今日のカプエス2その2のその2(勝つまでやっといた)

豪鬼・ガイル・ベガでワンコインオール。

朝の1回はゴッドルガールに負けてコンティニューせずゲームオーバーとしたが、悔しすぎるのでテレビ番組「スッキリ」が終わってからもう1回やってクリアしておいた。

右向きのベガオリコンが少しづつ良くなってきている。しかし3キャラなのでベガが上手くなってもガイルの腕が落ちたり。豪鬼は何ていうかもう、全て見直すことにした。

コンピュータの苦手を突くパターンはあるのだが、それでは安定で上達しないと思い、対戦風にスキの少ない逃げの立ち回りをするとコンピュータは理想的な攻めで崩してくる。将棋でいうと昔のコンピュータ将棋は定石通りに打つと強いみたいな話だ。

少し横道を逸れるが、ストIIブランカも対戦ではリュウやガイルに待たれると飛び込めないが、コンピュータにそれをされるとブランカでは絶対に勝てなくなるので、ブランカのコンピュータ戦はブランカが何も考えずに飛び込むとコンピュータがガードも対空もせずボコッと食らうように作られていた。まあ、対戦でもブランカの速いジャンプを見切って昇竜拳出来るのは達人のみ、普通はボコッと食らうかガードするので目一杯であるから、ストIIターボくらいからコンピュータのパターンはどこか人間を模したものだったと振り返る。

これはカプエス2でも引き継がれた所があって、豪鬼で定石通りに進めると相手の反応は賢いが、ブランカで飛び込むと相手はボコッと食らう。実は豪鬼でも普通に飛び込めば相手がボコッと食らうことはある。あるのだが、対空してくるパターンも有り、飛び込んでみて当たるや当たらざるやという戦い方だと運が絡むのだが、待って定石通りに進めて相手が賢い動きをしてきてももっと正確に戦うと勝てる。その練習をしていると、元々バクチであった飛び込みどころも鋭くなってくる。どうだろうな、その飛び込みどころも対戦の達人なら返すかも。

今日のカプエス2(2週間カプエス2を断ってみて)

2週間ぶりにカプエス2をしたんですね。昨日の晩と今朝と。

昨晩は負けてコンティニュークリア、今朝も負けて電源切るとTV番組「スッキリ」にロックバンド「黒夢」のボーカル清春が出ているところで2曲聴けました。

なんというかね、負けれるようになった。たぶん負ける準備が出来たんでしょうね。

俺は22歳で就職したけど、あの時はまだ公務員は世を忍ぶ仮の姿であって自分はゲーマーだと思っていた。プロゲーマーとか無かったし、何かして食わないといけない。それは分かってるつもりだった。けど「働きながらゲームも」となると借金してでも働かないでゲームばかりという人に勝てなくなり始めてた。その現実は直視できていなかった。彼等の中からプロゲーマーが出た。

それから、仕事を頑張ってプロゲーマーより稼いでやろうと考えてしまった。しかし給料制なのでいくら働いて少し給料が増えても賞金制や年俸制に額面で勝てるはずもなく。個人事業主として取り組んだ仕事は失敗した。

けど、冷静に考えると22歳ってストZERO3やストIII3rdにKOF'98とか遊んでて、プロなんて今考えたらなれっこ無いくらい下手だったな。就職したからお金が貸せて周りの人が負けてくれているだけだった。30代で職場の人にゲーセン通いを止められて、家でゲーム機で遊んでお金貯めたほうが良いよってなって、ひとりでやりだしてから10年くらい経つんだ。

その10年の中でもゲーセンに行かなくても大会に出なくても「もし出たとしたら勝てる見込みのあるキャラ」を練習していた。

それが昨日と今日は最初に使っていた豪鬼とガイルに2年くらい前から始めたベガでグルーヴはオリコンのAグル。格闘ゲームって展開が早くとほんのちょっと60分の1秒の目押しが60分の1秒ズレるだけで勝ち確定が負けになったりするんですよね。

楽しいことなのか辛いことなのかも自分では最早分からなくなってきてる。ただ、今までの人生考えるとゲームに全部賭けたわけでなく、少しずつゲーム以外で食える道を探して何分の1づつだけど、そっちを貯めてきたんだよな。負けても食える保険を掛けてきた人間が勝ちだけを求め続けることが出来なかったとでも言うか。

そのせいか、心のどこかに情熱の燃えカスみたいなものが残っているんだよな。

その燃えカスをこれからの人生でどう消化してゆくか、どう付き合っていくか。

多分そういうことなんだ。

目押しが1フレームズレるだけで結果が白黒反対になるって厳しすぎるとは思うよね。ギターならズレようが間違えようが聴ける。名演というのも少しの狂いで台無しになる孤高の作業というようなものでも無いとは思うんだよね。

