大阪に住んでいた時にえらく金持ちだと思われて、それは誤解だと

お金の話というのは憚られるものですけど、就職して2年目くらいで実家からの通勤でなく大阪に引っ越したんですよね。そうすると独り暮らしになるのだけど、家で暮らしていた時に親の家事とか買い物とか手伝ったこともないボンちゃんでした。

そんで、ネットで統計データとかを見て自分が金持ちとか高給取りとは思えないんですけど、大阪市中央区に住んでそこで暮らす間にスーパーで安売りのチラシを見るとかツタヤでレコードを借りてダビングするとか、そういうのをせせこましいと考えていました。

喫茶店に入ってカプチーノを飲んでみたり、ディスカウントストアでなく町の酒屋さんでビールや日本酒を買ったりしていたんですよ。レコードも買う派だった。

それらが情弱の町の人から見て、えらく金持ちである風に映ったんだろうなと振り返って思うんです。

中央区でクルマを持つと駐車料金が家賃なみに高いので、仕事で疲れた時にタクシーを拾ったりもしていました。食べる店も料理の材料である肉や魚のコスパでなく店員さんがかわいいとか、建物がおしゃれとか、そういうので選んでいたような。

そして、よく「どうやったらそんなに儲かるの?」と聞かれたもんですけど、俺が思うに「ケチケチせずに買ってみろ」と言い返してやりたい。コース料理食ってワイン飲んでも3000円くらいで済む店、いくらでもあるだろと。それなのにショッピングモールの食べ放題で食べといて、どうやったらそんなに儲かるのってお前らのほうが儲けてるだろと。俺は儲けてたんじゃなくて贅沢に使ってただけなんだよ。

だから「どうしたらお金持ちになれるの」と聞かれたら、こまかい節約の話をしてやるんですけど、今の俺はたぶん地元の人から金持ちには見られていない。セコくて家から出ない変なやつだ。でも、貯金は若い頃よりずっと多い。そういうことを教えてやると、その末に「あ、私ってお金が欲しいのじゃなくて贅沢がしたかったのね!」と分かってくれる人もいる。わからず屋もいるけどさ。

それくらいのお金、誰でも持ってるんですよ。ホンマに持ってなかったらゴメンやけどな。

こんなことをブログに書くと常識と非常識が明日からひっくり返るかもだけど、例えばスーパーで缶ビールを買ってひと缶30円くらい酒屋さんより安いかもだけど、店員さんは流れ作業でレジ打ってて、人間関係とか発生しないやん。でも誰も入らないちょっと高い店に入ったら、一発で会話が生まれて店員さんと仲良くなったり出来るやん。それは20代の頃の俺の人間性というか警戒心の無さからそうなっただけかもだけど、酒屋さんでビール買って、ちょっと贅沢したいときに「どれが美味しいですか?」とか聞くと、ホンマに安くておいしい日本酒をすすめてもらったり出来たのよ。

だけど量販店のレジ打ちの店員さんに話しかけたりするのって変人だし、万が一その人が話に応じてくれても「どれが美味しいですか?」なんて聞いても高いもん売りつけられたりするだけなんだよね。

んで、俺はそういう風に20代で蓄えた情報、それもネットで見たとかテレビで見たとかじゃなくて生活していて知り合った人から教えてもらったことを頭の片隅に置きながら、田舎でセコセコとしながら30代を過ごしてもうすぐ40歳になる。

ひろゆきがよく言うんだけど、入社試験でペーパーテストでなく「いついつの漫画本持って憩い」とか言うと例えば古書店じゃなくラーメン屋や散髪屋に探しに行くやつが勝つかもしれない。それは面白いけど、毎年やると「去年は漫画本だったな」って情報が出回って、古い漫画雑誌の専門店みたいのが開業されて就活生が利用しちゃう。

同じように、俺が酒屋さんから教えてもらった旨い酒でも、ディスカウントストアでそれ買っちゃうと真似して周りの客がワカワカ買っていって、売れ筋になって、類似商品がメーカーから出たりとか、色々なことが起こった。

んでも中国思想の民生で考えると、美味しいものは独り占めでなくみんなで分けれるだけ作れるなら作っちゃってみんな食べれる方が良い。そういう考え方もあるんだ。限られたものの奪い合いしか考えてなかったら分からないかもだけど。中国産ウナギも美味しくなったんじゃないの?

