惜しまれて死ぬか醜く生きるか

奇しくも小林麻央さんが亡くなった日に豊田真由子さんの醜聞が流されて、科学的には天国も地獄も認められないけど、死んで惜しまれる人と醜く生き残る人を分かりやすく交代に見せられると、己の生き方をどちらに振りたいのか考えなおした。

梨園の妻と世間で呼ばれながら舞台裏の隙間のようなところで暮らすのか、「ああはなりたくないよね」と皆に言われながらお金をしっかり持って贅沢するか。もちろん評判も良くて贅沢もできたらそれに越したことは無いかもだけどさ。

なんとなくだけど、西洋における悪魔メフィストフェレスの「死後の魂と引き換えに望みを叶える」っていう契約は聖書に対する背徳によって何らかの利を得たり欲求を満たしてしまう誘惑それ自体を譬えているのかなと。

俺なんかもう、とっくに死後の魂を色々の悪魔に売り飛ばして、売った後なのにまだあるふりしてまた売ってる罪深い人間なのかもだけど、だけど聖書を読んだりお経を唱えたり神社に賽銭いれて鈴鳴らすこともある。

親鸞は悪人を許すことで人気を取ったわけだから、神も悪魔もいないかもだけどたったの一度でも悪いことした人を見捨てるほど厳しい世の中でもないみたいで、小林麻央さんは帰ってこないけど豊田真由子さんにはまだ未来があるんでしょう。あの人、これからどういう風に生きるんだろうかと。どちらかというと、そっちのほうがテレビで見たい。

だけど、離党したら隠されるんだろうな。そして忘れられていく。

 

イマジン・ゼライズ・ノーヘヴン

ジョンレノンのイマジンが好きだったことがある。

天国なんて無いって想像してごらん。

地獄なんて無くなるさ。

という歌い出しであるが、もし死後に天国がないとすると血みどろの争いの生き地獄である戦国時代のようになるかもしれないんじゃん。悪いことをしたら地獄に落ちて良いことを続けたら天国に行けると信じている人たちが治安を守る一助になっているんだよ。それを徳治と呼ぶ。

国境が無いって想像してごらん。

北朝鮮から難民がどんどん韓国に流入して大変なことになるよ。

ジョンレノンが歌ったのはきれいごと。人気のために狙ったとしたら文化的植民地支配の足掛けだけど、本人がそう思って歌っていたならイマジンなのに想像力が足りない。

歌詞に不安があるのでネット検索したら「30年かかってもジョンレノンの理想は実現しない」と嘆いている人がいたけど、キリスト教がローマの国教になって1600年くらいは続いて奈良で仏教が1300年くらい信じられていることを考えたら、天国も地獄もなくて国境も持ち物も何もないけどそれで人間社会が回っていくレノン教が出来るには気の遠くなる歳月がかかるだろう。多分子供の頃にビートルズを見た人が爺さんになって死んだら歌を聞く人も自然に減る。

でも、今はネットがあって識字率も高い時代だから、ジョンレノンの理想を出発点として本当に合理的な仕組みが生まれるなら、それが普及していく可能性も無いとはいえない。ただ「天国がないと想像してごらん」というのはキリスト教徒の視点で描かれた歌詞なんだけど日本の仏教にもたまたま浄土の概念があるから通じた話であって、ものごとを起こりのほうから考えていって新しいものを目指すのではなく、冷蔵庫が家に来たから電気代がかかるようになって「冷蔵庫を無くしたら電気代がかからなくなって生活が楽になるよ」と教えられても普通の人は「こいつ何いってんのはあ?」ってなるように、それがあるから不和が起こっているように見えるものでも取り払うともっと厄介になるからそれが生まれたってことだと俺は考えてる。

ユメイセイアイムアドリーマー

例えば創価学会の人だってしつこい勧誘をするのは何故かと問い詰めると「折伏すると功徳が出る」って信じてんの。でも、たしか「南妙法蓮華経って唱えればなんでも叶う」って教えてたよね。それなのに勧誘しないと功徳出ないってその時点で矛盾に気付けよと思うんだけど、それで「勧誘が進んで世界中が創価学会になったらマルチ商法みたいに最後に勧誘を受けた人には功徳出ないんじゃないの」って言ったら「それが私達の理想郷なんですよ」とか言うの。じゃあ誰も畑仕事も何もしないで70億の仏壇が出来てみんなで拝みだしたらどうすんのよ。何が叶うのよ。

