いつが始めなのか客観的には分からないという話

 俺はこうしてブログを書いているし、プログラマをしていた時にはデバッグから関数設計からゲームシークエンスに画面設計など色々な仕事をした。しかし、大勢の人がごった返す作業現場では誰が仕事をしているか外からは分からないものである。俺はフツメンで背が高く会社が小さい時に営業活動なども自分でしていて、そしてプログラムの本を良く買って勉強を続けていた。だから、本から写したものを口でうまいこと高値で売っていると思われたり、本からでも自分で書いたと思われるのはまだ良い方でコピーで済むものでお金を取っているとも言われた。

 当時はそれに腹が立ったが、アリバイ操作のように対外的にコンピュータシステムを隠してデータを得るIT業界においては新規開発者というのは有り難がられて当然と踏ん反り返っていたので、ただただ偉い役職の人と取られ始めてそうなると周りの人が下手に出るのでまんざらでもなかった。そうするうちに、何故偉くなったのかは忘れ去られ、やがて登った梯子を外される。

 頑張って仕事すればやがて証明されるなどと考えたのは完全に甘えで、テレビで冤罪被害者が弁護士に助けられたりするのは氷山の一角で、泣き寝入りならまだ良い方で収監されている無罪の人などメチャメチャ大勢いるかもしれないと近頃は思う。

 コンピュータが自動で会計処理をするようになっても、会社会計は時間給労働なので、とりあえず権益で儲かった分を給料として配分するためとか、機材の見張りに警備員が雇われるように、とにかく仕事のないおっさんを取っ捕まえてソフトウェア会社に通勤させ、タイムカードを押させてその給料をばら撒いて消費して経済を回してもらわないと社会機能の一部が硬直してしまうのだ。

 もちろん、テレワークやもう少し古いとフレックスタイムのように制度を改めようという先進的な会社もある。だが、露骨に街を闊歩する自由な人が現れて町人から「なぜ金を持っている」「それはITという新しい既得権益である」となると、対抗勢力が増えることも懸念して、皆さんが肉体労働でお勤めの平日昼間は出社しないならしないで家で引きこもって大人しく目立たなくしておれ、という上層部の采配なのであろう。元来労働より事務は楽だと思うが、それまで機械化され、機械工場や時間給労働者が黙って働くにはそこまで得をする奴はイチャならねぇ。

 押して、コンピュータ技師として、新しいものを作りたいと思うと、まず現在世の中に何があってどうすると新しさが打ち出せるのかということを学ぶのに途方もない時間がかかりそうである。若い頃はまず作ったが、作ったものが他社の特許製品で自分では新しいものを作ったつもりが損害行為や利敵行為になることも経験した。

 そして、そういう能力があるなら小さい会社ではなく既製品を売っている大企業の傘下に入らないかという話ももらったが、俺が今の会社を選んだのは小さいから一緒に頑張って大きくする夢があったということも多少なりとも忘れてはいけない要素で、権利収入を分けてもらって歯車になるとそれ自体は良くても自分のやる気が反骨精神からくるものなので、性格から動機から、何から何まで組織人に組み替えるのに相当の摩擦があった、外的摩擦だけではなく内的葛藤もいっぱいあった。

 小さい会社を大きくする夢はそうして自分がトップのまま組織を大きくできたらトップになれるという点も外せなく、会社が小さいまま大企業の傘下になると出世はある高さで頭を打つことになる。しかし、小さい会社を大きくすると言っても数多の労働者は大企業の傘下に入ることを望んでいるので、結局は労働者として商品を作って成果を出すより経営者の交代というか、どこまでも労働者と経営者という労使関係の中でできる出世というのは限られる。

 大きな夢を持つ割にプログラマとしてはファミリーベーシックの作品投稿で雑誌に載り任天堂の傘下に入った「ファミベのよっしん」がひとつの成功事例として刻まれ、たぶんインベーダーかスターゲイトあたりから来ているグラディウスの模倣であるザックナー2を目指しているようでは企画者として後ろの方だとは思いつつ、ファミベのチップとJava言語で作った自作のグラディウスの動画が俺のネットの仕事として出しているところで一番の当たりだ。

 新しいゲームというとドイツのボードゲームなどを参考に新しい思考ロジックが求められる新しいルールを考えた時期もあったが、そうなると人工知能や競技プログラム関係の課題設定という問題になる。それ以外には新しいゲームというとソニーのプレステの新型のデモになるデジタルアートとしての新規性という話になる。

 それでまあ、昨晩は遊戯王を夜更かしして遊んで寝たら起床がその分遅くなって自分の時間の有限性に気付き直したのだが、書店に注文した美術の本が自宅に届く頃には自分で忘れたとしても、美術的な新規性みたいなことも近代アートでやり尽くされて多くの芸術家が苦悩しているだろうかと思う。

 その意味で注目されるのは、作者本人の無知からの独創を買う人も何が新しいのかわかっていない時に起こる社会現象みたいなものだと思う。俺は戦争の映像にそこまで痛みは感じない方なのだが、ウクライナで芸術学校が爆撃を受け、歴史を持つ教会が戦地に巻き込まれそうというニュースには心が傷む。それが俺の心の根で大事にしているものなのかもしれないなと思った。


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