どうにか生きてます

 今日は通院日だけど寝坊と朝から鬱。しかしその鬱を治すべくお薬をもらいにいく通院日なので、どうにか親父を起こして75歳の運転で病院まで送ってもらう46歳。

 そして窓口でマイナ保険証の読み取りが上手く行かず、無保険で診察。お薬代は4万円オーバーの請求。とりあえず休み明け月曜でお役所で手続してやり直すと保険適用で再計算になるかも、ということで診察代とお薬代の支払いを待ってもらって帰宅。

 お昼はコンビニで汁なしラーメンと爆弾おにぎり。そういえば病院での体重測定は烏龍茶をひと月飲み続けた結果か、76kgと先月より2kg減。身長が182cmなので標準体重+4kgと言ったところか。お腹のぷにぷにがマシになったか。

 家に帰って懐かしいCDを物置の奥から見つけて聴く。まあね、思い出なので公表は控えておく。高校生の頃を思い出す1枚であった。生きていれば良いこともあると思えた。しおれていた感性が少し戻って、しかし恋歌など思う時、めぼしい相手がいたかというと盛り場や風俗などで仮想体験ではなく実体験ではあるがこちらはカネで相手は芝居という体から、まあ俺も若い頃だったし情が移るなんてこともあったかもだが、褒められたものではない情けない過去を恋歌でいちいち蒸し返すことも無いかと思う。

 その意味では40代になってからの方が病人ではあるが真人間に近い気もするが、引きこもりではある。スーパーに弁当とかパンとかカップ兼を買いに行くくらい。

 何もない生活だから、歌謡曲という芸術と娯楽の間にあるようなもので仮想体験を楽しみ、そして高校の時にそれは未来への妄想で、今はそれが過去の反省として想像を働かせて世界を補完して楽しんでいるのだろう。映像芸術ではそうは行かない。音だけだから、映像を想像できるのだ。映像を想像するその感情は音楽に支配されていたとしても、だ。

 またタバコを吸って、アイスコーヒー、烏龍茶、緑茶などを1本吸うごとに100mlずつくらいちびちびとマグカップに移して飲む。このマグカップというやつがかつての悪友のおススメで、何なら器が大きめなので顔に近づけて飲むと子供に見える視覚効果を持つ、まあ背の低い人が細身の服で写真を撮ると背が高く見えるみたいな話と同じで、俺は背が高くフツメンと油断して慢心していると、オシャレに対する認識で20代には大きく負けていて、そこらへんも含めて婚期を逃したのは運の良し悪しではなくライバル視されていた周囲の陰謀の渦中で、実は昨日も俺のお気に入りの帽子を親父が勝手に取って大和小泉まで散歩に行ったらしく、高校の同級生でも俺が選んだお気に入りのファッションをそっくり真似て人の多い街で来て見せて、そちらを先に見た人からは俺の方が真似ているように見えるというような策がそこかしこに張り巡らされていた。

 親父だって自信がまだあって、子供である俺の方が女の噂になっていたらつまらないだろう。母親も出て行ったわけだし、カネもあって盛り場に遊びに行ったりしている。どのくらい真面目だったか母が何故出て行ったかまでは知らないが、それでいい。

 怒る気持ちより、裏切られて心が痛む気持ちになってしまうので、その感情の総体として鬱病がありそれに対して服薬で処理しているのだ。

 健全たるには、悪い心も持ち合わせて、人間関係の勝者足りえんとすべきだろうか。極論すると殺し合いであるが、まあ現実問題として隠し合い。古来から美男子が若い女から隠されて老女に売られるカゲロウになるのも普通の事。そうではなく若くして目立ってカネもあった20代はホリエモン騒動の渦中で外を出歩けずそこで発病した。

 25歳から32歳くらいまでのことは断片的にしか覚えていない。気づけばマンションの一室で郵便受けには家賃の請求書と聖教新聞がたくさん押し込まれており、何度か母親が訪れたことがあった気がするが、母親が俺の独居の契約の保証人で俺が滞納したということは母に請求が行ったかもしれず、しかし請求書が俺当てに大量に押し込まれ母親が俺の部屋を見に来たという事は母親が払ってはいないという事であろう。

 最後はウイスキーの瓶に貯金していた100円玉を出してJRの天王寺駅まで行き奈良行の電車で実家に戻って店のシャッターを叩いて開けた気がする。30代になっていた俺を親父が息子本人であると理解するまで時間がかかり、誰だと枝狩りばさみで脅されたことも覚えているし、弟は屋根裏に引きこもって皆が寝静まるまで部屋から一歩も出ず、深夜徘徊で親父の金庫からカネを出してコンビニ飯で生きていることは分かっていた。姉は俺と親父を日本に置いたままハワイで挙式して同じ奈良ではあるが遠方に住んでいて、新しい暮らしで縁遠くなっていた(今は近くに住んでいるが)

 そんなことを思い出すのも、近所にコミュニティが無く病院の受付など人が変わり、頼みがマイナカード保険証になって手続きの不備でそれが無くなった時に密入国者の偽造パスポートであるみたいな嫌疑をかけられた時に自分でどうやって身を守るかというと、変装した犯罪者には警察は「目を見ればわかる」などと言う風に脅すのだが、困った民間人が風貌を少し変えた身分証を持っていると役所の人が「誰ですか?」となると結構にピンチなのである。

 烏龍茶で月に2キロも痩せると10年勤めている看護師さんや事務員さんなら安心した表情を見せるのだが、マイナカード読み取り機がエラーを起こした時点で新米の事務員さんなどは既にパニックなのである。

 そして夜は泥棒の可能性だってあって、安心して寝ていると朝に不安になることもある。家財道具が見つからないと、親父が探し回っていることもあって、真っ先に同居の俺に尋ねる。そのくせ、自分では俺の帽子を勝手に借りたと詫びる始末だ。痴呆が迫っているのかもしれない。

 それはそれで、保険証による医療費の控除が毎月4万円オーバーであることを考えると、俺も死んだ方が良い国の荷物ではあるが、そう思うからせめてこのブログってやつは続けよう、さらにシステムエンジニアとしての稼ぎはそれよりはるかに高いわけだが、それをOSSで公共サービスとしている。ただしそうしても実益を得られる人は僅かで、稼ぎの財源が売上高であっても発注者が公的機関だと結局は公金を食いつぶしていたに過ぎない。

 その生活で困ったことがマイナカードの読み取りエラーであることを考えると、公共サービスとしてのIT手続きってやつも結局は国民負担を軽くはしないのだろう。

 いや、それがお役所のたらい回しのたらいを少なくするのであれば、負担減か。そう思う俺に胡散臭い単語だがITスキルみたいなものがあるから負担減に感じるだけで分からない人にしたら宇宙人に騙されたようなパニックなのだろう。

 ニコニコ動画へのサイバー攻撃も関係はある。俺は大事な個人情報を額の分からないクリエイター奨励金のためにドワンゴに公開して、その後マイナカードエラーとニコニコ動画サイバー攻撃の日付があまりに近いからだ。

 それでも「俺が何者か」が怪しまれその手続きを追いながらどうにか生きていて思うのは住所氏名があって日本国民であるというだけでそれなりに生活に安心感はあり、それが外国人とか日本在留者から羨ましく、差別は医療費の負担割合など制度として厳然とそこにあり、その差別をめぐる対立が日本国民の生活不安を駆り立てる向きの攻撃動機となり得ていて、このトラブルが来月までにどれくらい立て直せるかで俺の今後とか、ひいては国民目線での日本の将来とかも、考え直す時期に来ている気はする。

 


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