ストIIターボの人

 SNSなどを通じてストIIターボのコミュニティ以外から俺「ミヤザワ」の事を知ってもらったとして「ITの人」「ゲーム作家」「ギタリスト」んー、全部違うな。

 ここはやはり「ストIIターボの人」では無いだろうか。

 いやそれも順序が違う気がする。ネット検索でストIIターボのダイヤグラムを検索するとこのブログに引っかかって、しかる後にブロガーである俺の駄文を読まされたという流れで、ストIIターボを契機に俺「ミヤザワ」を知ってもらっている。

 それをSNSでひとりの人として俺「ミヤザワ」を見つけてもらったのに、その人をひとくくりに「ストIIターボの人」とされて如何なものかとは思う。けどまあ、既知の友人関係はほとんどストIIか餓狼あたりから対戦やカネの貸し借りにメシにオフ会というあたりでつながっていたことも事実だし、辞めちゃうと何でもない人でもある。

 情報のアクセシビリティに於いて、ストIIターボのダイヤグラム以前に日本の津々浦々にゲームセンターがあって、インベーダーが流行ったあと寂れて隠避な喫煙所となったゲームセンターに突如現れたストリートファイターIIってストリートファイターがあってIIがあるわけだから突如では無いかもだが、誰かがひとりでゲームをしている台の反対側の台にコインを入れて始めると、相手の台とこちらの台が通信でつながって、相手の画面で自分のキャラが、自分の画面で相手のキャラが動き、互いに勝ち負けを決め、勝ったらストーリー継続して負けたら立って帰るかコインを入れてリベンジという日本の賭博禁止の抜け穴すれすれのヤバい遊びが日本にあった。

 それはあまり取りざたされないまま健全に家で遊べるスーファミストIIが300万本を売り上げる大ヒットで、その大会が国技館であって、部活も勉強もイマイチ冴えない高校生が突如学校に休暇の申請を出して新幹線で奈良から東京に。今からでも説明しなおさないと、周囲の人も奈良のゲーセンの人も東京の国技館の人も何だったか分かっていないようなイベントだったはず。

 あまりに没頭して周りが見えておらず、気付けば業界が出来ていて界隈の人から知られている。親元で家でゲームをしているだけなのに遠方から宿泊に人が訪ねて来たりして単に「友達だから」と言っても何友達なのか。「ゲーム」のひとことで片付けている間に「もうゲームなんて悪い方に引っ張られるだけだからやめろ!」と怒られる始末。

 それでお金の問題もあるから、賭博すれすれのゲーセン対戦からは足を洗っても、まだまだひとりで家でストIIを遊んで、最近ではそんなゲームもあったよねと過去にする選択も考えるんだけど、それでも俺の知らない人からでも俺を分かるトレードマークとして「ストIIの好きな人」というのは受ける誤解があるとしても、理解の第一歩だと思う。

 ストIIで米遠征したこともあるし、カプコン株を保有したこともある。何とか商売に出来ないかと画策したことも無いわけではないけど、作って売る以上のそれにまつわる上手い商売があるわけではなく、3456と出た続編には楽しみ切れない部分もあり。

 それを喰いぶちにするプロというわけでもなく、商売でもなく、それでもゲーセンにストIIが置いてあったらコインを入れて始めてしまう、そんな日が長く続いてたわけで。まあ19の時はゲーセンのバイトって言っても仕事は基本掃除くらいなんだけど、台のメンテや基盤の入れ替えにインカムの勘定なんかもやってた。2店舗かけもち。

 そんな俺ですら2024年になってもブログに「ストIIターボのダイヤグラム」という記事を目当てに人が来ることに驚いていて、SNSで言うと当時刊行されていたゲーメスト編集長石井ぜんじ氏とかが出てくると、そりゃもう知名度とか全然敵わないわけですけど、まあそこに対して俺も「ストIIの人」として張り合うのかという取捨選択は悩んでます。

 商売として、雑誌編集とか大会運営で周辺業界として仕事をしている人がいる中でひとりのプレイヤーとして、ゲーム理論の研究からストIIの戦略性やゲーム性を見直すという立場を取ろうとしているわけです。まあ「ストIIのヒットはゲーム性ではなく映像や音声でしょう」と言われるとそうかもしれませんが、コンピュータを相手するゲームではなくゲームセンターで人と戦う、見知らぬ人と手を合わせるという体験は新鮮でした。

 それはつまり10代の俺に部活とかバンドの経験よりストIIの世界が広がっていたからに尽きるわけです。今では「ITの人」「ゲーム作家」「ギタリスト」のなろう系としてやらせてもらってます。既になっているという自覚はストIIターボを卒業できるかみたく、自意識の中ではなく他の人から見て判断されて初めて付いて来るステータスかなと。


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