命の価値の矛盾「あなたはお金をいくらもらったら死にますか?」

昨日のブログで生命保険の支払額と最新鋭の軍事兵器を比較して兵器が高いと書いた。

賛否と言うより理解不能で矛盾しているし命を軽んずるなんて愚かだとか、そういう罵声を浴びている感じがして悩んだ。「命の価値がいちばん高いなら損害賠償100兆円でもいい」という人だっている。では、その100兆円はあなたが死んだとして誰がもらうのか。

それこそが生命保険のトリックのようなものである。あなたが死んだら、あなたはそのお金を受け取ることは出来ない。恐らく受取人は配偶者か子孫にすることが多いだろう。命は1代限りのものではなく子孫に永遠に継がれることによってその価値が高められるというような発想から自分の命より子供にお金が渡るようにと吹き込まれて、月々の給料から保険料が差し引かれているのだろう。

それとは別にこう考えてみてはどうか。眼の前に日本刀があるとしよう。あなたと誰かのふたりで素手でお金はいくらか持っている。脇に売人がいる。あなたと誰かは競売された刀を巡って争っている。そこに法はないとする。刀を買い取らなければ切り捨てられる恐れがある。刀を手にすれば相手を殺す必要はなくても身は守れるし、なんなら売人を切り捨てて競売金を取り返すことすら出来るかも知れない。

「命の価値」という考えについて、俺は以前「人生の意味」というのも「人生」という捉えがたい単語に「意味」という言葉の出口をつなげることで少ない文字数でとりとめもないことを考えさせる言葉であるという風に説いたことがある。命とは何かについても、おぼろげにしかわからない。そこに価値というのは市場があって交換がなされることで実定することであるから、命を買うなんてことは恐らくは出来ないから普通は詐欺に該当すると思う。

ペットを買う、奴隷を買う、スーパーで死んだ豚や鳥の肉を買う。普通肉を買うのは命を買うとは言わないが、仏教の影響が強い日本では命は尊いものであるから豚肉も命を頂いているという風に解釈されるかも知れない。

俺は若い頃に勤めた会社でひどい仕打ちを受け、経営者が「奴隷を買ったつもりなのに口答えをした」とでも言わんばかりの態度で接してきたが、親元を離れそれに従って生きるしか術がないと思って辛い目をしていた。それから会社を辞めて浮浪者状態になったこともあり、今でこそ生活費以外にマンガや玩具を買って余暇に浸る余裕を取り戻せたが、もし子供の頃に玩具やマンガをいちど楽しんでいなかったら、もういちどそういう風に生きられるという希望を持てずに自ら命を断っていたかも知れないとも思う。

俺は俺の命が他人から見て幾らなのかは及び知らないが、大切にしてくれる人とむしろ奪ってやりたいとすら思う人の両方がいるかも知れないなとは思う。


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