「努力は必ず報われる」は宗教みたいなものだから

テレビつけてるとAKBの選挙で勝った人が「努力は必ず報われることの証明になりました」と言っていて「まあ勝った人が言うと本当に聞こえる」と思った。

論理としては「努力が必ず報われるとは限らないが、成功する人は何らかの努力をした人の中から現れる」という一般論があるよね。

でも、現実にはスポ根的な努力と別にデキレースや反則などのゴチャゴチャした戦いの中で、純粋にフェアプレーで努力する人は仏様のごとく尊く、そういう人が模範となることで秩序が保たれるから、社会的勢力が清く努力する人を押し上げようとするもんだよね。それぞ日本式。

日本人はおとなしい国民性で、暴力こそ振るわないものの威圧的な風貌の人が脅しでルールを決めちゃって皆が黙ってそれに従っているという。小学校の時に平等って習ったのに社会に出ると上司には逆らえなかったりするじゃん。殴られたら痛そうな体格の人が上司で皆が我慢して働いている職場や、反対に握ったら潰れそうなモヤシみたいな人が上司でちょっと体のデカイ部下が言うことを聞かなくてみんなそれを真似てダラダラしてたり、肩書で決まるんじゃなくてグループの雰囲気はマウンティングに勝てるボス猿の雰囲気で決まっているんじゃないかなって思ったこともある。

だからボス猿が上司だと結局人間は猿の群れと大差ないし、報酬や進退の権限で上司が部下を操るとそれは恐怖政治とかパワーハラスメントみたいな問題になる。

そんな職場と比べるとスポーツの世界なんかで「努力は必ず報われる」という話を聞くと、そういう価値観を守るために周りの人がフェアな囲いを作ってくれているんだろうなって思った。皆から祝福されて勝つというのはアウェイの中で勝ちをもぎ取るよりずっと素敵なことだからね。

所謂反則ってのは試合中のルールを指して使うものだけど、日本人のルールって反則以上に狡猾かもしれないなって思うんよね。自分たちの文化的な価値観と照らし合わせて気に入った人が勝つようにゲームの勝敗を無視して負けを美談にしたりする。

なんか最近のNHKって色黒キャラが必ずグループに入ってるんだけど、ちょっと前までは色黒の移民がルールを守らないことで怒られているのに肌の色で差別されているという被害者感情を持っていたってのはあると思うんよね。だけど、知らない人に暗黙のルールを教えないで、知らないことを悪とするような風潮は問題だよ。

ちょうど人気って「いじめ」の対偶みたいなもんだと考えてる。いじめられっ子にはいじめられる理由があるって言う人がいて、祝福して押し上げられる人も何らかの資質があるよね。それにも品の良さとか生まれ持ってではないけど育ちの良さという理由があって、育ちの悪い人は成功しても「成り上がり」のレッテル貼られて肩身狭かったりするよね。大体の人はどうすりゃいいか分かってるけど、教えないでルールを守っている人を勝たそうとしてて、それって試合中の反則よりある意味ずっこいなと。

だから「いじめ」の対偶の「担ぎ」とでもいうか、それに乗っかった人が努力って言ってもなあって、まあAKBの選挙で勝った人はもちろん努力も惜しまずしたのかもだけど「必ず報われる」は宗教色を感じてしまったんですよ。

 

カルドセプトの攻略を書きたいと常々考えているけど

直感で分かっていることがまだ論理のレベルに消化しきれない。

たとえば「40Gのヘッジホッグが守っている領地を100Gのグリフォンに80Gのオーディンランスを持たせて落とすことは本当に得になるのか」というテーマで考えだしたが、現魔力差140Gで総魔力差は属性ごとの連鎖倍率が載るから、結局は「場面による」としか言えない。

その場面がどの程度複雑かというと一番狭いロカでも22マスあってそのうち20マスにはクリーチャーが載るので領地レベル5段階の20乗にクリーチャー200種なので何が載っているかの種類数200の20乗に手札は300種の5乗の3人戦ならさらに3乗だけの組み合わせがある。(組み合わせだけで言うとだけど、書き出してみて何か間違えているかと不安になるような膨大な数字だな・・・)

それらを領地ごとの通行料とSTとHPに単純化して捉えて、総魔力が目標魔力にリーチするかどうかだけを求めていく。

実際に考えていることはもっと単純で、サイコロを振って通った領地の隣接しているクリーチャー同士の能力と地価と止まった領地の通行料とクリーチャーと手札にあるクリーチャーの相性くらいかな。それを終盤は毎ターン考える。

先ず攻略をブログに書く前に攻略本に何が書かれているか読み返すと、中盤くらいの頁に「初心者講座」として勝てない人が試してみるべきことが見開き4頁にわたって写真入りで解説されていて、Wikiよりも文章も丁寧だった。

・周回ボーナスを大事にする

・重要な土地を押さえる

・敵の領地を避ける

・護符を活用する

・手持ち魔力には余裕を持たせておく

・クリーチャー移動で戦闘を挑む

・序盤、中盤、後半を意識する

・マナの使い惜しみをしない

・あまり目立つプレイをしない

・ブックに残っているカードを意識する

・終盤は相手の連鎖崩しを狙う

この項目を知らない読者にプラスアルファの内容を説明するよりも、もしブログを読んで「カルドセプト面白そう」と思った人がネットで攻略を読んでも思うように勝てなかった時に、その人が攻略本レベルに上がったなら、必然的にプレイヤーレベルが底上げされて対戦が楽しくなるはずなんだ。

