を削ごうという盤外戦の側面もあったのだと振り返ります。

今になってみると七冠まで辿り着いた羽生先生の若気の至りで済まされるのかも知れませんが、勝負の世界は実力世界であり、礼節を守って出世の順番を待つのではなく若くしても下克上の意思を明確にして、勝てばそれが許されるというテーマは社会を窮屈に感じている若者にとって必要性で構成されている実務社会より魅力的に映ったということが将棋ファンの獲得につながっていたのではと思うんですね。

しかし、現代のヒーローである藤井四段というのはどちらかというと言葉の選び方など、勝負師としては目上の人間に勝ちつつも謙虚で模範的な態度を示しているなと感じます。これはもはや将棋界が慣習を打ち破ってでも実力社会で勝者が認められるという世界観でなく、ただただ十四歳でも勝者たるもの人格者であれという暗黙的に求められる人間像の体現者ですよね。

今の若者は野心の原動力たる社会への不満がないのかもしれませんね。我々がストリートファイターに熱中してた頃というのは何かで育ってからゲームという新しいものが来た世代よりも育つ前に世の中にテレビゲームがあり、ゲームをして育ったわけだから年長者とスタートラインが同じゆえ吸収の早い若い人が強く、年長者を重んじるのは実力ゆえでなく慣習として仕方なくという気持ちが内心にあったのですが、イマドキの若い人を古いゲームである格闘ゲームでやっつけたとしても「40歳までやって強いのなんて当たり前っすよ」というあきらめ感を出してくる人もいます。もっと簡単に「つまんない」とも言う。

しつこく続けた身としては只のブームとして世の中から格闘ゲームというものの姿形すら無くなってしまうことと比べると今でも大会が開かれたり、後継作品が出たり、プロとしてゲームをすること自体が職業と認められたりしている現在のほうが幸福ではあるから、特に不満や文句があるわけではないのですが、野心を持たない若者に年功序列そのままに勝ってしまうというのは勝負の世界において勝負そのものの価値が軽んじられているという危機感を少し持っています。