アクロイド殺し9章まで読んだ

 久しぶりに読書の気分になってもう何年かけて放っているか分からないアクロイド殺しを栞から少し巻き戻って9章を丸々読んだ。ミステリィも飽きて犯人もどうでもよいのだが、まあたまには本でも読まないと頭が腐ってしまう気がして読んだ。小説でない本は読んでいるから、本を読んでいないわけでも無いけどセリフも無い本ばかり読んで人と話さない生活だから作中人物の会話を読んで人となりを想像するってことはしていないわけで淡白な人間関係になりがちなのよね。

 ただし、セリフが面白いから付き合っていた人間のいくつかが他人の言ったことを覚えてそのまま俺に言うと聞くので面白がっていただけで当時の俺が相手に対して期待した知性はカネを持っていることから借りようとか探ろうとしていただけで、近づくためにセリフを覚えてそういう知性を持ち合わせていたのとは違うのかもなと今更に考えたりもする。本を読む人間の割合は当時の俺が思っていたよりずっと少ないわけで。

 あと昨日と一昨日に全く忘れていたギターの練習もした。浮かんだメロディはファイナルファンタジーのレベルアップのファンファーレに続くステータスアップの音楽。

 音楽と呼ぶにはあまりに短いフレーズの繰り返しではあるが、俺の音楽原体験って結局はファミコンなので、ファミコンの曲がピアノで弾けたらあとはテレビの歌モノ。それにCDやらウォークマンで聴きこんだ90年代のJ-POPのごく一部だ。

 音楽家としては完全にネタが枯渇していると思うし楽器も上手いわけでも無い。下地の弱いところからはそれ以上伸びないとすると、これからまた吸収も必要かと思う。

 それでもやり残したとかやりたかったと悔いることは無くなったので、あとはもう時の流れるままにぼーっとしたり、やりたいことが見つかるまで遊ぼうかなとも。

 まだ決まったわけではないけど、ソフトのダウンロード数とかブログのアクセスも減少傾向で、今まで通りの投稿生活からゆるやかに引くことも考えるっていのをこうしてブログにしてまたアップしようとしてんだから、今までのぶんの人気でも鳴かず飛ばずだと思っていたけどあっただけマシなのかも知れないなと思いなおしてみたり。

 ゲームを一緒に遊んだり語り合ったりする仲間はいなくとも、俺の住む町には働いている人も買い物している人も観光に来る人もたくさんいるわけで。今までゲームのことを分かってくれる友達が大事であとは映画のエキストラみたいに烏合の衆みたいにおもってたんだけど、実はその「その他大勢」が俺の生活を支えてくれていて、その感謝を持つと、一見して親しい風でも特に何かもらえるわけでもない関係を大事にすることが人柄のようで考えが至っていなかったのだと思い改める。

 そうすると、ブログだってそうかもしれない。読んでもらっても取り留めのない事も多いわけで、読者の作品に取り込むネタとして利用されているだけかもしれない。それでも、そこから何らかの作品が出来て作中人物に自分と重なるものがあれば跳ね返りとしては面白かったわけで、そこにやってきたことの意義は見出してはいるんだけど。

 考え方は昔と比べて簡単になったと思う。相手の人格をセリフと読書から組み立てて人格を想像して語り掛けるのではなく、用事を伝えるにとどめる。そこにはごはんの支度とモノの売り買いが基本的な用事で、ゲームの相手はコンピュータになり、そこにはゲーム理論とそろばんを基本に考えるわけで。想像していた人格ってやつが、俺が勝手に組み立てただけのもので相手はそうではない可能性だって多分にあるわけだから、やりくりの金額が決まっている以上は損得で付き合うのが実は浅はかなようで思慮深く、ケチな人間を「浅はかだ」として大枚をはたく人間を褒めそやして金をせびるのが町人の付き合い方なのである。

 ハイソーシャルなどと言っても土台は生産性のない仕事に従事している人間なのだ。

 それでも付き合うに値する面白みというやつを求めるなら、それは市民が劇場に足を運ぶのと同じように芝居を打つ人間の演技力であり、機械化の進んだ退屈な世の中で古典的な人間劇でも見ないと人間味を忘れそうになるからだろう。

 それを別の方法で満たすのが芝居の脚本のもとである小説をそのまま読むことであり、本を読んでいる人間が少なくともテレビでドラマを見ている人間はたくさんいるので、芸能人の話やドラマの話をすればそれでも会話は成立したりもする。

 そうすると、誰も読まない本を読むというのはいささか時代錯誤な趣味であり、そんな道を選んでしまったもの同士が同好の士となるのも分からなくはないが。

 とりわけ俺の場合それが小説である以上に8ビットや16ビットのコンピュータゲームだったって話なのだろう。そして32ビット時代より後はたまに遊ぶけど誰かに用事を求めるほどでも無いものとして付き合っている。

 アクロイド殺しの10章は恐らくまた後日読む。本をどんどん読んで新しい本を求めるほど知識に飢えているわけでも無い。ちびちび読んで、読了したら片付けるだろう。


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