カルドセプトDS 公式完全ガイド

カルドセプトDS 公式完全ガイド

 

まあ、3DS版のランキングは病むくらい対戦したから今はコンピュータと戦うだけで充分なんですけどね。

カルドセプトのコミュニティ掲示板とかに行っても話をしてレベルが合いそうだなと思う書き込みは全く見つからないけど、攻略本を読むとこのレベルで文章がかける人なら、ゲームの面白味を残すために書ききっていない部分があるだけで実はすごく強い相手かもしれないなと思ってワクワクしたんですよ。

そして誰が書いたんだろうと表紙裏の執筆者を見ると・・・

何と自分と同じ苗字の宮沢さんが副編集者だったというオチが待っていたのでした。

暇なら暇なだけ何かを詰めようとしてしまう

だいたい、勉強できる人は字が汚い。そうでない人もいるかもだが、試験はだいたい時間内に何問解けるか時間との競争だから必然的に丁寧に字を書く余裕は無くなる。学生時代のノートはとても読み返せるものではなかった。

だけどね、大人になってから自分の時間で勉強したノートは後から自分で読むために書くわけだから、最初は学生時代のノリで汚いノートだったけど、DS美文字でトレーニングしてキレイなノートを作るようになり、いつしかノートを作ること自体が楽しみになった。思えば学生時代は勉強不足だったけど、あの頃はどうして勉強が出来なかったかというと授業が速くて1日に何時間もあって集中力も続かないしノートやプリントを見返しても自分の字が汚くてイヤになったんだよね。マイペースこそ至上。

そのマイペースではいつまで経っても頑張る人には追いつかないのではと思っていた。本を読みながらウォークマンを聴いている人を見ると、倍の速さでインプットしている感じがして、でも読書や音楽鑑賞の深い楽しみでなく、何かを詰め込もうとするせせこましさや貧しさを感じるようになったんよね。

ところで、毎日1問詰将棋を解いているんだけど、俺よりずっと勉強のできる奴から「なんでミヤザワって何でも1回自分で解いて見ようとするの?俺なら全問先ず答えを見て覚えるけどな」と言われて、ますます俺は何かダメなのかと焦りが少しあった。それでも、マイペースで毎日1問考えて制限時間内に解けなかったら答えを見る繰り返しをしていると、初めての問題がいきなり20秒くらいで解けた。それまでには今まで何問解いたか忘れて最初のページから「これは解いたな」「これは答えを見たけど忘れたな」という反復の結果、なかなか進まなかったけど、ついに「これは初めてだな」と明らかに分かる問題を僅かな時間で解けて「実力ついたのかな?」思った。

1問を20秒で解けたから、毎日5分と決めている将棋の勉強を2問3問と増やさずに、今日はその20秒だけを勉強時間として4分40秒は別のことを始めようとしている。

そうこうしているうちに片付けないといけない書類を珍しくパソコンではなく筆記で書いていたら、学生時代のごとく字が汚くなっていた。ああ、美文字やったのにこのザマだという軽い落胆と、やはりこのペースでないと学生のごとく何教科とこなすことは出来ないのかもしれないなと思った。

何かを詰め込むのは忙しくしたいからでなく、暇でいたいから。子供の頃は宿題をためるタイプだったが、働きだしてからは仕事はなるたけ前倒しに詰めて、休むことが大好きになった。ウサギとカメの逸話が日本では重んじられるけど、カメとウサギの進行速度が一定なら計算して丁度追い越すように目覚まし時計をかけて寝ればいいんじゃないのって気はする。

ただ、難しいところは人生は一度のかけっこには例えがたいところ。仕事をバリバリしていたら趣味の時間がなくなって、気がついたら趣味に没頭していた人がプロゲーマーになって何となく羨ましかったり、かといって趣味につぎ込むと食事が貧しくなったり、欲張りに色々と追いかけるとどんどん雑用が増えて何のためにやっているか、自分がどうなりたいかすら分からなくなる。だけど、将棋なら詰将棋の本を1冊解こうという目標が出来て、それは進行中。少なくとも詰将棋の能力は伸びている確かな実感がある。

ただ「5分で初段」と書かれた問題を20秒で解いても現実には4級である。誰かに勝たないと初段にはならない。

人生において将棋を誰かと遊んだことは数えるほどしかなかったが、コンピュータ将棋から入ってネット対局を初めて2日で4級になった。しかし、それが将棋を趣味にする人の中央値くらいであって、支えている将棋指しをごぼう抜きするだけの才能は無いんだろうと思っている。だけど、人並みならば将棋の有段者が必ず通る詰将棋と手筋を学べば、自分も人並みには伸びるのかなと思ってる。

でもそこで詰将棋が速く解けただけで別の何かを詰め込みたくなる性格は、やっぱりどこかせせこましくて貧しい性根が自分の中にあるのかなと思った。将棋くらい弱くても気にしないで過ごせば済む話かもしれんからね。


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