まあ、俺の根っこの方には「俺は特別なんだ」って意識があるから、こういうことを書いて教えてやろうって思うのだろうけど、考え方としては伝えることで普遍性を持たせることは出来るんじゃないかって考えてる。

他人の物を自分のものと偽って第三者に渡したら誰の犯罪か

リラックマの大きなぬいぐるみをゲーセンのキャッチャーで取ってきて、自分で気に入って部屋に置いておいたら留守中に小さい姪っ子が遊びに来てそれを見て欲しがり、爺さんが「これ、あげるって言ってたよ」と勝手に持って帰らしたと帰って知った。俺は自分のものを勝手に取られたこと、姪っ子の喜ぶ姿を爺さんだけが見て、留守中にものがなくなったことを怒り姉に「返せ」と言うと「爺ちゃんがあげるって言ってんもん」と色々あった。結局は俺がもう1個ぬいぐるみを取ってきて替えてもらうことになったが、姪っ子は泣き出して「もういらない」と言った。

別の機会に音楽仲間の友人のコンサートに誘われたとき、いや、コンサートなんて上品な響きだと誤解されるからナイトクラブの催し程度なんだけど、そんときちょっとお金がなくて「行きたいんだけどちょっと苦しくて」というと「友人の招待で入れてあげるから」と言われて信じてチェックの時に「友人です」と言ったら入れてもらえたのに、出場する時に「この人チェックがありません」と言われて恐いお兄さんが出てきたけど「まあ、いいんだけどな!」と言われてそれからその友人と連絡が取れなくなった。

そういうことが起こる前は俺は清廉潔白なつもりでいた。だけど、だんだんと誰の罪か分からない罪なのに濡れ衣というか「ちょっと湿った衣」をいっぱい着せられるうちに自分は清廉潔白で悪人は裁くべきというような価値観では無くなった。

それでも、世の中には清廉潔白を貫いているアッパークラスは存在して、もしかしたら影で悪いことやっていても表層的な付き合いではそれは露見しなくて、そういう人々からすると俺はちょっと汚い、危なっかしい存在に思われるように堕落してしまったかもしれないなと思う。

カルドセプトはMTGの禁煙パイポとして機能した

禁煙パイポ」が死語なので「ニコチンパッチ」のが良いかもだが。

 

俺はストリートファイターIIとかマジック・ザ・ギャザリングにハマったことがある。しかし、あれらは趣味と賭博のちょうどグレーゾーンにあるようなゲームだ。ストリートファイターIIは勝っても儲かるわけでないが負けるとカネがいる。マジック・ザ・ギャザリングもお金を賭けるわけではないが大会参加量と賞金がある。

 

そして、それらに共通していることは手続きが複雑で、勝っても負けても明確な勝因や敗因を見出すのが難しく、何度も繰り返し「次はこうしてやろう」と思考をゲームの中の出来事だけでいっぱいに占領してしまうことだ。これがゲームの性質なのかギャンブラーの方の性質なのかは分からないが。

 

それにお金を使ってしまわないために「とにかくプレステやDSで遊ぶ」ということを続けてきた。お金を出すほうが緊張感があるとか、相手が人間のほうが面白いとか、誘惑にはキリがなかった。だが、俺はどうやら打ち勝てたようだ。

 

勝ったから何があるというものでもないが、貯金と退屈がセットでいつもそばにいる。

 

まだ今後どうしたいという大きな野望はないけど、毎日ストIIMTGの戦略ばかり考えてしまうという状態からは脱した。その時間を何か別のことに当てたら何か別の特技でも身につくかもしれないと思いながらもテレビばっかり見て過ごすこともある。次に何か始めたら、今度はもうちょっと上手くやれそうな気はしてる。

 


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