そう考えると、ゲーム大会でも優勝者以外にそれを引き立てる脇役の人々も目押しのミスで負けるなんてのはどの大会でも見受けられる光景なわけで。

負けは負けで取り返しのつかない地獄への片道切符ではなく、そういう試合なんだと思えたらちょっとは気持ちが楽かな。

2週間カプエス2を断ってみて、パソコンでストリートファイターを作ってしまった。どうしてもまた遊びたいと思った。中毒かもしれない。1日1回20分位でそれは満足できる。

今日は負けたところで電源を切った。この数年で2回ゲーセンに行った。1回は300円と決めておいて、負けて終わったらリベンジは考えず小銭入れのチャックを閉めて帰った。もう1回はフリープレイイベントだったけど、それも閉店までやらずに持論どおりに五分五分くらいになったところで序盤の負け越しを取り返そうとは思わず、きっとこのまま続けても負けを取り返すことはなく五分五分で推移するだろうと思って引いて松屋牛めしを食って帰った。後ろからホストの兄ちゃんが来て人数分の持ち帰り牛めしを頼んでいた。

牛めしがお百姓さんの育てたお米に生き物である牛の肉、鍋の隣で暑いのにかき回して味付けしてそれで味噌汁がついて280円なのにゲームの映像は対して変わらないのに操作の如何とプログラムの判定で負けたことにされるのが許せなくて台にお金を入れてしまうの300円でも信じられないくらい高いんだろう。サラリーマン成りたては2000円でもすぐだった。

家で遊んでも100円はいらないけど、勝っても誰も100円は払ってくれない。つまりは店で彼奴等から100円を取り上げるのが目的だったのではなかったかと。

まだまだ、お金を全部取り返すには辛抱がいる。下衆な考えかもだが、資格を取って給料をもらうという安定の道を選んだ俺はあの時は自分が最後に笑うんだと思っていて、プロゲーマーが笑うシナリオというのは許すことが出来ず、もし落ちぶれたと聞いたら人の不幸は蜜の味で昔に自分がいちばん嫌っていた病院の待合室で女性セブンを読むようなおばあちゃんと似てきたのかも知れない。公平とか平等とは決して思えない。それが本音だろう。

 

俺は大会優勝くらいなら経験があるがトッププロではない。それでもこの田舎町では「勝ちすぎ」と言われる。カードゲームにしても「高いものの見せびらかし」と言われる。その文句に負けてわざと負けてやることは出来た。そうすると、ものすごい負の感情が芽生えるそうすると、負けていた彼等は「負けるのがそんなに嫌か」と咎めてくる。待てよと、彼等とて負けるのが嫌だから「勝ちすぎだ」とゲームで勝つための努力でなく本人攻撃に転嫁したのだろう。

そう考えると、彼等の言い分を聞く理由などこちらにはないのだ。公平や平等を訴える左の人が富んだものにたかってお金を取ることは合っても一斉に被災地にボランティアに行くなど聞いたこともない。富んだものの役目として本当に貧しい人を助ける務めがあることは分かるのだが、ただ声を上げて楽をしようとする大衆の話など聞いてはいけないのだ。

今日のストリートファイターII制作(遊べるようになりました)

ゲームを作る上で絵を描くのは必須なんだけど、楽しい分量と面倒な分量があって。

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描き終わった絵でプログラムいじりだけでどれだけ遊べるようになるかやってみた。

基本的にゲームは絵とプログラムの両輪で進めたいが、全部自分作業だと好きなように。

最初の頃は自分のパソコンでゲームを作るそれ自体の面白さに夢中で、スペックマックスまで作ったから新しいパソコンを買うためにお金が欲しく雇われプログラマとして働く道を選んだはずが、いつからか「売れたい」という邪念の虜になっていた気がする。

ソニックブーム波動拳とジャンプキックが出来たら対空もロケッティア出来るわけでストIIの俺の持論の「弾ジャンケン」としては既に遊べる気はする。

あとはまあ、普通のゲームより多めの6ボタンで繰り出せる多彩な技がストIIの売り出しポイントだから。それでもNIN氏とAKIMAN氏を中心に数十人で作られたもの。いくらPCのハイスペック化と統合開発環境の良質化が後押ししてくれているとは言えひとりでは。

まあ、開発初期の冗談として画面に表示されるボタンをマウスで押して遊べるアニメツールのつもりだったけど、いよいよ組み込みが本格化しはじめてパソコンのキーボードと画面ボタンを連動させてコンパネ的に遊べるようにもしておきました。

 

