将棋開発とかOSSを部分的に休止してゆく理由

 ネットをしている上でOSSをしているというのは協力的で好感度が高く社会的意義も大きいとは思うが、部分的に休止することとした。良いことづくめだったのに何故か。

 個人的に俺は専門学校を卒業していて、大学卒と差別されることがある。また、婚期を逃し46歳で独身である。

 2ちゃんねるの「ひろゆき」は対談におけるディベートで強いのが有名だったことがあるが、俺も何かで人を良い負かして敵に回し、後から悪口を書き込まれることも多かった。文壇では負けない、論点がずらされているなどと後から書かれるのである。

 だがまあ、大学を出ているという事は2年多く勉強していて、あと2年くらい考えたら、彼らの方が正しいのかもしれない。そう思って、いちど負けてみることにした。

 まず、大学を出ていない事と結婚していない事は別々の問題であり、個々に負けを認めるべきである。大学を出ていないというか、大学に入れなかった、受験で負けたという事。このことに対して、大学があまりモテずヤンキーがオシャレでモテた時代に大学が卵子精子などの生命の根本的問題に迫る時に「試験管ベイビー」という言葉が流行った。愛や情で人の親になるのではなく、ただ女性の卵子に男性が精子を入れたら子供が出来るという今では高校の生物や保険体躯でも習う考え方だが、非倫理的だった。

 だからヤンキーとしてそれはそれで恋愛結婚していれば、大学は出ていないけど結婚して子供はいるという交換条件を成り立たせることで劣等感を持たずに生きられる。

 ただ、俺は半端に専門学校を出ていて資格も持っており、ヤンキーの仲間に入れなかった。そのことも結婚と直接関係あるわけではないが、専門卒で会社に入り給料をもらってカネで何したことがある。倫理的には恥ずべきことだろうが、そういう店がある以上は利用して良いと思っていた。また、店で一緒になった女性が案外と可愛くて、恋愛結婚ではないが情を持っていた。だからまあ、そのことに釘を刺して出世競争となった時に「アイツは買ったんだ」ということを裏で回されて、女性の中にはそれを知って危機を感じて交際が破綻したケースも考えられる。それでも会社でもらえるカネは案外強く、夜の街で捕まえることを考えていたこともあり、そういう不埒さを「結婚という社会通念に縛られない自由な生き方」という風に意気がっていたこともあった。

 ヤンキーに成れない以上は試験管ベイベーなのかというとそんなことは無く、最近では私大などはオシャレで大学で交際して結婚する人も幾らでもいる。そんな彼らは結婚できない俺の相談に乗るふりをして皆で口裏を合わせ「彼女は大学で出来たなぁ」と自慢する。このことが大学を出ていない事と結婚できていない事、別々の事ではあるが「大学を出ていないから結婚できない」という風に結びつける心理トリックとなった。

 生物学的に種の起源から考えて、子孫を後世に残すことこそが生きる意味である、とすると、結婚できない事は完全に負けである。この事は子供が埋めなくなったアラフォーアラフィフ女性には相当シビアな言論ではあるが、前述のように学問の中でディベートに負けたものの仕返しとして、かなり正論であるかのように流布された。

 生きる意味を子を残すことと、子を残すことを勝ちとすること、そして世代交代で優秀なものが生き残り種を進化させることは優生思想でいちど打ち立てられ廃った論理だ。もう一度言うと、俺は大学受験で負け、まだ子供がいない。もしこれが大学受験に勝った者だけが子孫を残せるという風な論理になると学力を基準としたかなり危険な優生思想の蒸し返しとなる。

 それで俺は大学は出ていないが専門学校は出ていたので、コンピュータ業界一今風に言うとITでひと旗上げることを考えた。だが考えてみよう、カネを稼ごうとしたのだが、既に会社に入って給料をもらって店で女を買ったのだ。これも危険な蒸し返しで、もっといい女を抱きたい、そのためにはもっとカネが要るみたいな考え方だ。

 それで、会社にも女性がいることはあるけど、コンピュータ系企業で自分が魅力的だと思う女性となかなか一緒にならない、同僚は夜の街で遊ぶのに誘ってくる、高いカネもらってんだからカネで買えば良いじゃないかと誘う一方で、自分たちが遊んだのを棚に上げるために「アイツは遊んでいる」と言いふらされる。罠にハメられている。

 そういう会社に嫌気がさした俺は、何らかの事情で会社員でなかったり、会社はコンピュータ関係では無いけどプログラムが好きな人とネットでつながれるOSSに夢中になった。純粋にソフトの研究がしたい場合に大学でする道もあるがネットで新しい可能性を探ったのだ。

 それで、なぜ辞めたかと言うと、俺が大卒既婚を恨んでいることはこれまでで良く分かったと思うが、OSSが純粋に研究開発の動機で参加する人ではなく大卒者に利用され始めたのを嫌っているのだ。ソフトの発展に貢献すべく続けるべきだとする考え方もあるが、それなら高校無償化のように大学も無償化してほしいし、その教えもネットで広く享受できるべきであって、コンピュータソフトの技術だけがその対象とされるのが公平平等の論理ではあるが、不公平だと思う。

 今は問題を解決するために、婚活をするべきだと思っている。書いてスッキリした部分もあるので、また気が乗ったらOSSは再開するかもしれない。ただ、許してしまっては甘いのではないかとも思っている。報復として暴力や破壊的行為がよぎるくらい憎かったこともあるが、平和的に建設的に解決する前に利用されて悔しいと思うOSSを閉じるところから行動に移したのだ。


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