「国民の生命と財産」の間にあるものを考えた

 立憲民主党のひとが国民のインボイス導入後の電気代増について触れたが。

 まあ、財産を守られても税金無いと国は成り立たないわけでそこには触れず、高市早苗がよくテレビで映されていたシーンの「国民の生命と財産を守る」というこの生命と財産だけで人間は成立するのかみたいなところから生命と財産の間にあるものを考えた。

 生命があれば人間なのかっていうと、その前段階に生命とは何であるかとかもあるとは思うけど、生死の境とか脳死とか極端なところで考えるのでなく、まあ五体満足とか障害のあるなしで言って障害があっても、生命はあるわけで。

 そこで財産というと、所持品やそれを私有化するために置いておく家屋に所持金や銀行預金に株券なども財産なわけで。

 そんで増税とか電気代などの固定費のアップは国民の財産を減らす行為だし、だからといって所得倍増計画のさらに倍、新しい資本主義とは何かというとそれは俺は個々人の幸福追求になっていくんだと思う。承認欲求とかの高次の欲求を満たす上で、おうちと衣服と食事と余暇はあって当たり前みたいな金持ちを相手にした政治だと思うんだ。

 だから文句が出るのはまだその低次欲求と言うのは乱暴かもだけど、俗にいう「当たり前の幸せ」がない世帯について、本当にお金がないからなのか、あるお金を上手に使えていないからなのかってところは俺は切り分けるべきで、使っちゃって無いから下さいってのにほいほいお金を出すような政治もどうかとは思う。

 それでも、お金は使われないと経済は動かないわけで、多数の国民が高次欲求のために芸術とかを職にして国が成り立つのかはちょっと疑問で、芸術性を発揮できない底辺YouTuberみたいのが社会迷惑ないたずらをしてしまう問題も併せて考える。

 ところで、承認欲求てのは本当に生命とか財産でいうと心理なわけで精神だから生命の方に近いもので、財産で解決できないかと考えると、お酒とかお菓子とかうまい飯とかのほうが財産だけど食っちまえて生命に還元されるわけで大事じゃないかと思う。

 また、財産の持つ意味の大きなところはその日暮らしに対して将来の安心みたいなとこはあると思う。いっぱいお金があると安心って。

 それで、先に出した社会迷惑YouTuberも結局は承認欲求って自分が社会から必要とされているのか、目立てているのかみたいな不安から来ていると思うし、壊しているものも厳密に言うと器物損壊かもだけど、それ以上に食の安心とかなんだよね。

 俺んちの話で申し訳ないけど、俺が親父に酔っぱらって「出てけ!」って言われて家出て、そん時に母さんに賃貸の保証人になってもらったんだけど、それで不動産の借り方をおぼえた母親が俺の後に家の金持って出たらしいの。

 これ、親父サイドに立つとカネ持って出られたわけだから母親が安心ぶち壊したわけだけど、俺が親父といま二人暮らしで安心して暮らせてんだけど、親父の方は預金通帳とか心配で夜中に起きてきて電気消したり、多分不安はあるんだと思うのよね。それで母親側に立つと酔っぱらってキレる親父との同居が不安ってか不満なのかもだけど、安心は無かったわけ。

 それで安心って何なのかなーて考えて、財産が安心なら、案外と共産圏も昔の貧しい中国のイメージだったけど、中国の民主化とか資本化も起っちゃってからどうかなってのは無いけど、ロシアは共産国のまま結構な金持ち国で、日本共産党は弱い政党だけど、私有財産を否定して配給が行われるその実態が「何も持たずに缶詰暮らし」みたいのではなくて、家と家財道具はあって、仕事が毎日(ここ、週3とかでも)あって、預金通帳みたいなものは無くて、それでイメージで言うとショッピングモールのフードコートみたいな、知らない人からすると社員食堂か何かみたいな、メシはそこに行けばいつでも腹いっぱい食えるし何ならチョコレートパフェでも配給で出るみたいなのって、まだ未達だけど成熟した共産主義みたいのはあり得て、安心ではないかと。富裕層が共産化すると富を奪われて不安みたいのは分かるんだけど、その富が安心のための銀行預金だったら、共産化で同じ安心と富を担保できないかみたいなことを考えていた。

 まあでも、今の段階では机上の空論だから、この話も俺の考えが今そんなですってところでとどめて終わりにしたいと思います。


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