今だから言えることは語るな。墓の中まで持っていけ。と言われても将棋コン作り出す前までストIIのコンピュータ側の思考ロジックを作るのはひとつの夢だったよね。親しい人に「そういうことがやりたい」という話をしたら「いや、あれはゲーセンで相手が人間だからやっつけてやるって思ってムキになるものでコンピュータ相手ではそうは行かないんとちゃうか」という意見と「俺とやったら楽しいと思ってもらえる自信あります」と振った話に「お接待?それならボクはコンピュータ相手に遊ぶだけで充分に面白い」という意見もまたもらったわけで。

これから作り込みを深めるとコンピュータ操作キャラの思考ロジックも手中に収まるというか自分で作って手中に収めると言って適切かは分からんけど、既に虚しさを感じ始めてる。

 

SNSで色々の人からもらった癒やしのエネルギーを全部ストリートファイターIIの再現という負のエネルギーに変えちゃったよね。まだまだ心の内には浄化しきれない負の感情が渦巻いている。プログラムを書いて絵を描いてゲームを作っても消化できないこの感情の根っこにはゲームの内的な複雑さを少年時代に遊び手として感じ取ってしまったが故に「子供のおもちゃ」とか「勉強の邪魔」とする多くの外敵から浴びせられた言葉のトゲがまだまだ心を血まみれにしている。

 

見返してやりたいという思いが原動力なんだけど、俺が認めているそれそのものでも取るに足りないと捨てる人がいるわけだから、さらにそれに劣る仕上がりのものを作ることをもってして見返すことなど出来ないことは作っている自分が一番良く分かるわけで。仕事すると余計に辛い。

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なんだかんだ今までの職歴を振り返ると情報処理技術者の資格があるので公務員のように出勤してタイムカードを押していればお給料が入ってくる。それでもゲーム業界で働きたいと願い、何社かお邪魔させてもらったけど、ゲームの骨格ができて設計とコーディングはおしまい、あとは作り込みでバックなどここから煮詰めて面白く出来る!というところでそれなら残ったスタッフで充分できるから遊ぶなら元のお給料が出る仕事に戻ってもらわないと会社がしんどいという話になって、その理由が高給だからなので給料が上がったことを一度は悔い、給料を安くしてもらって下請けの会社に戻してもらったことがある。

いまは基本的に自宅仕事でお金のことは自営業の親父に任せっきりだ。持続化給付金も家計の助けにと全部親父持ち。親父は仕事を休んでゴルフに出かけた。家はあるしメシは同じものを食べるし新しいパソコンは調達したから特にそれ以上欲しいものはない。強いて言うならパソコンで自分でゲームを作って遊ぶのとハイスペックなPS4やスイッチを買うのとどちらが楽しいか、ということくらい。

自作のストIIには影と名前表示を追加した。あとガードポーズとガード処理。残りは中攻撃大攻撃のグラフィック、サマーソルトキック昇龍拳竜巻旋風脚、飛び越した時などキャラが入れ替わったら振り向く処理。

ストリートファイターIIファイナルファイトの売上を消化するために赤字で開発されて、ストIIターボで利益回収したのではないかと情報筋から聞いている。2年もかけたら出来てしまいそうだよな。2年間たゆまなくモチベを維持する仕事の仕方が身についていれば、だが。いま3週目で将棋や麻雀は3ヶ月缶詰で作ってそのまま放置している。作って燃え尽きた。早く売ってお金にしたいと焦って品質向上すれば本当に売上に結びつくかと先に考えてしまい作業が手に付かなかった。

お金にならないオープンソース開発をしているのは呑気に構えすぎているかも知れない。既に公開してから多くのクローン利用者が増えているのは分かっているのだが、俺に直接的な実益となったりクローンされたカウンタ以上の手応えのある跳ね返りはない。むしろソースコード類の公開により俺の内在的だった知識はクローンで共有され、競合が増えて仕事の単価は減っている。これはゼロサムに独占利益が社会利得となっているだけの話。この勢いで3DCG業界も値下げされるのは時間の問題なのか、俺が余計に動かなければ暴利を貪り続ける奴らをみすみす見逃す格好となるのか。

基本的に左寄りな人間関係の中で生きているので、嫌儲とまでは言わないものの、まだまだパソコン本体なら商品として仕入れて買ってもらえてもソフトにお金を出してくれる人がいない。他社の見積もりなどを見るとかなりエグい値段に思えるソフトがあるのだが、それを自前で同等品に迫ってもお客さんが居なければ売上はゼロになる。製品がヘボくても押し付けてくれる営業がいれば売上は出るのだが。もし2年後にストリートファイターIIと同等品が出来ていたとして品質だけでは売上が全く無いということも有り得るだろう。

人を雇ってお給料を出すことを考えると、エグいと思える他社の見積もりは妥当な価格であって基本的に親から引き継げるものがあるのを前提に自分でソフトを作って価格競争を仕掛けるのは社会と親の両方に甘えた行為なのかもしれないな。


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