今日のカルドセプト(果てしない闇の向こうにウォウウォウ手を伸ばそう)

自信のあるブックが出来た。題名は「イエティ怖い」

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かなり完璧な勝ちプランだったはずがイエティだけは盲点だった。風属性と無属性が入ってはいる、カウンターシールドで倒せる場合もある。という希望はあるけれど。

赤領地に置かれてしまったイエティをどうにかするのにターンウォールを1枚入れたくて、何を抜くかと言うとネクロスカラベかな。

実はココ、楽しめているの俺だけで読んでいる人が本当に面白いかは分からない。その昔に友達と餓狼伝説2の同人攻略本を作って、文具事務機ミヤザワはコピー代で儲けさせてもらったのだが、それをコミケ当日に売りに行った友達が「俺、同人攻略本で他のやつ見つけたら絶対買うで!だって強かったら参考なるし、弱いこと書いてあったら優越感に浸れるやん」と言ったんだよ。

んで、本題のブックの弱点であるイエティなんだけど、これはもうカルドセプトの闇と言えるようなカードだろと思ってます。マジック・ザ・ギャザリングもプロテクションは4版時代の闇だったと思うんですよね。これは確実に悪いとこまで真似ちゃってる。

まあ、それでも俺はやるけどね。リボルトに行く派とDS版に戻る派がいて。まあ、自分の住む世界が楽しくなるように領域を分け合って楽しめばいいと思うんです。

そうしたらブログでネットに発信すると不特定多数の目に留まる可能性があって、知らない人が検索で勝手にやってきて不快な思いをしたって事案に俺はどう対処していけば良いのか。ミクシィとかマストドンとか、もうそっちに鬱っちゃてええんやで。

今日のカルドセプト(普通にカンブック組んでみた)

ジェネラル・カンは三国志関羽をイメージしたカード。

カルドセプトは対戦攻略が進むと守りが強い」というのが一般論で、根拠として領地とクリーチャの色が合っていると地形効果が得られるので侵略側は基本的に武器を使わないと落とせないというものですが、攻撃力青天井のジェネラル・カンならゲーム後半には武器を使わなくても相手が防具を使わないと守りきれなくなります。

だから有利不利は多数決的に決まっているだけで、カンブックなら充分に張り合うことが出来るかなと。少なくともコンピュータキャラ相手は攻めても十分勝てます。

「対戦を突き詰めると〜」という漠然とした考えはやられ方だけ考えてアレもダメ、これもダメとなりがちなので「今日は何をやってコンピュータをいじめてやろう」と考えている方が近頃は楽しいです。ゲームに強いってのを誰か他の人を負かすことで実証しなくてはいけないって強迫観念が無くなってきたんですよね。

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そんで前置き長くなったけど誰が作っても似たような落とし所になるのがカンブックの特徴で、何故ならジェネラル・カンの長所を活かそうと思うとHP50以上のカードから選択するので幅が狭く、パズルのピースを埋めるがごとくパイロマンサーとラルバとマスターモンクあたりがスコスコっと入って、ケツアルコアトルとアレスがちょちょっと入って、そこから残り数枚で個性を出す勝負になっていくのですが、今回は赤の最強カード候補であるサルファーバルーンをモリモリっと入れてみました。

バージョン1ではスチームギアとスピットコブラを入れていたのですが、あんまり効かなかったのでスフィンクスとソン・ギョウジャを入れてみました。

それと「守りが強い」がテーゼなのはガセアスフォームやカウンターシールドにホーリーグレイルという無効化や反射が攻めに対して9割5分以上の防御率を持っているのに対して攻めでそれを落とせるのがフュージョンとブラックオーブくらいしかないのが理由です。

カウンターシールドは9割5分のカードに強いのにブラックオーブが有効になるカードって5枚くらいしか無いんですよね。それでも、螺旋のてっぺんにブラックオーブがあることは否定出来ないんですけど、ジェネラル・カンはブラックオーブを使えないのでいかに相手にアイテムを打たせて使い切らせるか、シャッターなどで壊すかという細い線を通して勝つことになるのかなと。

線が細いということは確率的な話をすると不利なのですが、それを通して勝ったら「上手い」なのか、確率的に高い方を取るのが「賢い」なのか、俺の生きてきた世間では「賢い」は褒め言葉でなく「ずるい」という意味の否定的なニュアンスを含んでいるのですが、まあ人の評価ばかり気にせずジェネラル・カンの攻撃力が上がってペトリフストーンを使った相手を石の上からぶった斬って「気持ちいい!」となったのは確か。

それで問題のスフィンクスですが、確率的に25%以上の相手に有効で残りの75%に対しても無効というわけでなくカード1枚損した後はゴーレムより強いのでアリかなと。

しつこく続けていると、長所短所を比較する時に箇条書きでなく円グラフのように考えるようになって、同じ長短ならより大多数のその他の相手に有効な方が強いという論理で少しずつ答えが煮詰まってきています。「答え」と言い切って良いかは別問題ですが。