でもね、創価学会の友達のお母さんが亡くなった時に葬式に行ったらみんなで遺影の前で南妙法蓮華経を唱えてるの。それを見て「なんでも叶うなら死んだ人が生き返るとでも言うのか」と小さくつぶやいたけど、小学生が足し算と九九を覚える前にXYZの代数学を教えるのって多分無理があるんだろうなって考えてる。あるいは十進数を覚える前に2進数を教えたほうが小学生スーパープログラマーが生まれるかも知れんのだけど、生まれて小学校行って2進数習う前に身の回りにある10進の数字の意味がわからなかったら生活出来ないかも知れないわけで、正しい教えなんてものがもし世の中にあっても、世の中の人が信じていることと新しい教えをどこかですり合わせないと一足飛びに教科書から何から変えて勉強したことと違っている人は1年生からやり直しってわけにもいかないと思うんだ。

これは俺がジョンレノンをディスりたいって出発点ではなくて、歌を聴いて素敵だなと思ったからそうありたいと思って行きてきた結果、それはどんな経過を経ることで実現するのか考えて出てきたイマジンなんだ。

ユメイセイアイムアドリーマー

バッライムノッジオンリワン

アイホープサムデイユーウィルジョイナス

アンザワーウィルリブアズワン

世界がひとつになるどころか孤独死しそうになったこともあるけどね。

映画「俺はまだ本気出してないだけ」を見た

2013年の作品なのでちょっと古いがdTVで見られるので見た。俺まだ色々な映画を見飽きていないのか、洋画のアクションとかは見飽きてるけど情緒を描いた邦画とかもっと見るのもええかなと思った。ギャグ漫画みたいな展開もあるけど、笑いのない生活というのも味気ないので傍目には笑えるけど本人は至って真面目にという描写が面白いのよ。本気なあ。俺、生まれてこの方何かに本気になったことあるのかな。

考えると「ストリートファイターを本気でやる」と言って会社帰りにゲーセンに通い閉店まで対戦してから家でドリキャスでコンボの練習してた時期があって、全国大会出場まで漕ぎ着けたんだけど、あの頃の本気ってどちらかというと夢中だっただけで本気ではないよな。何をしてでも勝とうと思いながらも羽交い締めにしてまで勝とうとはしてなくて、ゲームの中で出来ることでコンボをミスらないように練習とか、それらの課題は自分で探しながら、練習と言っても筋トレのように息が上がるわけでもなくゲームのプログラムのタイミングに合わせてボタン押すだけだから、苦労ってほどでもない。

どちらかというと今はゲームすることもあるけど、ゲーセンは近所にはないので行くまでの交通費とゲーム代と外食費とか計算して、その生活を続けてもし大会に優勝して賞金がもらえたとして、競馬の馬券が100円で単勝16分の1なのと比べてゲームの大会で自分と同じレベルの人間が32人とか48人とかいると考えると分が悪すぎるだろうって先回りして考えちゃう。無我夢中でやれたのは会社員としての給料と、そんなに会社の仕事頑張らなくても朝起きて出勤するだけの体力を残せば5時から男として遊べるIT業界の景気の良さみたいなものが主因であって、俺がゲームに本気であったとは振り返れない。

どちらかというと今のほうが本気で収支プラスになるように考えるからやらないんだよな。まあ、本気ってそれを生業にしようとするって意味でなく、心構えとしてそれに打ち込むという意味であれば例えば音楽でも本気でやる気ならデビューの一攫千金を目指してバンド活動するより周辺産業や5時で終わる事務職に就いて一生楽器の練習するほうが良いらしいな。ゲームに本気出すならゲーセンのバイトでもしながらのほうが本気度高かったかも知れんね。

そう考えると本気って何だろう、本当にやりたいことって何だろうと考えると、既にネットにへぼい作品をアップロードするだけでデビュー気取りに本人は至って満足していて、お客様から見てのプロクオリティに仕上がって売れているかというとそうでもないけど、何もかも努力した程度には見返りが返って来ている。むしろ見返りのない方面に対してのほうが「今まで頑張ったのに」という心理が働いて無駄に頑張ってる。プログラミングは飯の種として、あまりに簡単過ぎる感じがして「これなら本気なんて出さなくても多少頑張れば行けるでしょ」的な余裕が働いて大成せず、ブログやストリートファイターなんかは本来努力しても先に何もない道なのにやっても報われないから頑張ってしまうんだよな。

そうすると俺はプログラミングをもっと本気でやったほうが良い収入になるのかも知れんけど、技術的な適性とか業界自体の景気と本人の自己実現欲求の話で折り合いが付かないって問題なんだろうな。アピースオブソーシャルギアは嫌っていう子供じみた。

いや俺確かに歯車としての性能は良かったのかもだけどひとりで何かってなるとエンジンいるじゃん。その燃料がからっぽなの。人の燃料って基本的には食事だけど、夢への努力って渇望感が原料じゃん。なんかもう、最近満たされちゃって何も本気出せない。

それに対して「今のままじゃマズイぞ」ってのが映画の冒頭なんだけどさ。2時間見たら案外ハッピーエンドだから映画を見るって消費行動だけでやっぱ満足した。


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