ブラックオーブに対策したいからとダイヤアーマーを使う例を見ると、なんか1周回って損してるように見えるんですよね。だからカウンターシールド4枚が最近の結論。

カンブックだからダイヤアーマーでも攻撃力アップと差し引きで先制迎撃を睨めるのか、そこら辺まではまだ想像で実戦で詰めたわけではないのです。

拠点を落とす唯一の方法がニンジャフュージョンの時にニンジャを守る術が無いと結局移動侵略などで取り返されるので、そこにすかさずインフルエンスを打てるか、ニンジャを守れるか、取り返せるかあたりは中盤以降の手札管理で決まることが多いので、そこまでもつれ込むレベルでも腕の差は結構出ると思うんですよね。

ただ、あまりカードの全容を知らない頃にガルーダとブラックオーブでリフレクションブックがコテンパンにやられた敗戦の記憶だけが鮮明で、もっとたくさん勝っているのに逃げ出した1匹の羊が囲いの中にいる99匹の羊より大切に思ってしまうという聖書の心理にハマっているのかなと。和訳すると逃した魚は大きい。

ネット対戦が廃れた今、コンピュータ相手に勝てれば充分だけど、まだ考えちゃう。そこはゲームの攻略ではなく負けをやたら鮮明に覚えてそれに気を取られる自分の内面との戦いなのかも知れません。

それは子供の頃に通った近所の駄菓子屋ゲーセン「キューピー堂」のおばちゃんが「1回でも勝ったら勝ちは勝ち。同じく1回でも負けたら負けは負け」という論理でそれに俺が「麻雀は4人でやるので拮抗すれば勝率が25%になるはずで、それに対する大小で評価すべき」という論理を持ちかけているので、なかなか話が擦り合わないって悩みと根本的に同じだろうなと。

宝くじなら1回でも勝ったら大勝ちだとは思うんですけどね。俺って既にウォンテッド?

俺の信長チョー強えから明智光秀とか余裕っす!

戦国無双と言って分かる人なら問題ないんですが、俺の住む街は年寄りが多くて画面を見たことがない人にどんなゲームか伝えるのは困難です。

信長の野望が俯瞰の地図で見た国盗りモノであることは年配の方でも理解されている場合があるのですが、三國無双ストリートファイター的な格闘アクションゲームで、真・三國無双では3Dになってジャンル的に一番近いのがグループストラテジーFPS。つまり一人称視点群像的戦略人斬りゲーム。

そんで3DSの戦国無双クロニクルは真・三國無双の日本版である戦国無双の名場面集ゲームで、操作するのは歴史的に「美味しい人」で川中島の戦いでは武田信玄について上杉謙信を迎え撃つ。正確には武田軍のひとりの武将として話が進むんですが、武将チェンジによって武田信玄も操れたりしちゃう。

それで、第二部は織田信長で日本統一を目指すわけですが、最後のシナリオは本能寺の変で本能寺で信長と濃姫と蘭丸と自分の4人しかいないところに明智の謀反で火を放たれ、1000人の軍勢に囲まれるわけです。

燃え盛る本能寺が焼け落ちる前に千の軍を4人で打ち破って脱出するとクリアなのですが、これは歴史をなぞる意味では負け戦なわけです。だけど上手くなると越せる。

そんで、ゲームで歴史を学ぶのもいいけど、本能寺の変を勝っちゃって学ぶものってあるの?剣術?というような意見は何度か聞きました。

確かに、武将として日本統一の夢を果たしても、謀反を受けて配下であった人々を全て斬り倒してしまうと、配下のいない一匹狼に戻るわけで統一した意味が無いわけです。

 

織田信長についてもうひとつ学ぶべきところは息子ではなく豊臣秀吉が後を継いだという点です。豊臣秀吉は信長の家臣であった頃から信長の身振りなどを真似ていて、テレビ等のない時代に信長に近い者以外は姿かたちを知らないことを逆手に取って、将軍になってから側近ではない周囲の人々に織田信長そっくりそのまま変わらずに将軍であると思わせたという逸話があります。

ここで話は大きく変わりますが、サルが信長を真似たのとは別に昔の日本には身分の高い人がおならをしたときに身代わりになって「私がおならしました」と言って身分の高い人はおならなんてしていないと思わせるための屁負い比丘尼という仕事があったそうです。

さらに話をもうひとつ付け足すと、アーサー王伝説など西洋では君主がすなわち剣豪の大将軍であると庶民に思わせるために姿形の似た腕の立つ剣士が戦争で代わりに活躍したそうです。これは影武者といって日本でもそういう伝説はあります。役者に対するスタントマンもそうかもしれません。

ここで豊臣秀吉をおさらいすると、自分の近くに自分の真似をする人がいたとして、自分が信長だと思っていたらサルに見えるし、自分が平安貴族だと思っていたら屁負い比丘尼に見えるし、自分がアーサー王だと思っていたら影武者にも見えるかも知れないし、近代的なミステリーが好きなら冤罪を目論む完全犯罪者にも見えるわけです。

こうなると、相手をいかように受け止めるかは歴史や逸話から学ぶことは容易ではありません。

だから俺はとりあえず自分で剣技を磨いたら謀反も潰せる新時代の織田信長像が単純明快で憧れたんだろうなと自分で納得するわけです。


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